2022年9月13日火曜日

天地金乃神様は私どもの心が育つのを辛抱して待って居られる (2022-09-13)

 今日も和賀心学 (2022-09-13)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝教えて頂きますのは、信心辛抱と言う事です。やはり信心には辛抱が第一な様です。天地金乃神様が一番良い頃合いを見計らっておかげを授けて下さるのを、神様の御心を信じて辛抱して待たねばなりません。また私ども以上に神様は私どもの心が育つのを辛抱して待って居られる事に気付かねばなりません。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 334頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第47




祈れ薬れにすればおかげも早いが、

薬れ祈れにするからおかげにならぬ




病気の時は医者、死んだら坊主、

果たして医者と坊主でよかろうか




人間がいよいよの時、

どんな無信心者でも何かに縋らなければおれぬと言う




その縋らなければおれぬ心の比重の相違が祈れ薬れになったり、

薬れ祈れになるのである




『薬れ祈れにするからおかげにならぬ』

ということは、病気が治らぬということではない




次の高橋博志先生のおことばで知ることが出来る

「お取次を頂いておきてくることは、よいことわるいことみなよい




お取次を頂かずしておきてくることは、

よいことわるいことみなわるい」




御取次の働き、

その作用の微妙さが教えられている




お取次ぎの働き、

その作用の微妙さ、




これは神様が御働き下さる、

その神様の御働きの微妙さと言う事かもしれませんね




今朝教えて頂きますのは、

信心辛抱と言う事なのですね




その神様の微妙な御働きを十全に受ける為には、

やはり私どもに辛抱と言う事が要る様ですね




せっかちな人が居ます、

辛抱が出来ないと、




あれが欲しいと思ったら、

それが直ぐ手に入らなければ、辛抱出来ないと




これがしたいと思ったら、その直ぐにでもしなければ気が済まない、

と言う人も中には居られますね




しかしこの神信心には、やはり神様の御心を信じて辛抱する、

神様の御働きを信じて辛抱する、




と言う事がやっぱり一番大切な様ですね

またの御教えに、時節を待て、と言う御教えが有りますね




神様が一番良い頃合いを見計らって、

おかげならおかげを下さる、病気なら病気を治して下さる




何でもやっぱりそのある程度の時間と言うのでしょうかね、

人の心が育つ為にもやはり時間がかかります




先ず私どもが、その辛抱すると言う事を身に着けねばならない、

何故その辛抱を、辛抱の徳とも言われますが、




辛抱をする事を身に着けねばならないのか、

それは神様の方が私どもより、より一層辛抱して居られるからですね




神の心を心とする、言わば生神への精進、

神様の御心を自らの心とする、




その為には、神様がして居られるその辛抱を

私どももやはり身に着けねばならない




物が、植物なら植物が育つのには

やはり時間がかかります




私ども人間でもそれこそ生まれて、そして成人になる、

20年かかりますね




勉強を始めたから直ぐそれが身に着く

と言う事ではありません




書道の稽古でも、何事の稽古でも

やはり辛抱をして稽古を続ける事が要ります




人間が育つと言う事にも

やはり時間がかかります、




神様はそれこそその私なら私、人なら人が育つのを、

それこそ辛抱強く待って居られると言う事ですね




神様の方が、私達の心が育つ事を辛抱して待って居られる、

私どもの辛抱よりか、遥かに神様が辛抱して居られる




若しかしたら何百年、何千年と辛抱して居られるのかもしれませんね

人の心が中々育たないものだと




いつになったら育つのだろうかと、神様の方が辛抱して居られる、

その神様の御心を心としようと言う訳ですから、




神様がなさる、して居られるその辛抱力と言うものを、

私どももやはり身に着けねばならない




神の心を心とする為には、神様がしておられる辛抱、

それを私どももやはり身に着けなければならない




だから辛抱が要ると言う事でも有りますね、

辛抱の稽古をさせて下さる、と言う事も有る訳ですね




勿論辛抱しなければおかげにならない、

と言う事も有りましょうけれども、




その辛抱力を付けさせる為の稽古を神様がさせて下さっている、

とも言えますね




神に成る為には、どうでもその辛抱がなければ、

人の心が育つのをじっと見守る、その辛抱がなければ、




やはり神にはなれない、

と言う事も有りましょうからね




兎に角神様を信じて、もうひと辛抱させて頂こう、

ここは一つ腹を立てたい所を、腹を立てずに辛抱させて頂こう、




と言った様な事も有りましょうね




何れにしろ信心の第一、神の心を心とするその事の、

これはこの心が無ければ、やはり神にはなれない




神の心を心と出来ない、と言うものが辛抱と言う事ですね、

だからこそ辛抱の徳とも教えて居られます




じっと辛抱をする、辛抱して人の心が育つのを見守る、

あるいは手伝う、と言う事でもありましょうね




信心辛抱が第一だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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