2022年9月4日日曜日

信心をすれば愈々強く大きく膨らむ欲がある、人を助けたいと言う欲が (2022-09-04)

 今日も和賀心学 (2022-09-04)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心の稽古をさせて頂いていると、我情、我欲と言う欲は段々小さくなる。一方大きく大きく膨らんで強くなる欲も有る。小さかった願いが愈々大きく膨らんで来る願いも有る。それは、人を助けたいと言う欲であり願いが愈々強く大きくなる。それに従って神様の願いも大きくなる。そう言うおかげを受けたい。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 220頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第9




天地金乃神は宗旨嫌いをせぬ

信心は心を狭う持ってはならぬ、心を広う持っておれ




世界を広う考えておれ

世界はわが心にあるぞ




せまい心で大きな願いをたてても無理なはなしです

先ずは広い心を願い、その修行をせねばなりません




だまって治める信心、即ち土の信心

心は自ずと大きく広く豊かになってまいります




清濁一如の信心もわかります

大願の氏子の上には特別の親神さまの働きが受けられます




大願の氏子の上には特別の親神さまの御働きが頂けます

と有ります、師匠大坪総一郎師の御教えですね




大願の氏子、

これは 2つの意味がやはりあろうと思いますね




大願、一つは神様の大きな願いがかけられた氏子と言う意味と、

私どもが大きな願いを持っている、いわゆる大願を持っている氏子




と言う 2つの意味があろうと思うのですね

ここでどちらだろうかと思いますけれども、




その両方が相まって行くならば、

鬼に金棒と言う事になりますね




私どもも大きな願いを待つ、と同時に

神様もまた私どもに大きな願いを持って下さる




そうなれば占めたものだと思いますね




神様が私どもに大きな願いをかけて居られる

しかし私どもの願いが小さい、と言う事もまた有ると思いますね




かと思うと、これは有るかどうか分かりませんけれども、

私どもはそれこそ大きな大きな願いを持っている、




しかし私どもにかけられた神様の願いは案外小さい、

あんまり期待をかけて居られないと言うのでしょうかね




大した者ではなかろうと、それ程の願いをかけて居られない、

と言う場合も有るかもしれませんね




さあ私どもの場合はどう言う神様の願いと、

私どもの願いとの間柄と言うのが、どう言うものでしょうかね




実は今朝は心中祈念の時に、

今日はどう言うお話をさせて頂いたら良いのでしょうか、




とお伺いして居りましたら、

こんな事は稀と言うのか、初めてですけれども、




その御理解の第九節を開け、

と頂きました




さて 9節と言うのはどう言う御理解だっただろうかと、

思い当たりませんでしたけれども、で




今朝はその御理解を開かせて頂いた訳ですけれども、

世界を広う考えておれと、世界はわが心にあるぞと




私どもの世界と言うのでしょうかね、

それは自らの心に有る




私どもの心が狭い心であるならば、私どもの身の回りに

現れて来る世界、それも狭い世界だと言う事になりますね




それこそ大きな器の世界

と言うのでしょうかね、




それこそ私どもが、ただ自分の家族だけが幸せであれば良い

と言った様なマイホーム的な世界に住んで居るとするならば、




それは私どもの心が、またマイホーム的な心だけで終わっている

と言う事かもしれませんね




それがそれこそ隣の事を祈り、または地域全体の事を祈り、

市の事を、県の事を、日本の事を、また世界中の事を、




世界の真の平和を祈る、或いはそれが地球上の事であったり、

また太陽系の事であったり、いや宇宙全体の事であったり




と言った様に私どもの心がどれ程広がって行っておるか

その広がり様に応じて、また何と言いましょうかね、




私どものおかげの世界と言うものも

広がって来るのではないでしょうかね




結局は私どもの心次第だと、その心の、どれ程広く大きな心を

持っているか、それ次第だと言う風にも見えますね




師匠が、私は大きな心、豊かな心を持っていますと、

だから大きなおかげ、豊かなおかげの世界に住んで居ります、




と言う様な表現をして居られますね




私どもの心の住む世界、これがまた私どもが住むおかげの世界、

とも言えるのかもしれませんね




それは勿論形の上に現れた世界でもありましょうし、

これは人が助かると言う上においてもそうだと思いますね




ある方が金光教ですか、

お道の金光様に詣でて、驚く事が 2つ有ると,




一つはそのまあ粗末な屋敷に住んで居られると言うのでしょうかね、

住んで居られる所が小さいと、




そしてまたその霊験があらたかだと

その 2つに驚くと表現された方が居られる様ですけれども




教祖様程しの心を、世界をそれこそ唐天竺までと

仰って居られる教祖様が粗末な家に住んで居られた




これは矛盾するではないか、

と思いますけれども




教祖様の住んで居られた心の世界、

それは物、金や、家蔵財産の世界ではなく、




人が、より多くの人が助かる、

と言うその沢山の人が助かる世界に住んで居られた、




そこを目指して居られた、

だからこそ、その実際の家と言うものでしょうか、




住む家とかそう言うものではなく、

その現実のものとして沢山の人が助かられた




沢山の人が助かる世界に住む、沢山の人を助けたいと言う世界に

住んで居られた、と言う事ではないでしょうかね




私どもの願いが許される、

より多くの人が助かる事を願う心が許される




そしてそこにまた神様の願いも、私どもに

より多くの人を助けて欲しいと言う願いが愈々膨らんで来る




私どもの願いが愈々大きくなる、

と同時にまた、私どもにかけられた神様の願いも、




その御期待も愈々大きなものになって来る、

そう言う私どもに、信心のお育てを頂きたいと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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