2022年9月2日金曜日

自らの幸せの為の信心から、他者の幸せを祈っての信心へ (2022-09-02)

 今日も和賀心学 (2022-09-02)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


何故、何の為に信心するのか。病気災難を逃れる為、悩みや困り事を解決して欲しいから、願いを叶えて欲しいから等など色々な入口もあると思う。そして、心を育てる為、和らぎ賀ぶ和賀心を目指してと育って行くのであろうが、自らの幸せの為の信心から、他者の幸せを祈っての信心へと育つ事もまた要る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 154頁)


ビデオ: https://youtu.be/sURCfizmQto

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/09-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-09-02.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御神訓




不浄のある時は先に断りおいて

願いあることを頼めよ




穢い心が不浄です、即ち我情我欲です

いよいよ「真、善、美」の中に住みたい




「偽りのない」「悪のない」美の世界、

即ち神徳の中にある歓喜に満ちた生活




そこには争いのない病気のない、

勿論、物金等に不自由のない世界が限りなく開けてくるのです




神徳の世界とは

不浄のない別天地




この別天地、神徳の世界に住まわせて頂きたい

その為に信心をしている、と言う事も有ると思いますね




今朝頂きますのは、これは月並みの言葉かもしれませんけれども、

何の為に信心をしているのか




それこそ何故信心をしているのか、と言う事なのですね

それが一つには今朝のミニ御理解にも有ります




その神徳の中にあると言う別天地に住まわせて頂く、

その為に信心をしている、と言う方も居られると思いますね




それは信心の程度に応じて、

または年数に応じて様々な信心の目的と言うのでしょうか、




何の為に、

何故と言うのが有ると思いますね




ただ友人から、知り合いから誘われたから何となく信心をしている、

始めたと言う人も居られるかもしれません




そしてまたやはり私ども、困った難儀な事が有った、悩みが有った、

その悩みを解決してもらいたい為に信心をしている




あるいは願い事が有る、その願い事を叶えてもらいたい、

だから信心をしている、とその願い事にもやはり色々有りましょう




またそれこそ自分の願い、と言うのか自分の難儀を叶えてもらう

と言うばかりではない




その何と言いましょうかね、

親の病気を治したいから、あるいは子供の病気を治したいから、




そのまた友人知人の方達の病気を治したいからと言った様な、

いわゆる人の為に信心を始めた、と言う方も居られると思いますね




さあ今私どもが何の為に信心をさせて頂いているのか、

勿論御教えを頂いて居りますと、自らの心を改める為に、




それこそ魂を磨く為に信心をしておる、

和賀心を、和らぎ賀ぶ和賀心を頂く為に信心をしておる、




と言う方も勿論居られると思います

様々な何の為が有ると思いますね




その中でも大別すると、

一つは自分自身の為に信心をしていると言う信心、




これは自らの心を改まると言う事であったり、

自らがそれこそ和らぎ賀ぶ和賀心を頂く為と言う事であったり、




おかげを頂く為と言う事であったり、自らの願いが叶う為

と言う事であったり、いわゆる自分自身の為の信心ですね




そしてもう一つは、人様の為の信心と言う事になりますね

人様が助かられる事の為に信心をさせて頂く




自分自身がそれこそ御神徳を頂く為とか、その勿論御神徳を頂くでも、

人が助かる事の為にはどうしても神徳が必要だ、




とだから神徳を頂く為の信心をする、

それも最終目的は人が助かる為に、




人様に助かってもらいたい、

その為に信心をしていると言う事になりますね




今朝頂きますのは、その自らを益する為、

自らの利になる為の信心ではなく、




人様が益する為に、あるいは人様のお役に立つ、

人が助かる事の為の信心をさせて頂く、と言う所に、




言わば私どもの意識と言うのでしょうかね、

願いと言うのでしょうか、




そう言うものが育って来なければならない

と言う事なのですね




師匠が良く信心を初めに、初めて来られたと言いましょうか、

そう言う方には親孝行の話をする、と仰って居られました




その何故親孝行なのか、よくよく考えてみますと、

それは親孝行と言うのは親に孝行をしたいと言う訳です、




親に喜んでもらいたい、親に助かってもらいたい、

言わば自分以外の他者ですね、




一番その心が入りやすいと言うのでしょうかね、

その他者、他の人の事をおもんばかる心と言うのでしょうか、




それが親孝行のベースに流れるものだと

思うのですね




ですから親孝行をすると言う事は、

自分以外の人に喜んでもらいたい、




助かってもらいたい、幸せになってもらいたい

と言うその心の芽を育てると言う事だと思うのですね




私どもの信心の目的と言うものが、

自分自身を益する為と言うそこから、




もう一歩育って、人が助かる事の為に信心をさせて頂く、

それこそ成行きを尊ぶでも、心を改るでも、




自らが言わばおかげを頂く為にと言うのではない、

人様が助かられる事の為に、自らが改まって行く、




人様が助かられる事の為に成行きを尊んで行く、

この成行きを尊ぶ事によって、




勿論私にかけられた神様の願いが成就する、

と言う信心も有りましょう、




またこの成行きを尊ぶ事によって、

あの方がおかげを頂いて下さる、




幸せになって下さる、

助かって下さる、と言う頂き方も有る訳ですからね




どうでも他の人、自分以外の人が助かる事の為に信心をさせて頂く、

と言う信心もやはり身に着けて行かねばならないと言う事ですね




それが自、他、共の助かり、また神様も助かって下さる、

それこそ三位一体の助かりともなれば一層有難いことでは有りますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿