今日も和賀心学 (2022-12-06)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人が助かると言うことはどう言うことだろうか。全てが自分の願い通りになる世界が助かりの世界だろうか。いや助かりの世界とは外界に依存するものではない。師匠大坪総一郎師は、心一つですべてをつくると御教え下さる。してみると心一つで助かる事が出来るとも言えよう。助かりの世界は自らの心の中にある。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 355頁)
ビデオ: https://youtu.be/lcGkpD3iayw
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-06.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第54節
徳のないうちは心配する
神徳を受ければ心配はない
神徳を受けたからというて心配がないという訳ではない
心配の内容が変わるだけである
信心のない者、
信心のうすい者がする心配をせんですむだけである
心配のあまり夜も眠れぬというのでなく、
ただ有難い勿体ない心配である
心配をする心、心に気にかかる、
そこに助かりは無いように思いますね、
心配の無い世界と言うのでしょうかね、
ただ師匠が仰って居られます様に、その心配の内容が変わると言う、
どう言う内容が変わるのか、
よく分かる様な、分からない様な、感じが致しますけれども、
何を心配するのか、
と言う事にも有ると思いますね
さあ何を心配するのか、この先どうなるだろうかと、
気をもんで心配する、
それともその心配の内容が私自身、
自分自身の身のあり方に心配をするのか、
それとも神様の御心を心配するのか、
その神様が、それこそ神様が安心して下さる、
神様に安心して頂けれるようになるにはどうすれば良いか、
と言う心配の内容、その心配する対象ですね、
自分自身の事を心配する、
そこで止まるのか、
それとも人様の事を心配する、そして神様の事を心配する、
と言うその心配の内容と言うのでしょうか、
それは心配をする対象が変わって来る、
と言う事でも有りましょうね
信心は助かりだと、その助かりを求める、
合楽理念は助かりの理念と教えて下さいます、
師匠が求められるもの、それは人の、
人間の助かりを求めての理念であるわけですね、
では人が助かると言う事は、どう言う事だろうかと思いますね、
どうあったら助かるのだろうかと、
それこそ一番分かり易いのは、
私どもの願い事が叶うと言うのでしょうかね、
全てが自分の思い通りになったら、
これほど助かった世界は無いのかもしれませんね、
しかし自分の思い通りに全ての事が運ぶと言う事は、
まず有り得ませんね
思い通りに行かない事ばかり、
と言うのが普通ですね
その思い通りに行かない事の中に、
助かりを求めると言うのでしょうかね、
どこに助かりが有るのか、
お金持ちになれば助かるのか、
これは助かりと言うのを、
幸せと言う様な言葉で代えても良いのかもしれませんね、
お金持ちになれば幸せになるのか、
ある意味なる事も有りましょうね、
しかしお金を持ったからと言って、幸せではない人も居られますね、
助かっていない事も有りますね、
お金持ちになれば必ず全員が助かる、
と言うわけでも有りませんね、
その幸せであったり、その助かりであったり、それはどこに有るのか、
あれは幸福の青い鳥を求めて旅をする話が有りますね、
しかし結局の所、その幸せと言うものは、
やはり助かりと言うのは、自らの心の中に有るものですね
その助かりは、それこそ自らの心の中に有るものだと、
まず合点しなければならないと思いますね、
外に有るのでは有りませんね、
お金が幾ら貯まったから、それで助かる、
勿論、一時的にはそうかもしれませんけれども、
また直ぐ次の不安であったり、心配であったりが生まれて参りますね、
病気が治ったから助かった、確かにそうですね、
しかしその病気をしておっても、助かって居れれる心が有る、
そう言う世界が有りますね、
その私どもが助かると言う事はどこに有るのか、
物や、形のものや、地位や名誉や財産や、
それらがあの世に持って行けないのと同じように、
それらが有るからと言って、得られたからと言って、
私どもの心が助かるとは限りませんね、
寧ろ不安心配の心が湧いて来るのかもしれません、
それをいつまた失うかもしれないと言う不安ですね、
師匠が、心一つですべてをつくる、と教えて下さいました、
これは、心一つで全てを作ると言うわけですから、
自らの心一つで自らの助かりの世界を作り出す事が出来る、
と言う事でも有りましょうね、
私どもの助かりと言うのは、
私どもの心の中に有ると言う事ですね、
他所に、他に有るのではない、
金殿玉楼の家に住むようになったから助かりが有ると言うのではない、
たとえお金はなくとも助かって居れれる心が有る、
助かりの世界が有る、
結局、その助かりと言うのは、
その何と言いましょうか、
物質的な世界の中に有るのではなく、
私どもの心の中に有ると言う事ですね
これは言わばプラス思考的な心の持ち様に有ると言うのとは、
また少し違いますけれども、
確かに心の持ち様と言うもので、幸せと言うのか、
助かりを感じる事は出来るかもしれません、
しかし信心による助かり、
それは神様の懐の中にある吾、を感じての安心であり、
神様のお守りの中にあると言う和らいだ心、
そしてその神様のお守りの中にあると言うそこに賀びを感じる、
そう言う和らぎ賀ぶ和賀心の心の状態の時に、
本当に助かって居ると言う世界に入ったと言う事ではないでしょうかね
助かりと言うものが、人の助かりと言うものがどこに有るのか、
それは自らの心の中に有ると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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