2022年8月17日水曜日

成行きを人が助かる為の修行として頂く (2022-08-17)

 今日も和賀心学 (2022-08-17)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


日々の中には、嫌な成行き、スルーしたい様な成行きもやって来る。さあそれをどう頂いて行くか。一つには、これを頂いたら次のおかげが待って居るぞと言う頂き方。次には、この成行きを御神願成就の為に頂くと言う頂き方。次には、よしこの成行きを人が助かる為の修行として頂いて行こうと言う頂き方。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 130頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




信心は本心の玉を磨くものぞや




本心に立ち返るということは、

人間、この世に生を享けると同時に神性が授けられる




ところが成長するにしたがい我が芽ばえてくる

神性とは似ても似つかぬ浅ましい苦悩の道へ堕落してゆく




そうした人生の分岐点に立った時、

真の道を示してくれるのが真の信心である




真の道を示してくれる、

その真の道とは何だろうかと思いますね




師匠が、師匠大坪総一郎師が教えて下さる真の道と言うのでしょうか

この人生の生き様と言うのでしょうか、どう生きるか、




それはやはり成行きを尊び大切にする、

では何故成行きを大切にするのか、




その成行きを大切にすると言う大切にする動機と言うのでしょうか、

これがやはり大切だとそれこそ思うのですね




何故成行きを大切にせねばならんのか、

例えば天地書附にも、おかげは和賀心にあり、




おかげは和らぎ賀ぶ和賀心にあり、

これもそのその時その時で解釈が違いますね




ただおかげは私の心にあるのだと、言わば私の心の持ちよう、

その心の持ちようにおかげがあるのだと言う頂き方も有れば、




いやもっと厳密に和らぎ賀ぶ和賀心と仰って居られる、

だからその和らいで居れ、賀んで居れるその心におかげがあるのだ、




と言う頂き方も有りますね、

中には教祖様は余り沢山の字をご存知では無かった、




だから我が心、私の心、自分の心と言うのを和らぎ賀ぶ和賀心と言う、

いわゆるその当て字を使われただけだ、




と言う人も中には居られるかもしれませんね、




そこの真意は、これはやはり教祖様にお尋ねしてみなければ分からない

所でしょうけれども、今となっては尋ねようが有りませんからね




別の御教えに、和らぎ賀ぶ和賀心と書くのじゃと仰って居られますから、

やっぱり意識してこの和らぎ賀ぶ和賀心を使って居られる、




これは後の方の様ですけれどもね、

先の方では、一番最初のいわゆる原型と呼ばれる部分では、




ただ単に自分の心と言う意味だったのかもしれません、

そう伺える所が有る様にも思いますね、




神様がお示し下さった、神様が伝えようとなさった、それはやっぱり

和らぎ賀ぶ和賀心であったと言う様な感じが致しますね




では何の為に和賀心になろうとするのか、

それはやっぱり普通に頂けば、




和賀心になればおかげが有る、

ご利益が有る、




病気で言えば病気が治る、

その病気を治そうとする為に和賀心になろうとする、




おかげは和賀心にあるのだから、和賀心になれば病気が治る、

と思うから和賀心になろうとする、と言う時代と言うのでしょうか、




そう言う段階と言うのも確かに有るでしょうし、

それはそれで有って良いのだと思いますけれどもね




いつまでもそれではいけないのでしょうけれども、

いわゆるその和らぎ賀ぶ和賀心自体がおかげなのだと、




例えば病気なら病気になる、病気が治る、病気が治ってああ良かった、

和賀心になったら病気が治った、と言うのも確かにおかげでしょう、




しかしもう一つのおかげは、なる程病気になった、

病気になったけれども私の心は和らいで居れ、賀んで居れる、




例え病気の中でも和らぎ賀ぶ和賀心を持てて居る、

それはそれでもう助かりの世界ですね




病気が治るとか、治らないとかは側に置いといて、

もうその中にあって、和らいで居れ、賀んで居れる心が、




その状態に居れると言う事は、

もうそこに助かりの世界が有りますね




色々な和賀心が有る、と同じ様に、成行きを大切にすると言うのにも、

何故成行きを大切にするのか、




確かに最初の頃は成行きを大切にすると、

思わぬ偶然が重なって来ますね




それこそ会いたいと思っていた人に会える様になったり、

そのなる程成行きを大切にすれば、いわゆるおかげが頂けれるな、




と言う体験が生まれますね、そう言う体験を通して、

なる程成行きを大切にすればご利益が頂けれるな、




都合の良い事になって来るな、

と言う事も一つ有ると思いますね




そう言う意味において、成行きを大切に尊べばおかげが頂けれる、

ご利益に繋がると言う時代が有りますね




そしてその次が、

師匠が何故成行きを大切にされたか、




その師匠の場合は、

ご利益が有るから成行きを大切にされたのではありませんね




それは私にも神様の願いがかけられておるに違いない、

その私にかけられた神様の願いが成就する為に、一切を受けて行こう、




成行きを、言わば大切にして行こう、

と言う段階に入られたのですね




師匠の成行きを尊び大切にされる、

それは自らにかけられた神様の願いが有るに違いない、




その願いが成就する為に、

成行きを大切に尊ばれたと言う事ですね




そして今朝頂きますのは、もう一つ別の事なのです、実は、

大概は、成行きを尊ぶ事によって神様の願いが成就する、




例え頂き難い成行きでも頂いて行こうと言う時に、

そのよしここを頂けば次におかげが頂けれると思うから、




その成行きを頂いて行く




そしてまたその次には、

よしこの成行きを頂けば神様の願いが成就する、




だからこの成行きを頂いて行こうと腹が決まる、

そしてまたその次なのですね、




今日頂きますのは、よしこの成行きを、

人が助かる為に頂いて行こう、と言う心なのですね




その成行きの頂き方、特に頂き難い、嫌だな、

こんなのは頂きたくないなと言う成行きがやはり有ります、




その成行きをどう言う心になったら頂けれるか、

どう言う心で頂いて行こうかと言う事なのですね、




その心の一つとして、それこそ今までは、この嫌な成行きでも、

頂く事によって神様の願いが成就するに違いない、




として成行きを、

嫌な成行きでも頂いて行く、




そして今日頂きますのは、その嫌な成行きでも、

よしこの事を、この成行きを頂く事によって人が助かる、




人が助かる為の修行としてこの成行きを頂いて行こう、

と言う動機ですね、




おそらく師匠の場合も、

そこに変わって来られたのではないかと思いますね




最初は、その成行きを頂く、

それが神様の願いが成就する為の修行として頂いて行こうと、




そしてそれが、人が助かる為の修行として頂いて行こう、

と言う事に変わって行かれたのではないかと思いますね、




その一つには、師匠がやはり、

お前が苦しめば苦しむほど人が助かる、と頂かれた事が有りますね、




その人が助かる、それこそそれならば、もちっともっと苦しんでもよい、

と言う心が生まれて来るかどうかですね、




そこまで、なる程人が助かる為ならば、

私のこの苦しみで人が助かるのならば、もちっと苦しんでもよい、




もっと苦しみたいとすら思える様な、

それ程しの心が育って来るかと言う事なのですね




その成行きを、事柄を、

人が助かる為の修行として頂いて行こう、




また神様、どうぞ人が助かる事の為に、

その修行としてこの事を頂かせて頂きます、




とまあその裏には、だからどうぞ神様、人を助けて下さい、

と言う事が暗に含まれている事では有りますけれどもね




そう言う神様に対して条件を付けたと、

師匠が語って居られた事も有りますね、




さあ今私どもがその嫌な成行きをどう言う心をもって、

どう言う動機で頂こうとしておるか、




それが一つは、

私どもの信心のバロメーターになるのかもしれませんね




今朝頂きますのは、

よしこの成行きを人が助かる事の為の修行として頂こう、




と言うそう言う心になると言うのでしょうかね、

そう言う心を頂きたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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