2022年8月19日金曜日

人々の難儀を救う3つの方法 (2022-08-19)

 今日も和賀心学 (2022-08-19)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、人々の難儀を救う方法を3つ教えて頂いた。1つは、全てがその人の思い通り願い通りに事が運ぶこと。2つは、難儀の元となっている願いを取り下げる事、即ち我情我欲を捨て去ること。3つは、起こり来る成行きの一切を受け貫く覚悟を作り受け貫く事、即ちその事柄を心磨きの材料として行くこと。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 201頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第3




天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、

神仏の宮寺、氏子の家屋敷、みな神の地所、




そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、

前々の巡り合わせで難を受けおる




この度、生神金光大神を差し向け、

願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、




末々まで繁盛いたすこと、

氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたす




親のふところにありながら親のふところにあることを知らず、

不安焦燥の生活をなして居る状態は、




天地金乃神として、又親として、みるにみかね給うところから、

生神金光大神を差し向け、親子共々の繁栄、幸せを願われたものである




その不幸の第一は、人間氏子の見当ちがい思いちがいの生活が

其の原因をなしておると指摘し、メグリの根絶を願われたものである




どこに難儀のもとがあるかを知り、

親のふところにある子供のような安心を頂かねばなりません




(昭和44年7月20日、朝の御理解を参照)




どこに難儀の元があるかを知り、

と師匠大坪総一郎師は仰って居られますね




なる程今朝の御理解を頂いたのは、

ここを頂くのだなと思いますね




ここに、今朝の私の心中祈念の時に

感じさせて頂いたものとの共通点が有るのですね




心中祈念の時にやはり、どうぞ人々を助ける御用に立たせて下さいと、

また難儀な人達を助けさせて下さい、




それこそおかげを授けられるものなら、

授けさせて下さいとお願い致します




お願い致して居りましたら、フトどうしてでしょうかね、

フトした事を思わせられたのですけれども、




それは人々が難儀をする、

難儀に思うと言うのでしょうか、




それは若し人々が自分の思い通り、願い通りに事が運べば、

難儀は無いだろうと、




私どもが思い通りの様に事が運ぶ、願いが願い通りに事が叶う、

そうすればそこにはもう難儀は無いだろうと言うのですね




確かにそうかもしれませんね、私どもが思い通りに事が運ばないから、

願い通りにならないから、難儀だなと思う訳ですね




自分のああしたい、こうしたい、あの人があああったら、

この人がこうあったら、あれが食べたい飲みたい、




あれがしたい、これがしたいと言うものが、その思い通りに、

願い通りに事が運ぶならば、確かに難儀は有りませんね、




その人々から難儀を取り除こうとすれば、その人の思い通り、

願い通りに全てが成る様にすると言う事でしょうかね




このどこに難儀の元が有るかと、

またその難儀を取り除く、難儀から解放するにはどうすれば良いか、




それはその難儀と思うておる人の願い通りに、

思い通りに事が運ぶ様にしてあげれば難儀は無くなる訳ですね、




その難儀を取り除くには 2つ方法が有る

と言う訳ですね、




一つはその難儀の元となっておる、言わば今自分の思い通りになって

いないと言うその思い通りにしようと言うその思い、願いを取り除く事、




これは我情我欲を取り去る、

と言う様な表現もされますね、




その願い通りにならないその願い自体を取り下げる、

と言うのでしょうかね、そうすれば難儀は無くなりますね、




また若しくはその願い通りに事が運ぶ、

そうすればまた難儀も無くなりますね、




この 2つだと言う訳ですね、

ですから人々がどうぞ難儀から解放されます様に、




難儀な人々を助けて下さい、助けさせて下さいと言う事は、

人々の願いが願い通りに、思い通りに事が運びます様に、




そう言うおかげを授けて下さい、と言う事になる訳ですね、

そう言うものだと言う事なのです、




それが良いとか悪いとかはまた別の話ですね、

そしてまた次に思わせられました事は、




そしてもう一つ、そのいわゆる人々から難儀を取り除く、

難儀な人を助けてやるその方法のもう一つは、




人々がそれこそ自分の身に起こって来る事柄、

それを一切を受け貫く事だと、




受け貫くと言う覚悟を作る、そして受け貫いて行く、

そうすればそこには難儀は無いと、




いわゆる師匠が教えて下さる、

成行きを大切に尊ぶ、頂くと言う事ですね




なる程今物事が何か起こって来た、

その事を受け切らないから、その事から逃れたいと思うから、




その事を自分の思い通りに、願い通りにしたい、

と思う所に難儀が発生して来ている訳です、




ですからその身の上に起こって来る事柄一切を、

それこそ黙って受け貫く、その受け貫く腹が決まれば、




またその起こって来る事柄を通して自らの心を改まって行こう、

魂を磨き清めして行こう、とその事柄を受け貫く、頂く、




成行きを頂く事に腹が決まり、そう行じて行けば、

そこにまた難儀は無くなる訳ですね




難儀が難儀ではなくなる、寧ろ有難い事になって来る、

この事のおかげで改まる事が出来た、それこそ磨く事も出来た、




心も清まる事も出来たと、

言わばお徳も頂いて行く事が出来ると言う事になる訳ですね




ですから難儀を解消する、その方法は

3つと言う事になりますかね、




難儀の元となっておる願いを捨て去る、

あるいは難儀と思っている事が、その事が自分の思い通りに事が運ぶ、




ともう一つは、その事をそれこそ自らの心を肥やす素として

頂き貫いて行く、そこに難儀がもう難儀ではないものとなって行くと、




その様な事を今朝は、神様からお知らせ頂いた、

教えて頂いた様に思います




もう一つついでに、昨日研修を、初代の研修を頂いて居りましたら、

心すべき事を仰って居られました




合楽理念、合楽理念と言う、

そしてそこになる程合楽理念と言えばおかげが頂けれると、




それはその合楽理念の内容が師匠大坪総一郎師の中に有るから、

言わば師匠が合楽理念を行じておるから、




その縁ある人々が、合楽理念と言うだけでおかげになると、

ただそれは縁ある人々が、おかげになると言うだけだと、




その縁ある人々が、

合楽理念を唱える人の上におかげが有ると言うのは、




師匠が合楽理念を行じておるからだと、

言う様なお話でしたね




しかしそれは、そのおかげを受ける人々にとっては、

おかげだけで止まってしまうと、




それがお徳にもなって行く、子孫繁盛家繁盛と言った様な、

それこそ思いもかけぬ様な願い以上、思い以上のおかげへと展開する、




その為には、ただ合楽理念と言うだけではなく、

その人自身が行じて行く、行じなければならない、




と言った様なお話でしたね




今日の難儀を無くすにはどうしたら良いか、

と言うのにも何か繋がる様な感じが致しますね、




ただ難儀から逃れる、

で終わるのか、




その難儀を、難儀から逃れるばかりではない、

その事を叩き台にしてと言うのでしょうか、




踏み台にしてと言うのでしょうか、更に御神徳を頂いて行く、

更に願い以上、思い以上のおかげへと発展させる、




その幾つかの方法が有りますね、

さあそのどの方法をもって人々を導いて行くか、




助かりを頂いて頂くか、

と言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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