2022年9月30日金曜日

神様のおかげを頂かない日が有って良かろうはずがない (2022-09-30)

 今日も和賀心学 (2022-09-30)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、神様のおかげを頂かない日が有って良かろうはずがない、と頂きました。今日は一日神様はお休みだからとか、私どもが今日は一日神様から離れた所で神様のおかげを頂かずに過ごそうと言う様な事は有りませんね。天地金乃神様のおかげを頂き続けての日々であり、おかげを頂かない日が在ろうはずが無い。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 16頁)


ビデオ: https://youtu.be/k-Jxd5g0bVc

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/09-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-09-30.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

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(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

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御神誡




幼少の時を忘れて親に不孝のこと




平重盛は

「孝ならんと欲すれば忠ならず忠ならんと欲すれば孝ならず」




とそのジレンマにおちたという

真の親孝行とはそんなものではない




お道の信心を以ってすれば、孝にもなり忠にもなる、

双方が立ち行く道が開けてくるものである




つい先日もこのミニ御理解を頂いた様に思いますね

幼少の時を忘れて親に不幸の事、と




幼少の時を忘れる、それは親様にお世話になっていた時を忘れる、

と言うのでしょうかね、




どれ程親様のお世話を受けていたかと、

それが中々分からない訳ですね、




今朝頂きます事は、

神様のおかげを頂かない日が有って良かろうはずが無い、と




神様のおかげを頂かない日、

そう言う日が有って良かろうはずが無い、と言うのですね、




今日は仕事が無い日とか、休みですね、の日とか、

学校が無い日、と言うのが有りますね、




しかし私ども、この世で生かされている、と言うのでしょうかね、

生活をしておると言うのでしょうか、




そこに、今日は神様のおかげを頂かない日だ、

神様がお休みされる、と言う事でしょうかね、




または私どもが、神様から遠のくと言うのでしょうかね、

そう言う日が有るはずは無い、在るはずが無い、




それこそ一日として神様のおかげを頂かない日、

と言うものが在るはずが無い、有ろうはずが無いと言うのですね、




今朝の教祖様の御理解に

何か通ずる様な所が有る様な感じが致しますね




言わば親の恩を受けておりながら、親の恩を気付かない、

恩に気付かない、忘れてしまうと言うのでしょうかね




毎日毎日それこそ神様のおかげを頂いておりながら、

その神様のおかげを頂いている事に気付かない、




またこれまで頂いて来たおかげを忘れてしまう、

と言う様な事ではならない、と言う事だと思いますね




私どもが日々生かされている、生きておると言うだけでも、

神様のおかげを頂いている、と言う事かもしれませんね




とにかく私どもが日々に神様のおかげを頂かない日、

頂かなくても良い日、と言う日は無いと言う事なのですね




親の恩を受けていない日、親の恩を受けていなかった日、

と言うものは無いと言う事ですね




それこそ日々に、毎日神様の、親の恩を受けて居る、

と言う事でも有りましょうね




信心すれば、あれもおかげ、これもおかげと分かると、

そうなれば真の信者じゃ、と言う御教えが有りますね、




これは神様のおかげを頂くと言う事が、

それこそ今まではおかげとも思っていなかった様な事、




今まではそれこそ何事も自分でやって来た、自分でして来た、

また自分で出来る、と思うていた様な事が、




実は神様のおかげで、させて頂いていたのだ、

と言う事が分かる様になる




信心すればおかげの世界が広がって来る、と言われますけれども、

それが、1 おかげを受けていたものが、10 おかげを受ける様になり、




100 おかげを受ける様になる、

と言う事も勿論有りましょうけれども、




それとはまた違った意味で、

今まで神様のおかげを 1 しか感じていなかった、




言わば私どもが頂いているものは同じだけれども、

それを神様のおかげとも感じていなかった、




いわゆる氷山の一角の隠された、水の下に隠された、

言わば私どもが気付いていなかった部分、




そこに、あああれも神様がおかげを下さってあったんだ、

神様のおかげであれが出来させて頂いたのだ、




と、いわゆる今まで気付かなかった所に、

神様のおかげであった、と言う事を気付く様になる、




それによって、おかげを頂いて居たと言う世界が広がって来る訳ですね

そして愈々そのおかげの世界が広がった世界、




それが今日一日神様のおかげを頂かない日、

と言うものが有ろうはずが無いと、




日々丸ごと神様のおかげを頂きに、頂き通しに、

頂き続けていると言う事なのですね




ですからやはり朝、目を覚まさせて、

起きさせて頂く、




勿論その目を覚ます、起きると言う事も、

神様のおかげを頂いて、目を覚まさせて頂く、




そしてまた今日も一日、神様のおかげを頂きに、

頂き続けて行こうと、




どうぞ頂きに、頂き続けさせて下さい、

と言う一日の始まりでなければならないし、




また夜になったら、夜になったで、

今日一日、神様のおかげを頂き続けて居った、




と言う実感ですかね、

を持って一日を終わりたいものですね、




そこに至った時に、それこそ有難い、と言う心も、

今日も一日有難い一日であった、




また今日も一日有難い一日になります様に、

と言う事に繋がって来るのではないでしょうかね




私どもが、

神様のおかげを頂かない日が有って良かろうはずが無い、




それこそ毎日毎日、日々神様のおかげを頂きに、

頂き通しに頂き続けて居る私どもであると言う事ですね、




神様のおかげを頂かない日が有って良かろうはずが無い、

と言う事なのですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年9月29日木曜日

信心の稽古は、先ずは好都合のおかげを頂く事から (2022-09-29)

 今日も和賀心学 (2022-09-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


昨日から今朝にかけて好都合のおかげが続いている。急ぎのビデオの編集があって昨夜は2時一寸前に寝ませて頂いた。そして3時過ぎにはいつもの様に目覚ましのおかげを頂いた。2010年のiMacのHDDをSSDに換装させて頂き師匠の研修の編集専用に使える様になった等など。先ずは好都合のおかげを頂く事から。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 397頁)


ビデオ: https://youtu.be/JkB8amkdRqI

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中原博信

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御理解 第68




神参りをするに、

雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ




その辛抱こそ、

身に徳を受ける修行じゃ




いかにありがたそうに心経やお祓いをあげても、

心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ




拍手も、無理に大きな音をさせるにはおよばぬ

小さい音でも神には聞こえる




拝むにも、大声をしたり、節をつけたりせんでも、

人にものを言うとおりに拝め




三代金光さまのおことばに

『神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます』




とあります




信心辛抱させて頂く内に、

三代さまの又のおことばの中にありますように




『ほしいものも、考える事も、いつの間にか無くなりましてなあ

有難うて有難うてならぬようになり、なんぼう御礼を申しても、




足りませんのじゃ、御礼の足りませぬお詫びばかりしております』

というお徳に進まれておられます




『はじめの間は泣く泣く辛抱しいしい』

とも仰せられて居ります




とかく信心辛抱こそ、すべての徳の根本になるものであります

人生の上におきてくる雨風の上にもまた同じことであります




人生の上に起きて来る雨風、

と申して居られます




その人生の上に起きて来る雨風、

それとても神様の御働きとして辛抱して行くと言うのでしょうかね




そこに込められた神様の思いと言うものを感じ取らせて頂く、

と言う事だと思いますね




しかし人間その雨風の時ばかりでは、

その雨風が神様の御働きと頂く事は中々難しい、




寧ろお天気の良い時、それこそ自分にほんぞらぬくい、

都合の良い日と、仰って居られますね、




その自分に都合の良い事が起こって来た時、そう言う時には、

私どもは、ああこれも神様のおかげだ、と感じやすいですね




私もここ昨日から今日にかけて、私にとって大変都合の良い事、

有難い事、いわゆる有難い事が続いて居ります




そう言う中に、やっぱり神様は有難いなあ、有難いお方だなと、

神様が御働き下さっているなと、感じやすいですね、




それこそ昨日と言いましょうか、今日と言いましょうか、

ある急ぎのビデオの編集の御用があり、




まぁ昨夜と言うのでしょうかね、今朝と言うのでしょうか、

寝ませて頂いたのが 2時前でした 




さあこれで朝起きれるだろうか、と思いながら、

お願いさせて頂きながら寝ませて頂きましたら、




3時過ぎには目を覚まさせて頂く事が出来ました、

有難い事ですね、1時間一寸は寝ませて頂いたのでしょうか、




その目を覚まさせて頂いたと言う事、

まぁいつも通りに目を覚まさせて頂くと言う事、




これがやっぱり有難いなと思いますね、

これなど自分にとって都合の良い事ですよね




そしてまたパソコンですか、その iMac が、古いですから、

ハードディスクがもう、何と良いますかね、壊れる寸前で、




これはもう駄目かな、と言う所だったのですけれども、

そのハードディスクを SSD と言うのに交換させて頂きましたら、




これでまた 2~3年は使えるだろうか、

これで初代の、師匠の研修のテープの編集が使えるなと、




そう言うのに使えるなと、

言う感じなのですね、




でこれはよし研修の、初代の研修の編集用に、

専用に使わせて頂こうかと、




これなど私にとって都合の良いおかげですね、

そう言う自分にとって都合の良い事に対しては、




あぁ有難いなあ、神様のおかげだな、

と感じやすいですね




ところが雨や風が吹いて来ると、

それも神様の御働きとは中々感じにくい




しかしその先ずは自分にとって都合の良い、

そう言うおかげを頂き、




そしてそこに、なる程神様は有難い御働きを下さるな、

と言う言わば自分にとって都合の良いおかげを頂く中に、




神様の御働きの間違いなさと言うものを実感させて頂く、

そしてそう言う事の積み重ねが有るからこそ、




言わば雨が降って来た時も、風が吹いたり、雪が降って来た時でも、

あぁこれも神様の働きに違いない、この事を通して、




神様が何かを、それこそ私どもの心を育てようとしておる

神様の御働きに違いない、と言う事が本然と分からされる訳ですね




ですからその雨や風や雪の日ばかりでは、

とてもその事が神様の御働きとは頂けないけれども、




そこにほんぞらぬくい天気の日であったり、

私どもにとって都合の良い事が次々と起こって来る、




そう言う中に初めて、

神様の御働きを働きとして実感するのではないでしょうかね




教祖様も、先ずは願う氏子におかげを授け、

理解申して聞かせ、と仰って居られます様に、




先ずはそれこそ神様の、私どもにとって都合の良い、

都合が良い、有難いと言うおかげを頂き続ける事によって、




神様の御働きを実感すると言うのでしょうか、

そこがあって初めて、




その次に、都合が悪い事が起こって来た時でも、

これもまた神様の働きだ、神様の働きに違いない、




働きだとして受けて行く事が出来る、

ようになるのではないでしょうかね




飴と鞭と言われますけれども、

鞭ばかりでは有難いとは頂けませんね、




そこに飴も有り、これはお菓子の飴ですね、

そのお菓子の飴も頂き、鞭も有る、




その両方が相まって行く所に、

私どももまた育って行く、




神様の御働きを、神様の御心を愈々深く実感させて頂く事が出来る、

と言う事になるのではないでしょうかね、




先ずは好都合のおかげを、

やっぱり沢山頂いて行かねばなりませんね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年9月28日水曜日

人の真の助かりは五行即ち、日参、聴教、信行、心行、家行の行を貫く信心生活にある (2022-09-28)

 今日も和賀心学 (2022-09-28)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、私のこれまでの間違いを正して頂いた様に思う。人間の真の助かりは教えに有るのではないと。勿論その一部は教えにも有るが、教えだけでは真の助かりは得られない。人の真の助かりは信心生活にあると。端的に具体的に言えば五行即ち、日参、聴教、信行、心行、家行の行を貫く信心生活にあると。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 335頁)


ビデオ: https://youtu.be/4cNyv1K6HlQ

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/09-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-09-28.mp3


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中原博信

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御理解 第47




祈れ薬れにすればおかげも早いが、

薬れ祈れにするからおかげにならぬ




『くすりはどくです』と教えて下さるのですから

毒薬変じて薬になるおくり合わせを願わずにはおれません




今朝は私の間違いを正して下さった様な感じが致して居ります

今朝の師匠の、大坪総一郎師のミニ御理解に、




と教えて下さるのですから、願わずに居れません、

と有ります、




今まで、これまでと言うのでしょうか、私は、

人が助かる、人が真実助かる、その事の為に言わば合楽理念が有ると、




そしてその合楽理念を伝える事が、人の真実の助かりに繋がるのだと、

そう考えて居りましたが、




どうもこれが全部が間違いではないけれども、

一部が正しいけれども、その何と言いますかね、




それだけで十分ではない、と言うのですかね、

教えを伝えると言う事だけでは、




人の助かりには、全部の助かりを引き出す事は出来ない、

と言うのでしょうかね、教えだけでは人は助からない、




確かに教えで助かる部分も有りますけれども、

教えだけでは助からないと言う部分も有る、と言う事なのですね




師匠もそれこそ、

教えて下さいますから、願わずにはおれません、と




教えて下さいますから、と言うその、薬は毒です、

と教えを頂いただけで助かっている訳では有りませんね




その事が分からせて頂き、そしてそこから、では何をするか、

祈らずにはおれません、と言う祈りと言う、




祈ると言う私どものそこの行いがあって初めて、

助かりと言うのが得られるのだと思いますね




今朝教えて頂きますのは、人が真実助かると言う事、

それは教えだけでは十分ではないのだと、




教えを伝えたからと言って、教えを頂いたからと言って、

人が助かるものではないと、




確かにそれは一つの何と言いましょうかね、手段と言うのでしょうかね、

手立てを示すものではあるのでしょうけれどもね




師匠が、合楽理念は助かりの理念だと、教えて下さいました、

ですからこの合楽理念さえ伝えれば人が助かるのだと、




その合楽理念によって人が助かるのだと、

そう理解していたのですけれども、それでは未だ不十分だと、




いわゆる合楽理念だけでは、それを伝えただけでは人は助からない、

では人が真実助かる、それはどこに有るのか、




人の真実の助かりは御教えに有るのではない、

勿論御教えによる所も有りますけれども、




今朝教えて頂きますのは、人の真実の助かり、真の助かり、

それは信心生活に有ると




その教えを頂いたと言うだけでは、

真の助かりには至らない、




真の助かりに至る為には、

その信心生活と言うのが、人の真の助かりに繋がるものだと




それは信心生活と言うのですから、

朝、昼、晩の御祈念であったり、教えを頂く事であったり、




神様に祈る事であったり、

勿論教えを聞いて、その教えを行じると言う事もその中に、




いわゆるそれら一切のものが含まれたその信心生活の中に初めて、

人間の、人の真の助かりが有ると言う事ですね




そしてそれを師匠が端的に示されたもの、

それは五願五行の中の五行、これが信心生活だと、




日参、聴教、信行、心行、家行の行、

この五行を為す時に、それが信心生活となると、




そしてその信心生活の中に初めて、人の真の助かりが有るのだと、

今日は何かそう言うものを教えて頂いた様に思います




人が真に助かる為には、

ですから五行を貫かねばならない




信心生活の中にこそ、信心生活の中に初めて、

人の真の助かりが有るのだと




その五つの行を大切にすると言うのか、

やはりこの五つの行を貫かせて頂くと言う所に初めて、




真の助かりが有ると言う事ですね




どうでもこの五願五行の五行に勤しむ、

信心生活に勤しむ、そう言う日々でありたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます