2022年8月20日土曜日

願い事が叶う事によってしか得られない助かりも有る (2022-08-20)

 今日も和賀心学 (2022-08-20)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


天地金乃神様は何と有難い神様であるとつくづく感じさせて頂いた。私はこれまで、願い事が叶う、思い通りに事が運ぶ事による助かり様を軽んじていた。確かに真実の助かりは成行きを通して生神への精進にある。しかし今朝は願い事が叶う事によってしか得られない救いが有る事をお夢を通して教えて頂いた。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 391頁)


ビデオ: https://youtu.be/JtJKd9m8YMs

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/08-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-08-20.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御理解 第66




人間は勝手なものである、いかなる知者も徳者も、

生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら、




途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて、

死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる




神ながらに生まれ、神ながらに生き、神ながらに死ぬ、

信心者の一生はかくおかげを受けたいものである




出物腫物所きらわずと言うが、

信心して居れば所をきらわして下さる神さま




生きるも死するも

おくり合わせを願え




生きるも死するもお繰り合わせを願えと、

これは私ども人間の願いを叶えて下さる神様であるとも言う事ですね、




あの、無常の風は時を嫌わぬと言うが、

このお道ではその無常の風が時を嫌わしてくれると言うのですかね、




そう言う御理解が有りますね、

今朝は、この天地金乃神様と言う方は、




それこそ有難い神様だ、と言う事を

つくづくと感じさせて頂いた様な事でした




私の中で、人が助かると言う事、昨日 3つ有ると申しましたね、

その中でいわゆる私どもの願い事が叶う事による助かり、




物事が思い通りに運ぶ事によって得られる救い、助かり、

こう言う助かりは真の助かりではない、真の助かりにはならないものだ、




そう言う自分の願い事が叶うと言う様な助かり方を

どれ程続けたからと言って、真の助かりには繋がらない、




と言うのが一つ私の中に有りますから、

どちらかと言うと、




願い事が叶う事による助かり方と言うものを

軽んじて来た所が有るのですね、




やはり真の助かり、私ども人間が真実助かる、

助かって行くと言う事は、




それこそ師匠が、大坪総一郎師が教えて下さる、その成行きを、

身の上に起きて来る成行きを、事柄を大切に尊ばせて頂く、




その尊ぶと言う内容も、

それこそその成行きによって改まって行く、磨いて行く、




言わば心を育てて行く、と言うそこに目覚めた時に、

その成行きを通して改まって行こう、心を磨いて行こう、




とその自らの心を、それこそ生神を目指しての精進、

成行きを通して生神を目指しての精進をして行こうと心が定まり、




そしてそれを行じて行く時に初めて人間の真の助かりへと近付くのだと、

真実の助かりが得られるのだと言う事なのですけれども、




ですからその私どもの思い通りになる、或いは願い事が叶う

ことによる所の助かり方と言うものを少し軽く見ていたのですが、




今朝はそのお夢の中で、いやそうではないと、

私の考えが間違っていた事を教えて頂きました




それは願い事が叶う事でしか得られない、人々の助かり、

私どもの助かりと言うものが有るのだと言う事なのですね




ただその成行きを受け貫く、

その成行きによって心を育てて行く、




と言う事を、それだけでは得られない人間の助かり様

と言うのでしょうかね、救いが有ると、




それはもう私どもの、そのその人の願いが叶う事によってしか頂けない、

心の助かり、救いと言うのでしょうかね、そう言うものが有るのだと、




ですから人々の願いが叶う、思いが叶う、

そう言う助かりを授けて行くと言うのでしょうか、




そう言う事も神様はやはり為さる

と言う事なのですね、




人々が助かる為には、救いを得る為には、それこそその思いが叶う、

願いが叶う事によってしか得られない助かりと言うものが有るのだと、




ですからそう言う人達にはやはり

願い事が叶うおかげを授ける事によって助かって頂く、




それもやはり人の助かりの中の、何と言いましょうかね、

重要な位置を占めていると言う事ですね、




これは裏を返せば、

神様が、そう言う人の願いが叶う事による助かり、




そう言う助かり方も授けて下さる、

授けようとして居られる、と言う事だと思いますね




私の思い違い、

考え違いを正して下さった、




と同時にまた、神様がこう言うおかげも授けようとして居られる

と言う事を改めて教えて頂いた様に思いますね、




何とも有難い神様だなと、

改めて感じさせて頂いた事でした




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿