2022年8月5日金曜日

天地金乃神様との心の交流を求め続ける信心 (2022-08-05)

 今日も和賀心学 (2022-08-05)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師が教えて下さった信心とは、天地金乃神様との心の交流を求め続ける信心を教えて頂いた様に思う。師匠の傍らでの書き物の読み方の御用や、腹膜透析液交換の御用、たまのお風呂や、トイレの御用で触れさせて頂いたものは、師匠が神様の御心に触れて感動して居られるさまだったように思う。正に師匠と神様との心の触れ合いに触れさせて頂いたのだと思う。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 152頁)


ビデオ: https://youtu.be/uvhP7jTRWqM

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/08-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-08-05.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御神訓




信心して まめで家業を勤めよ

君のためなり 国のためなり




国の為とか君の為とか、むずかしいことは思わぬでも、自らの為、

そして「はたが楽になる」ための「働く」であればよいのです




「その時代にはそれが真」、「今の時代ではこれが真」と

コントロールしてゆくことが真です




山頭火の句に「まっすぐな道でさみしい」というのがあります

まっすぐまっすぐばかりでは興がありません




興が有りません、

と表現して居られます




興が有りません、

面白くないと言う事でしょうかね




ではその興が有る信心とは、

面白い信心とは何だろうかと




それこそ心がときめく様な信心とは

どう言うものだろうかと思いますね




なる程知識や技能を覚えて、

それで新しい事を身に着ける




新しい事を知る、

そこに喜びを感じると言う事も確かに一つは有りますね




信心の新しい発見であったり、なる程こう言う事かと、

まぁそこにその事を身に着ければ、より有難くなる訳ですけれども




今朝教えて頂きますのは、その色々な稽古ごとにも、

いわゆる通いの弟子と内弟子、住み込みの弟子と言うのでしょうかね




その通いの弟子と内弟子との違い

と言う様なものを教えて頂いた様に思うのですが




それはここ数日の一連の、神様の御心が分かる、神様の御心に通う、

そう言う助かり方と言うのでしょうか、そう言う信心ですね




その通いの弟子と内弟子、住み込みの弟子との違いは、

大きな違い、通いの弟子では味わえない様な興と言うのでしょうか、




楽しみ、楽しみとは一寸違いますね、何と表現するのでしょうかね

味わいとでも言うのでしょうかね




その内弟子でなければ味わえない味わいが

やはり有るものですね




それはやはり師匠と同じ屋根の下で起居を共にする

と言うのでしょうか、その中でその師匠との触れ合いが有る訳ですね




そこに何を感じるか、

何を感じさせて頂くか、




私が感じさせて頂いたのは、

やはり師匠と神様との触れ合いと言うのでしょうかね




事ある事に師匠が神様の御心に触れられたのでしょうね、

感動して居られるそのさまを、




それは師匠が神様の御心に触れる、その心を感じられて

そこに感動して居られるその様が、あちこち随所に垣間見せて頂く、




そこだったと思いますね




例えば知識であったり技能であったり、そう言うものは、

お話をされたものを聴いたり、あるいは本を読んだりする事によって




知識や技能は

身に着ける事が出来るのかもしれません




しかしその師匠が神様の御心に感じて、

その感動して居られるその有り様と言うのでしょうかね、




それはやはり身近に居なければ味わえない、

見聞きする事が出来ない一コマではないかと思いますね




少なくとも通いの弟子よりか内弟子の方が、そう言う師匠が神様と

触れ合って居られるその様に出会うチャンスは遙かに多い訳ですからね




なる程誰にでもチャンスは有るのかもしれません

しかしそのチャンスが多いか少ないかと言う事は大切だと思いますね




その確率が、百分の一、千分の一の確率なのか

それとも、そうあれば必ず起きる、言わば百パーセントの確率なのか、




確かに通いの弟子でも

感じ取る事は出来る事も有るかもしれません




しかし内弟子の方が、その師匠の、神様との触れ合いの様に

触れる確率は遙かに高い訳ですからね




それが必ずしも触れられると言う訳では有りませんけれども

触れる確率はかなり高い、ですからやっぱり内弟子の方が良いですね




その師匠が教えて下さる教えや、

信心の技術とでも言うのでしょうかね




そう言うものではない、

師匠が神様と触れ合って居られるその様に触れる事が出来る




なる程ああやって師匠は神様と心が通い合って居られるのかと、

それを肌身に感じると言う事は大切な事だと思いますね




そのやはり信心させて頂き一番大切な事は、

私どもと天地金乃神様との心の交流と言う事だと思いますね




確かに、あいよかけよと言われたり、何と言いますかね

その神様と私どもとの間柄と言うのが言葉だけの間柄ではない




これはよく言われる事ですけれども、

日本人は阿吽の呼吸とか、心と心の触れ合いを大切にします




しかしどちらかと言うと西洋の人は、

その心と心の交流が苦手と言うのか、




言葉で聞かなければ納得が出来ないと言うのか、ですから

アイ ラブ ユー なら、アイ ラブ ユーと耳から聞かなければ




その愛されていると言う事が確認出来ないと言うのでしょうかね

そう言う何か感性の違いと言う様なものが有るのかもしれませんね




しかしその信心させて頂くと言う事は、

やはりその感性と言う事が大切だと思いますね




やはりそれでもアメリカの映画などを観て居りますと

そこには心が描かれて居りますね




そのやっぱりそのテーマは心と心の触れ合う、

そう言う作品が何か良い作品の様な感じが致しますね




神様と私どもとの心と心の通い合い、

そこを求めて行く、




それこそ神様に喜んでもらいたいと言うこれなどは、

神様の心を問題にした私どもの心ですからね




その神様に喜んでもらいたいと言うその心が、

そこに神様が喜んで下さるに違い有りませんね




どうでも天地金乃神様との心の交流、

心の触れ合いを求めての信心でありたいと願いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿