今日も和賀心学 (2022-09-08)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心とは自らの心を育てて行くと同時におかげを頂いて行く道である。そのおかげは、日勝り月勝り年勝り代勝りのおかげと言われる。先ず御神縁を頂き頂くおかげ、これは取次者の力によるおかげ。日勝り月勝り年勝りのおかげは本人の信心精進によるおかげ。次に信心の真を表して頂けるのが代勝りのおかげ。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 130頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
信心は本心の玉を磨くものぞや
本心に立ち返るということは、
人間、この世に生を享けると同時に神性が授けられる
ところが成長するにしたがい我が芽ばえてくる
神性とは似ても似つかぬ浅ましい苦悩の道へ堕落してゆく
そうした人生の分岐点に立った時、
真の道を示してくれるのが真の信心である
真の信心、真の信心をすれば
必ず真のおかげが有る、付いて来ると教えて下さいます
その真の信心、それは今朝の御理解にも有ります
信心は本心の玉を磨くものぞやと
自らの心を磨いて行く、心を育てて行く、
と言う事に有る事に違いは有りませんけれども
と同時にまた、神様のおかげを頂いて行く、いわゆる
霊験奇跡と言う様なものも頂いて行く、と言う事でもありますね
いや寧ろその真の信心をしておれば、
必ず真のおかげが現れて来る、と師匠は教えて下さいます
今朝は昨日、師匠の研修を頂いて居りました時のお話の
全くの受け売りです
しかし大切だと思いますので、私が理解した分だけですけれども、
お話しさせて頂きたい、聞いて頂きたいと思います
それは信心しておかげを受ける、日勝り、月勝り、年勝り、
代勝りのおかげを受けると申されますね
その先ずこのお道に御縁を頂く、
そうしたらそれこそおかげを頂く、
お取次ぎを願い、自らの願う所を願うと言う所でしょうかね、
そしてそこに凄まじい奇跡的なおかげを頂くと致しましょうか、
その頂くおかげは、
言わば取次ぎの先生の力による所のおかげだと
その本人に信心が有ろうが無かろうが、それは全く無関係に、
取次ぎの先生の力によっておかげを授けて下さる
そう言うおかげを先ず頂く事が出来ると、そしてそこからは、
それがいつもかつも続くと言う訳ではありませんからね
神様も御働きを見せて下さる、
為に、デモンストレーションの様なものかもしれませんね
そしてそれから愈々そのおかげが、
日勝り、月勝り、年勝りと発展して行く訳ですけれども
その発展して行く、日勝り、月勝り、年勝りのおかげを頂くと言う事は、
その本人が、通る所を通って、言わば信心の教えを行じる所を行じて、
その教えを行じる事によって頂くおかげ、その心を磨き、
教えを身に着ける、天の心、地の心、日月の心を身に着けようとする、
そしてそこに頂けるおかげ、その教えが身に着く事によって、
それこそ、ひとりでに物が出来る様なおかげと言うのでしょうかね、
言わばその人の精進による所のおかげが、
日勝り、月勝り、年勝りのおかげとなると
その通る所を通って、と仰って居られましたから、
それは教えをいわゆる実生活において行じると言う所でしょうかね
その自らの精進努力、教えを行じる事によって、
日勝り、月勝り、年勝りのおかげとはなる
しかしそれだけでは代勝りのおかげにはならない、
とハッキリ仰って居られましたね
ここがドキッとした所ですけれども、
その通る所を通って、教えを行じる事によって、
身に着ける事によって、心を改る、磨く事によって、
日勝り、月勝り、年勝りのおかげを頂く事は出来るけれども、
それでは未だ代勝りのおかげとはならない、と言うのですね
では代勝りのおかげを頂く為にはどうあったら良いのか、
それは氏子が、その真を表す、
言わば神様のお役に立ちたい、と言うその真を表す、
そこに初めて、
代勝りのおかげと展開して来ると
ただ通る所を通って、教えを身に着ける、
行じると言う世界では、年勝りのおかげまでだと
それこそ肥えをせんでもひとりでに物が出来て来る、と言われるその
ひとりでに物が出来て来る、その一代限りのおかげと言う訳ですね
それが代勝りのおかげとなる為には、
そこから更にそれこそこれは、神様のお役に立ちたい、
それこそ人が助かる為のお役に立ちたいと言うその、
真を表した時に、表し得た時に初めて、
代勝りのおかげへと展開して来る、
と言う様なお話でした
私どもがおかげを受ける、
信心を始める、そしてビックリする様なおかげを頂く、
それは取次者の力によるものだと
そしてそこから本人自らの精進努力、心の改まりによって、
それこそ日勝り、月勝り、年勝りのおかげを頂く、
しかしそれは一代限りの、本人限りのおかげだと、
そこから更に、神様のお役に立ちたいと言うその信心の真を表して、
初めて代勝りのおかげをも頂く事が出来る様になる、と言う、
言わばおかげを頂いて行く、と言う事の段階ですね
これを昨日はお話を頂きました、
大変ドキッとする様な所も有り、
なる程そうなのかと言う所も有りますね
やはりどうでも、代勝りのおかげを頂けれる様なおかげも頂きたい、
為にはどうでも神様のお役に立ちたい、
と言そのいわゆる信心の真、
自らの真を表して初めて
代勝りとも言えるおかげが頂く事が出来ると言う事ですね
一見の客としてのおかげから、それこそ馴染みの客としてのおかげ、
そして更に代勝りのおかげへと発展して行くおかげを、
やはり神様も授けたいと願われるのですから、
私どもも頂きたいと、頂く精進努力がやはり要りますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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