2022年9月5日月曜日

話と祈りだけで人助けのお役に立つ (2022-09-05)

 今日も和賀心学 (2022-09-05)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


私ども取次者として人が助かる為のお役に立たせて頂きたいと願う訳だが、では何が出来るか、どうやって人が助かる御用を、何の御用をさせて頂けるのかと言うこと。今朝頂くのは、話をする事、祈る事、この2つしか出来る事は無いと。手足や頭を使って人助けの御用に立つのではない、話と祈りだけだと。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 379頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第62




昔から、人もよかれわれもよかれ、

人よりわれがなおよかれというておるが、




神信心をしても、わが身の上のおかげを受けて、

後に人を助けてやれ




神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ

にわかに先生にはなれぬぞ




信心による助かりとは、

心安らぎ心豊かになること




『我身の上のおかげを受けて』

ということはこのようなおかげを言うのである




悲しみの中にも喜びの中にも

この歓びが湧いてくる




水は低きに火は上に、これは天地の道理である

道理に従うからその折々のリズムが生まれてくる




神の神用(神にもちいられるの意)もついてくる

神さまに使ってもらわねば人は助からん




お役に立ちたいの一念が

神様への情念と変わる




神様に使ってもらわねば人は助からん、

と師匠大坪総一郎師は仰って居られますね




私どもそれこそ取次者として

人が助かる為のお役に立たせて頂きたい




人助けの御用に使うて頂きたい

と願う訳ですけれども




今朝頂きますのは、

ではその人が助かるお役に立つ、どう言うお役に立てるか




具体的に何が出来るか、人を助けるお役に立ちたいと願う、

それで具体的に何が出来るかと言うのですね




例えばお商売の人であるならば、

人々が欲しいものを売る




レストランなら、レストランでお客さんが喜ばれる美味しいものを

提供する、勿論その品質とか値段の関係も有るでしょうけれども




あるいは何ですか、その修理が得意な人は何か壊れている物を

修理をする、そして助けてあげる、




あるいはそこに重い荷物を持って歩いているお爺さん、

お婆さんが居られるならば、




その重い荷物を持って差し上げる、

一緒にその運んで差し上げると言うのでしょうか、




そう言う困った事に出会っている人を助ける色々な助け方が

有る訳でしょうね、お医者さんなら病気を治して助ける、




弁護士さんなら何か弁護士を、法律的な弁護をしたり、

アドバイスをして助ける




では取次者として、御道の御用を頂く者としての人助けの御用、

助けのその内容は何か、何が出来るかと言う事なのですが、




今朝頂きますのは、その 2つの事だと

一つは話す事、お話をする事




この方の道は話を聞いて助かる道とも言われます、

その話をする、話を聞いた人が助かって下さる、




言わばその話をして助けるお役に立つ、

ともう一つは祈ると言う事、




神様に祈り、そしてその祈った事が、神様が働いて下さる、

動いて下さらなければなりませんけれども、




その神様を動かす程しの祈りと言う事になりましょうかね、

厳密に言うとこの 2つしか出来ないと言う事ですね




取次ぎの先生が病人の所に行って、何かお薬を与えたり、

外科的な治療をして治すと言う訳にはまいりませんね




出来もしませんしね、取次ぎの先生に何が出来るかと言うと、

話を聞いて、話をして、そしてまた神様に祈って、




それ、まぁそれだけしか出来ない訳です




他に何か手を貸して、例えばお金が困ってる人にお金を与えるとか、

お金を貸すとか、そう言う何か、何と言いましょうかね




何をして人助けのお役に立つか、

それは話をする事、あるいは聞く事とも言えるかもしれませんね




聞いて、話す事、

そして神様に、天地金乃神様に祈ること




特にこうやって例えばお話をさせて頂く、これはあちらの方から、

聞いて下さいと言う事が無い限り、聞く事は出来ませんから




こちらからの一方通行になるのかもしれません、

話すと言う事になるかもしれません




その話を聞いて下さった方が

助かって下されば有難い事ですけれども




その愈々大きく分けると

やはり話すと言う事と、祈ると言う事この 2つしかないのだと




取次者がお役に立てる、人を助ける、人が助かるお役に立つ、

それは話す事と、祈る事この 2つしかないと




この 2つの、何と言いましょうかね、

方法をもって人が助かるお役に立つのだと言う事なのですね




そして話をして、話を聞いた人が合点して助かる

と言う事も有りましょうし、




また話を聞いて、その話を聞いた内容を実験してみる、

そしてそこに実証が現れる、神様の御働きが現れると言う訳ですね




神様の御働きも、

棚からぼた餅的に現れる場合も有りますけれども、




それは 1回であったり、 2回であったりと限られた、普通で言えば

偶然とか、たまたまとか言われる程度の事でしか有りませんね




ですからそれを四六時中神様の御働きを実感して頂く為には、

やはりその話を聞いた方が行じて頂かなければならない




何を行じる事によって神様の御働きを働きとして、

祈りを祈りとして感じてもらえるか、




それは先生によって色々有るのかもしれませんけれども、

師匠大坪総一郎師の許で信心の稽古をさせて頂く者にとっては、




成行きを大切にする、

その身の上に起こって来る成行きを大切にしてもらう




その事によって神様の御働きに触れる、

神様の愛、神愛にも触れて行く事が出来る




そしてそこから

助かりの世界へ入って行く事が出来る




してみると

私ども師匠の許で信心の稽古をさせて頂いている者にとっては




人を助けさせて頂く、人助けのお役に立ちたい、

御用に立ちたいと言う者にとっては、




話をして、話を聞いて下さった方達が、

よしそれなら成行きを大切にして見よう、




尊んで見よう、と言う気になって、実際に行じてもらう、

それしか人が助かる道は無いと言う事なのですね




いや人を助ける道は無いと言うよりか、

人を助ける御用に立つ道はそれ以外には無いと言う事ですね、




私どもにとってはですね、

いやこれは私にとってはと言う事かもしれませんね




話を聞いて下さる方が、成行きを大切に尊んで下さる、

そしてそこに神様の御働きを実感してもらう




やはり信心は感じるものですからね、

神様の愛を感じるものです




勿論その前には、分かると言う事が有るのかもしれません、

どちらが後先か、鶏が先か、卵が先か分かりませんけれども、




神様の愛を分かり、そして神様の愛を実感してもらう、

感じ取ってもらう、そこに助かりの世界が開けて来る、




と言う事になりますからね

話を聞いて頂き、成行きを大切にして頂く、




その成行きを大切にして下さる上に、

人の上に神様の愛の働きが現れて来る、事をまた祈らせて頂く




話をすると言う事と、祈ると言う事、

この 2つの事しか出来ない、




またこの 2つの事で、

人が助かる為のお役に立たせて頂く、と言う事になりますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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