2022年9月17日土曜日

人間幸福は和賀心にあり、では和の心とは、賀の心とは (2022-09-17)

 今日も和賀心学 (2022-09-17)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


人間幸福は和賀心にあり、ではその和賀心とは。今朝教えて頂くのは、親の懐の中にある安心、そこに頂ける和らいだ心が和の心。賀の心とは、いわゆる私どもの我情我欲の願いが叶った時に感じる喜びではないと。言わば恋人と一緒に居る時の賀び、吾神と共にあり、神吾と共にありを実感する時の賀びだと。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 367頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第58




人が盗人じゃと言うても、乞食じゃと言うても、

腹を立ててはならぬ、盗人をしておらねばよし




乞食じゃと言うても、

もらいに行かねば乞食ではなし




神がよく見ておる

しっかり信心の帯をせよ




はやり唄にも「松葉の模様が気に入った枯れておちるも二人づれ」

この打ち込みがあれば信心も本当なものだが、




又の文句に「紅葉の模様が気に入らぬ紅葉色づきゃ秋が来る」

と言うが、これではならぬ




信心も少しはわかり佳境に近づいて来る

何かがある、もう動揺する




信心の帯がシッカリ出来ておらぬからである

信心は神が見給う聞き給う世界に生きぬくことである




神が見給う、聞き給う世界、

今朝教えて頂きますのは、




人間幸福は和賀心にありと、その人間の真の幸せ、それは和賀心、

和らぎ賀ぶ和賀心の世界にあると、




ではその和らぎ賀ぶ和賀心と言うものはどう言うものか、

どうしたら頂けれるのかと言う事ですね




その親の懐にある安心と言うのでしょうか、

親の懐に抱かれて居るその時に感じる安心、




そしてそこに和らぐ心が有る、

それが和の心だと、




和の心とは親の懐にある安心を感じる、

そこに頂ける和らいだ心、これが和の心だと、




和らぎ賀ぶ和賀心の和の心だと、

では賀の心、賀びの心とは、




この賀ぶと言う事は、私どもがいわゆるご利益と言うのでしょうか、

おかげと言うのでしょうか、を頂く、




私どもの願い事が叶う、その時に喜びますね、

思いがけない物をもらった時に喜んだりも致します、




そう言う喜びではないと、

自分の願い事が叶った時に喜ぶ、いわゆる単なるですね、




厳密に言うと色々有りましょうけれども、

普通に言われる所のいわゆる自分の願い事が叶う、




我情我欲の願いが叶うと言いましょうかね、

その時に頂く喜びではない、




ではどう言う時の賀びなのか、

それは幾つも有るのかもしれません、




しかし今日教えて頂きますその賀びの一つは、

恋人と一緒に居る時に感じる賀び、




言わば愛する人と共に居る時の賀び、

に似ていると言うのでしょうかね、そう言う類の賀びだと、




言わばまたの言葉で言えば、吾神と共にあり、神吾と共にあり、

と言う様なものを実感する時、




その時に頂ける賀び、

これが賀の心だと言う事ですね




その和賀心、

和らぎ賀ぶ和賀心、




その和の心は神様の懐に抱かれている安心の境地を頂き、

そこに頂ける和らいだ心だと、




そして賀の心、賀の心は吾神と共にあり、神吾と共にあり

と言った様な、何と言いましょうかね、




恋人同士が共に一緒に居る時に感じる、そう言う賀び、

が賀の心だと、神様と一緒に居る賀びですね




そう言う和らぎ賀ぶ和賀心を頂く、頂けれる、その時に

人間の言わば本当の真の助かりがあり、真の幸福もそこに有ると、




ではどうしたらその神様の懐の中にある吾であり、

または神様と共にある賀びを感じる事が出来る様になるのか、




そのいずれの場合にも神様が関わって居られますね、

神様がその何と言いましょうかね、寄り添って来て居られる、




そう言うものを感じなければ、

和らぎ賀ぶ和賀心は頂けない事になりますね




その神様が寄り添って来て下さっておる、

それをどうやったら実感として感じる事が出来るか、




と言う事がポイントになると思いますね

その為には私どもが目指すべき所、




それは教祖様が、天地日月の心になること肝要なり、

と言うその天の心、地の心、日月の心を求めての精進、をして行く、




その中にやはり神様の声を聞き、

神様の御心をまた感じて行く事も出来る、と言う事も有りましょうね




具体的にその神様を身近に感じて行く、その手立てを、

師匠大坪総一郎師は、成行きを大切に尊ぶと教えて下さいます




その成行きを大切にして行く中に、

それら一切のものが含まれているのですね、




その成行きを大切にして行く、尊んで行くと言う信心生活の中に、

神様の懐の中にある吾、と言うものも実感させて頂く事が出来る、




そしてまた神吾と共にあり、吾神と共にあり、

と言ったその賀びもまた実感させて頂く事が出来る様になる、




のですね、ですから成行きを尊んで、

私どもがやはり実感として感じなければならないもの、




それが、神様の懐の中にある吾であり、

神吾と共にあり、吾神と共にある、




と言う賀びを実感出来る様な成行きの尊び方でなければならない、

と言う事でもありますね、




そこに初めて人間の真の助かりが、

真の幸福が待っていると言う事になりますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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