2022年8月9日火曜日

師匠大坪総一郎師の御理解は心の耳で聴かなければならない (2022-08-09)

 今日も和賀心学 (2022-08-09)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の御理解は心の耳で聴かなければならない。半年に渡る御入院、そして退院御礼奉告祭での師匠のお話の中で言い間違いをして居られる。しかし師匠の場合は、言い間違いにさえ御神意が込められている。名古屋の森さんと言うべき所を神戸の森さんと仰って居られる、神の戸(徒)、神様のお使いと頂いて居られたのだと思う。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 102頁)


ビデオ: https://youtu.be/rEV87kDtEQE

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合掌

中原博信

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御神訓




真の道をゆく人は肉眼をおいて心眼を開けよ




心眼を開いたからというて、痛い痒いがなくなるわけではない

只、修行の価値感が変わってくるのである




只、痛い痒いが修行というだけでなく、

その修行が人が助かるための修行と実感が頂ける信心




「おまえが苦しめば苦しむほど人が助かる」

という修行




心眼を開く、

心の眼を開くと言う事ですね




師匠大坪総一郎師のお話を頂いて居りますと

これは中々一筋縄ではいかないと言うか




初めて聞いた人には中々分かり難い所が有りますね

それこそ心の眼で頂かなければならない




心の眼を開いて、頂かねばならないと言うのでしょうかね

いわゆる常識的に頂いたのでは分かり難い所が有るかもしれませんね




昨日やっと師匠のお話しされたその文章と、文字ですね

とビデオと、勿論声も一緒ですけれども




それを私はテキストビデオと呼ばせて頂いて居りますが

それをテスト版を作り、




ユーチューブに出させて頂いたのですけれども、

その中で幾つか気付かせて頂きました




素材は師匠が開教 15年祭の直後に入院される事になり、

半年間の御入院の後、退院してみえられ、




51日でしたか、その月例祭に併せて退院御礼奉告祭が仕えられた、

その後の退院御礼の御奉告のお話と言うのでしょうかね、




そのお話なのですけれども、その中に、

ある方が日本手拭いを持って来られたと言うお話が有りますが、




もうそれまで唱えて居られた、

実感して居られた一切神愛




これが間違いではなかろうかと、

神様にお尋ねし直してみようと思われた時に




間髪を入れずに、その日本手拭いを持って来られたと、

そこの図柄が猪に大黒様の乗って居る図柄だったと




これだけを聞いても、普通の人は何の事やら分かりませんね、

と言う事を改めて後で分かりました




またその日本手拭いを持って来られた方の説明と言うのでしょうか

それが神戸の森さんと言う事になって居ります




師匠は神戸の森さんと言って居られます

ところが実際は名古屋からのお参りです




名古屋の森さんと言う所を言い間違えられたのですね、

神戸の森さんと




しかしこれも聞き流せば、初代が言い間違えて居られる、

勘違いされたのだろうと言うのですけれども




師匠の場合はその言い間違いですらも神乍らなもの、

その間違いの中にも御神意が有るのですね




ですから名古屋と言うべき所を神戸と言われた、

ここにも実は深い御神意が有ると思いますね




名古屋の森さんなら名古屋の森さんで終わる所ですけれども、

それを神戸と言い間違えられている、




いやこれは言い間違えられたのではなく、

師匠の中にそう言う思いがお有りになったと言う事ですね




それは神戸と言うのは、神の戸と書きますね

ですから師匠の中では、その名古屋の森さんが、神戸の森さん、




言わば神の戸を開く者とでも言うのでしょうかね

神様の御使いとでも言うのでしょうかね




その神様の使いとしての森さんだと言う思いが

強かったのではないでしょうかね




師匠の言い間違いにも

御神意が有るのですね




ですから師匠はその名古屋の森さんを

神様の御使いの森さんと頂いて居られた様な感じが致しますね




そしてまた、大黒様が猪の上に乗っていると、

これを聞いても普通の人はピンと来ませんね




なんでそれがどうしたと言う事かもしれませんけれども、

師匠と神様との間の約束事の様なものが有りますね




一つの言語ですね、何を意味するか、

日本語でそれこそリンゴはリンゴ、これが英語ではアップルですか




英語でアップルと言うと、

日本語でリンゴだと言う様な感じでしょうかね




それで神様からのお知らせで、

大黒様と言うのは師匠の事を指すのですね




言わば大黒様が猪に乗って居ると言う事は、

その師匠が猪に乗って居ると言う事を意味するのですね




ですからその辺の事が分かりませんと、ただ大黒様が猪に乗ってる、

それがどう言う事に繋がるのかと、分からない所ですね




その師匠と神様との間の約束事と言うのでしょうかね、

そう言う事からすると、




それは猪の上に大黒様、

即ち師匠が乗って居ると、




ですからこれはもう師匠に、それこそ貫けと、一切神愛を貫け、

と言う神様の、神戸ですね、




神様の使いである所の森さんが、

そう言うメッセージを持って来て下さった、




と師匠は頂いて居られる訳ですね




そのこの辺の所が、やっぱり音で聞いただけでは

一般の人には分かりませんね




その昨日作らせて頂いたのには、

その神戸は言い間違いで名古屋ですと、書かせて頂きましたけれども




そのどうして名古屋が神戸になったのか、そこの経緯までは、

これは私の推測ですから書く訳にはまいりませんけれども




そう言う師匠の心の中の、何と言いましょうかね、

意味合いが有る様に思いますね




神の使いとしての森さんだと、

師匠は感じて居られる訳ですね、と私は思います




とまた、猪の上に乗った大黒様と言うのも、

普通の人が聞いただけでは分かりませんね




ですからこれはまた次のバージョンで、その但し書きですか、

大黒様とは初代の事だと、師匠の事だと言う事を一言を、




括弧でもして付け足さなければならないな

と思わせられています




師匠と神様との間に交わされた、そのお知らせの約束事、

これはやはり色々有りますね




4 のお知らせは神様の願いだとか、

13 は神様の願いが成就すると言う事だとか、




3 と言う数字は参拝だとか、

色々有りますけれども




そう言うものをやはり基礎的な知識が有りませんと、

師匠の御理解が良く分からないと言う所も有りますね




それを音で流しただけ、ビデオで流しただけでは、

その解説が出来ませんけれども、




これが文字をそこに添えると言う事になると、

もう少し分かり易く、例えばそれこそ大黒様は師匠の事です、




と言った様な事を付け加える事が出来、

より一層分かり易くなるのではないかなと、今思わせられています




これからどう言う事になるのか

分かりませんけれども




また一つ、より真実の事を、より真実の事として

伝えて行かねばならない、残して行かねばならない、




と言う事を神様が

お示し下さっている様に思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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