今日も和賀心学 (2022-09-29)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
昨日から今朝にかけて好都合のおかげが続いている。急ぎのビデオの編集があって昨夜は2時一寸前に寝ませて頂いた。そして3時過ぎにはいつもの様に目覚ましのおかげを頂いた。2010年のiMacのHDDをSSDに換装させて頂き師匠の研修の編集専用に使える様になった等など。先ずは好都合のおかげを頂く事から。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 397頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第68節
神参りをするに、
雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ
その辛抱こそ、
身に徳を受ける修行じゃ
いかにありがたそうに心経やお祓いをあげても、
心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ
拍手も、無理に大きな音をさせるにはおよばぬ
小さい音でも神には聞こえる
拝むにも、大声をしたり、節をつけたりせんでも、
人にものを言うとおりに拝め
三代金光さまのおことばに
『神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます』
とあります
信心辛抱させて頂く内に、
三代さまの又のおことばの中にありますように
『ほしいものも、考える事も、いつの間にか無くなりましてなあ
有難うて有難うてならぬようになり、なんぼう御礼を申しても、
足りませんのじゃ、御礼の足りませぬお詫びばかりしております』
というお徳に進まれておられます
『はじめの間は泣く泣く辛抱しいしい』
とも仰せられて居ります
とかく信心辛抱こそ、すべての徳の根本になるものであります
人生の上におきてくる雨風の上にもまた同じことであります
人生の上に起きて来る雨風、
と申して居られます
その人生の上に起きて来る雨風、
それとても神様の御働きとして辛抱して行くと言うのでしょうかね
そこに込められた神様の思いと言うものを感じ取らせて頂く、
と言う事だと思いますね
しかし人間その雨風の時ばかりでは、
その雨風が神様の御働きと頂く事は中々難しい、
寧ろお天気の良い時、それこそ自分にほんぞらぬくい、
都合の良い日と、仰って居られますね、
その自分に都合の良い事が起こって来た時、そう言う時には、
私どもは、ああこれも神様のおかげだ、と感じやすいですね
私もここ昨日から今日にかけて、私にとって大変都合の良い事、
有難い事、いわゆる有難い事が続いて居ります
そう言う中に、やっぱり神様は有難いなあ、有難いお方だなと、
神様が御働き下さっているなと、感じやすいですね、
それこそ昨日と言いましょうか、今日と言いましょうか、
ある急ぎのビデオの編集の御用があり、
まぁ昨夜と言うのでしょうかね、今朝と言うのでしょうか、
寝ませて頂いたのが 2時前でした 、
さあこれで朝起きれるだろうか、と思いながら、
お願いさせて頂きながら寝ませて頂きましたら、
3時過ぎには目を覚まさせて頂く事が出来ました、
有難い事ですね、1時間一寸は寝ませて頂いたのでしょうか、
その目を覚まさせて頂いたと言う事、
まぁいつも通りに目を覚まさせて頂くと言う事、
これがやっぱり有難いなと思いますね、
これなど自分にとって都合の良い事ですよね
そしてまたパソコンですか、その iMac が、古いですから、
ハードディスクがもう、何と良いますかね、壊れる寸前で、
これはもう駄目かな、と言う所だったのですけれども、
そのハードディスクを SSD と言うのに交換させて頂きましたら、
これでまた 2~3年は使えるだろうか、
これで初代の、師匠の研修のテープの編集が使えるなと、
そう言うのに使えるなと、
言う感じなのですね、
でこれはよし研修の、初代の研修の編集用に、
専用に使わせて頂こうかと、
これなど私にとって都合の良いおかげですね、
そう言う自分にとって都合の良い事に対しては、
あぁ有難いなあ、神様のおかげだな、
と感じやすいですね
ところが雨や風が吹いて来ると、
それも神様の御働きとは中々感じにくい
しかしその先ずは自分にとって都合の良い、
そう言うおかげを頂き、
そしてそこに、なる程神様は有難い御働きを下さるな、
と言う言わば自分にとって都合の良いおかげを頂く中に、
神様の御働きの間違いなさと言うものを実感させて頂く、
そしてそう言う事の積み重ねが有るからこそ、
言わば雨が降って来た時も、風が吹いたり、雪が降って来た時でも、
あぁこれも神様の働きに違いない、この事を通して、
神様が何かを、それこそ私どもの心を育てようとしておる
神様の御働きに違いない、と言う事が本然と分からされる訳ですね
ですからその雨や風や雪の日ばかりでは、
とてもその事が神様の御働きとは頂けないけれども、
そこにほんぞらぬくい天気の日であったり、
私どもにとって都合の良い事が次々と起こって来る、
そう言う中に初めて、
神様の御働きを働きとして実感するのではないでしょうかね
教祖様も、先ずは願う氏子におかげを授け、
理解申して聞かせ、と仰って居られます様に、
先ずはそれこそ神様の、私どもにとって都合の良い、
都合が良い、有難いと言うおかげを頂き続ける事によって、
神様の御働きを実感すると言うのでしょうか、
そこがあって初めて、
その次に、都合が悪い事が起こって来た時でも、
これもまた神様の働きだ、神様の働きに違いない、
働きだとして受けて行く事が出来る、
ようになるのではないでしょうかね
飴と鞭と言われますけれども、
鞭ばかりでは有難いとは頂けませんね、
そこに飴も有り、これはお菓子の飴ですね、
そのお菓子の飴も頂き、鞭も有る、
その両方が相まって行く所に、
私どももまた育って行く、
神様の御働きを、神様の御心を愈々深く実感させて頂く事が出来る、
と言う事になるのではないでしょうかね、
先ずは好都合のおかげを、
やっぱり沢山頂いて行かねばなりませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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