2022年9月3日土曜日

人の心の傷は天地金乃神様の御働きを頂いて直して行こう (2022-09-03)

 今日も和賀心学 (2022-09-03)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


教祖様はこの神様は心直しの神と教えて下さる。今朝は不注意に袴の破れを広げてしまった。人の体の多少の傷は治癒力が授けられているおかげで時が経てば治る。しかし袴の傷は時が経っても直らない、寧ろ傷口が広がる。人手をかけねば直らない。人の心の傷も同じ様なもの、神様の手をかけて初めて直ると。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 232頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第13




神は向こう倍力の徳を授ける




皆さんが、このように炎天下、夏期信行に打ち込んでおられますが、

これで徳をうけることにはなりません




お徳をうける肚作り、又は心を練る修行をなさっておるのです

徳を受けるチャンスは、いつもある訳ではありません




いよいよの時、迷わんですむ、動じないですむ、

生命をかけての信心が出来ねばなりません




即ち「ままよの心」です

背水の陣です




一切をまかせきっての

次の信心姿勢一つが徳をうける極手です




徳を受ける、

と申されます




御神徳を頂くと、

これは神様と私ども人間との間柄の事ですね




御神徳を頂く、

神様の御信用を頂く




この神様と私ども人間との間の関わり合いにおいての事柄である、

その御神徳と言うものがですね




神様の御働きを頂く

と言う事でも有りましょうかね




今朝はその私ども、傷口と言うのか、色々有りますね

体の上に一寸した、転んで切り傷を負うとか




その子供の頃よく遊んでいて転んで

擦り傷を負ったり致しますね




普通に体に傷がついたものは、そんな余程大怪我ではない限りは

何日かすると、2 3日もすると段々治りますね




そう言う自然に治る傷も有る、

尤もこれは自然に治ると言っても、




体自体が治そうと言う働きを持っているから治るのですね

その体に治そうとする働きが埋め込まれていると言うのでしょうかね




ところが中には直らない傷も有る

それは実は今朝袴を穿いていてベリッと音がしたのですね




実は数日前にその少し破れが出ていたのですけれども、

もうだいぶ生地が古くなっているのでしょうね




そこがまた今日袴を穿いた拍子に、またその傷口が、

を広げてしまったと、不注意ですけれどもね、と言う事なのです




この袴の傷と言うのでしょうか、破れと言うのでしょうか、

これはそのままにしておれば直ると言うものではないと




いわゆる寧ろその傷口は段々何かにつけ広がって行くものだと、

そう言う傷口が有りますね




車のフロントガラスに、走っていて石ころが飛んで来て

よく傷がつく事が有りますね




特に前に砂利を積んだ大型トラックが走っていたと、

そこから偶々小石が飛んで来てフロントガラスに傷がついたと、




よく有る事ですけれども、このガラスのキズなど、

ヒビ割れ等も放っておけば自然に直ると言う傷ではありませんね




こう言うものは

段々その傷口が広がって参ります




人間の体の上についた多少の傷は、

体が持っている治そうとする働きで治る




しかし例えばガラスであったり、

袴の傷であったり、




その他色々なキズ、

その傷口は自然には直らないものの方が沢山有る訳ですね




大抵の物は人間が直そうとする

何か手をかけなければ、直そうとしなければ、直らない、




いわゆるその傷口が段々広がって行く事の方が多い、

と言う事なのですね




実はどう言う事なのだろうかと、

心中祈念の時に思わせて頂きましたら、




これは人の心がやはりそうだと、

その人の心の傷口と言うのでしょうか、




その私どもの心が、心に傷を受ける

時間が経てば何とかなると言ったり、




忘れ去ってしまう

と言う様な事は有るのかもしれませんけれども




その心に負った痛手、傷口と言うのでしょうか、

それは自動的に修復される事はない




寧ろその傷口は広がって行くかもしれない、

と言うのですね




教祖様は、この神様は病気治しの神ではない、

心直しの神だと仰って居られますね




正にその心を直して行く、私どもの心を直す、

これはやはり話を聞いて、また神様の御働きを目の前に頂いて、




そして心が合点すると言うのでしょうか、

それで直って行く、直して行く以外ないのだと




やはりそこには

心を直そうとするその精進努力がなければ直らない




そのまま放って置けば益々その傷口は広がって行く

それが心の傷だと、一人でに治る傷ではない訳ですね、心の場合は




何かしら直そうと言う努力を、精進をしなければ、

直るものではないのが心の傷だと




それでどうやって直して行くのかが大切ですね

先ずその前に、直そうと言う気が起こらなければなりませんね




心を直して行こう、心の傷を直そうと言うその

先ずは直そうと言う意識を持たねばなりませんね




心の傷は放って置けば直ると言うものではない、

寧ろ広がって行く、傷口が愈々広がって行く可能性すら有ると、




ですから袴の傷でも段々時間が経てば広がって行く、

心の傷も時間が経てば広がって行く可能性が有る




だから傷口が小さい内に直した方が良い

と言う事になりますね




為には先ずはその傷口を直そう、

心を直そう、心の傷口を直そうと言う、




直そうと言う意識が、先ず芽生えなければならないと言う事ですね

そして次に、どうやって直すのか、




私ども自分自身の中に直そうと思っても、

直す力は中々有りませんね




これはやはり神様のおかげを頂いて心を直して行く、

と言う事になりますね




教祖様も仰られた、その心直しの神だと、

心を直して下さるのは神様だと言う事ですからね




それは神様の御働きを頂いて、

そのどう言う風にして直るのか




それはやっぱり神様から守られている私、

神様から愛されている私、




と言うものを実感として感じた時に

心の傷が癒されるのではないでしょうかね




その神様から愛されている私、

と言うものをどうやって実感するのか




それこそ師匠が教えて下さる

成行きを大切に尊んで行く、




これは神様が私に下さった、

それこそ私の心を直そうとして居られる神様の御働きだとして、




その成行きを大切に尊んで行く

そこに神様の癒そうとする働きが愈々現れて来る




もしその成行きを、何と言いましょうかね、

大切にしないならば、




神様が折角私どもの心の傷を癒そうとして下さっておるその働きを

無下にする様なものですから、中々直るのが遅いのか、




却って傷口が広がるのか、と言う事になりますね

この神様は私どもの心を直そうとして居られるのだと、




それならば直してもらう、直して行こうと言う、

私どもの一つの発心が要りますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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