今日も和賀心学 (2022-09-21)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人間の真の助かりの元となる和賀心、ではどうしたらその和賀心を頂く事が出来るか、その手立てを具体的に詳らかにして下さった御方が師匠大坪総一郎師と言えよう。誰でもがその気になれば和賀心に至れる道を示して下さった、そこに偉大さがある。端的に言えば、成行きを土の心で受ける稽古に徹することである。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 392頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第66節
人間は勝手なものである、いかなる知者も徳者も、
生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら、
途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて、
死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる
教祖様ほど
素朴な生き方をなさった方はあるまい
しかも天地の道理に基づき『討向かう者には負けて時節に任せ』
と言う生き方こそ土の心であろう
人間は土より出でて
土に還ると言われる
その道中とても土の心を身につけての生き方こそ、
御道の信心者の神髄でもあろう
師匠大坪総一郎師はここで、土の心を身に着けての生き方、
これが御道の信心者の神髄だと仰って居られますね
神髄とまで仰って居られます、その土の心ですね、
なる程人は真実助かる、真実幸福になる、
その為には和らぎ賀ぶ和賀心を頂くことだと、
和賀心を目指す事だと
しかもそれが神様の御働きを頂きながら、
その和賀心を目指して行く、と言う事だと
ここまでは誰でも説ける
と言えば説ける訳ですね、
教祖様もおかげは和賀心にあり、
と天地書附をもって示されて居られます
ところが天地書附には、なる程どうしたら和賀心になれるか、
は説かれて居りませんね
例えば目的地、登山なら富士山なら富士山の頂上を指さして、
あそこに登りなさい、と
人間の幸せはあそこの山の天辺にあるよと、
だからあそこを目指して登りなさい、と示されたそれだけな訳ですね
ではどうやってその富士山の天辺に登るのか、
その道は示して居られない
あそこに登りなさいと、
目的地を指差されただけと言う感じが致しますね
これではどうやってそこに登って良いのかが分からない
なる程あそこへ登れば良いのか、あそこに行けば幸せが有るのか、
真実の助かりが得られるのか、と
しかしどうやってそこに到達したら良いのかが説いて居られない
ここのいわゆるその頂上なら頂上、
山の頂なら頂に登る、
その手立てを事細かに教えて下さった、
それが師匠であろうと思うのですね
でその師匠の偉大さと言えば、やはりその
和賀心なら和賀心を目指して、如何にしてその和賀心に到達するか、
どうして和賀心を、いわゆるどう言う方法をもって和賀心を目指すのか、
また神様の御働きを頂いて行くのか、
と言うその手立てを詳らかにして下さったのが
師匠大坪総一郎師だと、そこに偉大さが有る
例えば何に致しましょうかね、まぁ何でも良いですけれども、
そのこうすれば良いと、こう成りなさいと、
野球選手なら野球選手に成りなさいと、
そしたら良い人生が送れますよと、
しかしそう言うだけでは、
どうやって野球選手になったらいいのか分かりません、
どうやって野球選手になるのか、その道筋、
こうやって、ああやってと言う一つ一つを事細かに教えて頂く、
そこに初めてその道と言うのでしょうかね、
そこを歩く事によって到達する事が出来る
その道を示して下さった、
手立てを示して下さったのが師匠だと思いますね
ではその師匠が示された、和賀心になる為の、
あるいは神様の御働きを頂き続ける、
それが端的に、土の心だと、土の心を身に着けなさいと、
土の心を稽古して行きなさいと、大地の心、地の心ですね
大地はそれこそ汚いものや綺麗なものや、何でも、どんなものでも、
降りかかって来たものを頂いて、それこそ黙って頂いて、
それを根肥やしとして行く
自分の地を肥やして行く、心を肥やす素とする
そして美味しい果実や、美しい花を咲かせる、
心に花を咲かせると言う事でしょうかね、
それは和賀心に近付くと言う事でもありましょうね、
また和賀心になると言う事かもしれませんね
その土の心によって初めて、土の心を稽古する事によって初めて
和賀心に近付いて行く事も出来ると言う事ですね
ただ和賀心になろう、和賀心になろう、
和賀心になりなさい、なりなさいと言われても、
または和賀心を千遍、二千遍、一万回唱えたとしても、
和賀心になる事は出来ませんね、
やっぱり稽古が要ります、
土の心になる稽古、
土の心で成行きを受ける、頂く稽古を続ける所に初めて、
和賀心が頂けれる様になる、と言う事になりますね
今日頂きます、それこそ土の心、
土の信心を身に着けての生き様と言うのでしょうかね
土の心を身に着けての生き方、と仰って居られますね
そこに初めて和賀心にもなる事が出来る
その土の心と、成行きと言うもの
私どもの身の上に起きて来る事柄、その成行きと言うものを、
それこそこの事を通して和賀心を頂く稽古をしてくれよ、
と言う神様の御働きの現れとして、
その成行きを
土の心をもって大切にして行く
その稽古の積み重ねが、
私どもに和賀心、和らぎ賀ぶ和賀心を愈々育てて行く
そしてそこに初めて、人間の幸せの元と言うもの、
和賀心を頂く事が出来る様になる、と言う事なのですね
和賀心を頂きたい、
人間の真実の助かりの和賀心を頂こうとする、
その為には、私どもの身の上に起きて来る成行きを、土の心で頂き、
その事を通して、自らの心の肥やしとして行く、心を育てる、
心に花を咲かる、
言わば和賀心を咲かせる為の、何と言いましょうかね、
やっぱり根肥やしにする、
と言うのでしょうかね
と言う事になりますね、成行きを土の心で大切に尊んで行く、
これが先ず要だと言う事になりますね
基本中の基本、
合楽理念の基本中の基本と言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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