今日も和賀心学 (2022-09-24)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人が真に助かると言う事が第一です。真に助かる為には和賀心を目指す事です、と同時に天地金乃神様のおかげを頂き続ける事です。寝ていても団扇の動く親心とある様に、絶えず神様のおかげを頂き続けて居る事を分かる事であり、神様の隠れたおかげを実感として目の前に感じ続ける事が大事だと思います。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 16頁)
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合掌
中原博信
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御神誡
幼少の時を忘れて親に不孝のこと
平重盛は
「孝ならんと欲すれば忠ならず忠ならんと欲すれば孝ならず」
とそのジレンマにおちたという
真の親孝行とはそんなものではない
お道の信心を以ってすれば、孝にもなり忠にもなる、
双方が立ち行く道が開けてくるものである
信心は親孝行から、と教えて下さいます
その親孝行の元はどこに有るか
それはやはり親の恩を知る、
と言う事ではないでしょうかね
親の恩を知る所から、親への孝行の心も湧いて来る、
と言う事ではないでしょうかね
寝ていても団扇の動く親心、
と言うのが有りますね
これは 2つの思いが込められている様に思うのですが、
片っ方は、親の心ですね、
子どもが寝ていても、失礼、子供が居る、
そして親がそのウトウトしながらでも団扇を動かすと言う、
その寝ていても団扇の動く親心、
と言うのですか、
親はそれこそ自分がウトウトとしながらでも、寝ていながらでも、
団扇を動かして子供を守っていると言うのでしょうかね、
もう一つは、子どもの側からすれば、
子供がそれこそ自分はスヤスヤと寝ている、
そしてそこに親が団扇を、で扇いで快適に寝ませてくれる、
と言うのでしょうかね、
子供が寝ている時でも、親はちゃんと子供を守ってくれる、
と言う風にも頂けますね、
何れにしても、親が子を思い、子供の為に何かをしている、
団扇を扇いでいると言う事ですから、
その子供としては、その親の恩を知る、
その親心を知ると言う事でしょうかね、そこに初めて親孝行と言う事も、
親のお役に立ちたい、親に喜んで頂ければと言う心も出て来る、
育って来ると思うのですけれどもね
私どもが、人間が助かると言う事が先ず第一だと
言う事ですけれども、
ではどうやったらその人間が助かる事が出来るのか、
それは勿論心の上においても助かる、
これはやはり和らぎ賀ぶ和賀心を求めての精進をさせて頂く、
どう言う中にあっても和賀心を求めての精進、
そこに助かると言う事が有りましょうけれども、
もう一つはやっぱり神様のおかげを頂き続けると言う事、
形の上においても、
勿論私どもの心においても、
形の上においても、神様のおかげを頂き続ける事がなければ、
助かり様が有りませんね、
そしてまたその私どもが困ったなぁ、難儀だなと思う様な事が有る、
有るけれども、それは例えて言えば 100有る内の 1つか 2つ、
残りの 99パーセントは、
上手く行っている事の方が多いですね
何か一つ不都合が有ると、
それこそ自分の人生が真っ暗になった様な感じがする
例えば車で、自動車で言えば自動車が動いている。
しかしパンクをする、パンクをすると動かなくなる、走れなくなる、
だからもう人生が真っ暗になって、
全てが終わってしまった様に思う、
しかし自動車の機能は他にも一杯ある訳ですね、
エンジンであったり、ライトの関係であったり、電気関係ですか、
様々な事が組み合わされて動いてる、
悪い所はそのたった 1箇所だけだと、
他の例えば 99パーセントはちゃんと動いている、
いわゆる私どもが難儀をしている、困ったなと思うけれども、
それは私どもの人生と言うのか、
その中のたった 1パーセント、例えればですね、にしか当たらない、
他の 99パーセントに於いては、大変なおかげを頂いている訳です、
ところがその一つが狂うと、全部がダメ、狂ってしまっている様に、
まあ錯覚ですね、そう思ってしまう、
だからそこで和賀心も崩れてしまう、
と言う事になりますね
残りの 99パーセントのおかげを頂いている事は、
すっかり忘れてしまう、
そして 1パーセントの都合の悪い事だけに、
心が占領されてしまうと言うのでしょうかね、
それこそ寝ていても団扇の動く親心では有りませんけれども、
私どもが知らない間にでも、やはり神様のおかげを頂いている
また知らない所でも神様のおかげを頂いて行かなければ、
立ち行かない私どもだと、
いや実際私どもの知らない所で、どれ程のおかげを頂いているか、
その事に先ずは気付かねばならない、と言う事なのですね、
私どもが助かって行く、
その為には神様のおかげを頂かなければ、
それこそ吾無力であってみれば、
神様のおかげを頂かなければ、ここ一寸動けね私ども、
それが動かし、動かさせて頂いている、と言う事は、
どれ程神様のおかげを頂いて居るかと言う事に、
先ず気付かせて頂かなければならないと、
言わば 100パーセントの内の 99パーセントは
都合よく動いている訳ですからね、
たった残りの 1パーセント位が、自分の思い通りに行かない、
と言うだけの事なのですから
勿論その残りの 1パーセントにも神様のおかげを頂いて行く、
そこに初めて、自動車が自動車として動き出した時に、
ああ良かった、おかげを頂いた、
と言う事になるのでしょうけれども、
実際は目に見えない、例えば氷山の一角と言われる様な、
目に見えない、海の中に有る 99パーセント、
あれは 1割ですかね、だから 9割ですかね、
詳しい事は分かりませんけれども、
その例えて言えば、
目に見えない 99パーセントにおいては、
神様のおかげを頂いているのだと言う事を
ハッキリ認識しなければなりませんね
そしてその寝ていても団扇の動く親心をもって、
私どもの知らない所ででも、神様のおかげを頂いている、
と言う事に気付かせて頂いた時、初めてまた、
私どもの中に、何とまあおかげを頂いているものだ、と
困った事よりももっとより多くの、
上手く行っている事のおかげを頂いている事に気付かせて頂く、
そこに神様のおかげを頂いている、と言う喜びと言うのでしょうか、
有難い心と言うのでしょうか、
それが和賀心にも繋がるのではないでしょうかね、
私どもが余りにも自分に不都合の事だけに目を向けている、
もっと残りの 99パーセントの神様のおかげを頂いている事に気付き、
そして更に神様のおかげを頂かなければ助かり様の無い私どもだと、
言う事に気付かせて頂き、
そしてそれが 100パーセント神様のおかげを頂けれる様に、
信心させて頂くと言う事ではないでしょうかね、
とにかく一事が万事に、私どもの目の見えない、
目では見えない、感じれない所で、
神様のおかげを頂きに頂きどうしている、と
言う事に気付かせて頂かねばなりませんね、
そしてそう言う目に見えない所で、
神様のおかげを頂いているのであるから、
今この目に見えて困ったと言う事においても、
それこそ神様の深い思し召しの中での事、とそこに頂いて行ける、
それもおかげの中の一つだと、
おかげの中の一駒だと言う事になるのではないでしょうかね
神様のおかげを頂きに頂き続けておる私ども、
そしてまた頂きに頂き続けて行かなければ、助かり様の無い、
立ち行かない私どもであると言う事ですね、
どうでも神様のおかげを頂き続ける日々でありたいですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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