2022年8月6日土曜日

天地書附は教祖様から天地金乃神様への紹介状の様なもの (2022-08-06)

 今日も和賀心学 (2022-08-06)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


天地金乃神様にとって見ず知らずの私どもがいきなり面会を申し込み、願い事をしてもそれは難しかろう、いぶかしがられるだけだろう。そこに神様の信任の厚い生神金光大神様の紹介状や取次ぎが有れば、神様も安心して会って話を聞いて下さる。天地書附は教祖様の紹介状の様なもの、成行きを尊ぶ生き方は師匠大坪総一郎師の神様への紹介状の様なもの。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 30頁)


ビデオ: https://youtu.be/9u8Ak1oQ1Ek

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/08-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-08-06.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御神誡




人の不行状を見てわが身の不行状になること




一、諺に「人のふりみて我がふりなおせ」




一、佐藤宿老の伝え

「人の欲情を見て、わが身に欲情を増すこと」




一、親の行儀を見て子供は育つ




一、弓の稽古をするにも、的を定めて稽古をするように、

お道の信心は生神金光大神を目当て




一、天地との調和を狂わせぬように




一、耳かきの ありてかりけり 日向ぼこ




昨日の成行きを通して、一寸変わった事を

今朝は心中祈念の時に教えて頂いた様に思います




その天地書附に、

生神金光大神、天地金乃神一心に願え、と有ります




神様からおかげを授けてもらうのですから

天地金乃神一心に願え、だけで良さそうなものだと思いますけれども




その前に、生神金光大神と有ります

その事訳を教えて頂いた様な感じが致しますね




例えば大学病院の高名、高名ですか、

な先生に診てもらいたいと思い




いきなりその病院に行って、誰々先生に診てもらいたいと思いますと、

面会を申し込んでも大抵は断られるのではないかと思いますね




それこそ私どもが、いきなり例えば何ですか、

総理大臣に会いたいと申し込んでも、まぁ会えないでしょうね




その天地金乃神様に私どもがいきなり、

神様、私どもの願いを聞いて下さいと申しても




それこそどこの馬の骨やら分からない者の願いを、

神様が聞いて下さるかどうかは分からないと言う事なのですね




そこに何と言いましょうかね、

添状と言うのでしょうか、紹介状と言うのでしょうか




そう言うものを持ってでないと中々会ってもらえない、

話を聞いてもらえない




と言うそう言う事が

やはり有るのだと言う事なのですね




私どもでもそうですね、見ず知らずの人が訪ねて来る、

それでやっぱり積極的に会おうとは致しませんね




どこの誰やら分からない、

そう言う人にはやっぱり会おうと致しませんね




ところが知り合いの人の、誰それからの紹介状を持っていたり、

誰それさんから言われて来ましたとか




その誰それさんが、実は今度こういう人が行くから、

宜しくお願いしますとか、そう言う連絡が有って居れば、




なる程この人はあの人からの紹介の人だなと、

会う気も、会おうと言う気にもなりますね




やはり神様もその様なものだと、

見ず知らずの人が、どうぞ神様、願い事を聞いて下さいと言われても、




その素性も分からない人の願い事をただ聞いてやる、

そして叶えてやると言う訳にはいかない様ですね




そこにそれこそ天地金乃神様と心安うして居られる生神金光大神様、

或いは師匠大坪総一郎師、その添状と言うのですかね、




紹介状と言うのか、そう言うものが有れば、

言わば初めてに行っても面会して下さる、




会って話を聞いて下さる

と言う訳ですね




ですからそこに、生神金光大神様の許で

信心の稽古をさせて頂いて居ります誰それです、




あるいは師匠大坪総一郎師の許で

信心の稽古をさせて頂いて居ります誰それですと言う事になれば




神様も言わば会って下さる、

話を聞いて下さると言う事になる様ですね




そう言う信頼を受けた人、神様から信頼を受けた人の紹介状と

言うのでしょうかね、そう言うものがやはり要ると言う事ですね




ただどこの馬の骨か分からない様な私どもが、

神様、天地金乃神様、私の願いを聞いて下さい、と言っても




それは神様としても、

どこの誰やら分からない者の願いを聞く訳にはいかない、




と言うのか、聞こうとしても下さらない

と言う事かもしれませんね




神様はそれこそ誰でも平等に見て居られるのだから

誰がお願いしても聞いて下さるはずだと、思いますけれども、




現実にはどうもそうではない様ですね




やっぱり信頼のおける人、信頼のおける人からの紹介が有って初めて

神様もその願い事を聞いて下さる、




あるいは会って下さる

と言う事になる様ですね




ですからやはりただいきなり、

天地金乃神一心に願え、ではないのですね




生神金光大神、天地金乃神一心に願え、

言わば生神金光大神様のお取次ぎをもってと言うのでしょうかね




生神金光大神様、

あるいは師匠大坪総一郎先生、




その徳を頂いた方と言うのか、

神様の御信用を頂いた方、その裏付けをもって、




その言葉添えをもってと言うのでしょうかね、願う、

そこに初めて神様が聞いて下さると言う事になる




ですからどうでもやっぱり

生神金光大神様の許で信心の稽古をしている




あるいは師匠大坪総一郎師の許で信心の稽古をしている誰それですと

そしてその金光大神様からの、或いは師匠からの




紹介状、添状を持って神様にお願いする時に初めて、

神様も心安う話を聞いて下さると言う事になる様ですね




これは何と言いましょうかね、

そう言う世界と言うものですから




やっぱりおかしいとか、

何とか言う話が有るかもしれません




平等なんだから、誰がお願いしてもいいじゃないかと

言う様な感じも致しますけれども




やっぱり信頼のおける人、

その信頼のおける人から紹介を受けた人の願い




と言うものはまた特別の配慮が有る

と言う事でしょうね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿