2022年8月27日土曜日

神人社会における助かりは、神様と私どもとの心の通い合いに有る (2022-08-27)

 今日も和賀心学 (2022-08-27)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


私ども人間社会における助かりとは、人と人との関わり合いにおいて信じ、信じられる間柄、心を許し心の通い合う者同士の社会ではなかろうか。今朝は、神人社会においても然りと頂いた。神様と私どもとの関わり合いにおいて心と心が通い合い、信じ、信じられる間柄になる時に真の助かりの世界が開かれる。天地金乃神様の御心の現れである成行きを大切にするところから神様との心の通い合いが始まる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 362頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第56




日にちさえたてば世間が広うなってゆく

ひそかにして信心はせよ




例えば、むつや呉服店の場合、

親が亡くなられたのは社長がまだ二十歳頃のことだった




また次々と難儀が続いた、不幸が続き、

店の上にも、むつや騒動と言われる程の事件が持ち上がった




「もう、むつやは仕舞えた」という風評もたった

その中を日々のお取次を頂いた




親先生はいつの場合も

「信司郎さん、大きくなることばい豊かになることばい」




唯、この一言だった、堪え難いところを神様にすがって堪えて来た

十数年後の今日のむつや呉服店の繁昌につながった




久富繁雄氏の場合も同じである

数十年の信心の中に、ただ良い事ばかりではなかった




さまざまな難儀な事も続いた

「地蔵の徳」と言われ、




「土の信心に徹せよ」と教えられ、これに徹した

いよいよ素直な信心も育った




親戚の者にも「金光様、金光様と逆上せておる」

と言われた時代もあった




そこを土の心で受け抜かれ、

今日の久富一家一門のおかげと繁昌がある




人が助かると言う事は

どこに助かりが有るのだろうかと思いますね




なる程人が助かる、

私どもが助かる事の為に信心をさせて頂く




ではどこにその助かりが有るのだろうかと、私どもは大抵の場合は

色々な人々との関わり合いの中で生活をさせて頂いて居ります




中には仕事によってはそれこそ人っ子一人居ない大自然の中で

生活をしている、いわゆる人との関わりも無く自然との関わりの中で、




あるいは機械か、書物か、何かとの関わりの中で

生きて居られる方も居られるかもしれません




が、大概の私どもは、私どもの周りに色々な人達が居ます

その色々な人達との関わり合いの中で生かされています




そしてその色々な人達との間の人間社会、

その人間社会の中で助かって行くと言う事は




人と人との間で心の通い合いが有る時に、助かっていると、

助かられるのではないでしょうかね




あの人がいつ裏切るか知れない、

あの人からそれこそいつお金を巻き上げられるか知れない、




いつ命を脅かされるか知れないと言った様な、

心が閉ざされたと言うのか、心が通い合わない、




相手の事が信頼出来ない、

また向こうもこちらを信頼していない、




さあ何をされるか分からない、と言った様な、

いわゆる心が通い合わない者同士がそこに居たならば、




助かると言う状態には程遠い事になりますね、

戦々恐々としておらねばならない




とても安心など出来ない、

助かられない訳ですね




やはり人間社会の中で助かる、

そう言う状態の中に居れると言う事は、




そこに居るお互い同士がやはり心が通い合う、その心が通い合う、

何もかも許せる様なその心が通い合う者同士の中にある時に




私どもはやはり助かって居れる、

心が安心して居れるのではないでしょうかね




人間社会における私どもの助かり、

その一つはやはり私ども、




その社会の人間社会においてお互いに心と心が通い合う事、

その中に助かりが有ると言うのですね、




と同じだと、例えば人間社会の中においてはそうなのだから、

これは神人社会の間にあっても同じだと、




それは神と人との、神人社会の中にあって、人間が助かって居れる、

また勿論神様も助かって居れると言う事でしょうけれども、




それは神様と人とが、その心が通い合う時、

神と人との心が通い合う間柄である時に、双方が助かって居れる




この神様は何を考えて居られるのか分からない、

いつどう言う危険な事を下さるか、させられるか分からない、




と言った様な疑心暗澹と言うのでしょうかね、

また神様の方も、さあこの氏子は何を考えているのだろうか、




どうするのだろうか、

こう言う成行きを授けたら一体どうなるだろうか、




それこそお金を持たせたら何に使うか分からない、

また悪い道に走ってしまう様な事になるのではなかろうか、




これは勿論お金を持たせ過ぎてもそうですけれども、

お金が無くてもそうですね




あんまりお金が無いと、今度はまた悪い事をしでかすかもしれない、

と言った様な、神様の方も、人間の方を危ぶまれる、




さあ心が分からない、と言う様な事では、

神様も助かられる事は有りませんね、安心して居れない




また人間の方も、さあこの神様は、

さあ次はまたどんな難儀を下さるのだろうか、




何か困った事が起こって来るのではなかろうか、と、神様の御心が

分からないならば、安心して居れない、助かって居れませんね




神人社会においても然りだと、

神様と私どもとの間柄が、その心が通い合う間柄、




それこそあれは何ですか、

隠し事も無いと言いましょうかね、




それこそ心と心が通い合う世界、

神様と私どもとの心が通い合う世界に居る時に




私どももまた、

神様も助かって居る事が出来る




ですからこの神人社会において、

私どもが助かりを得ると言う事は、




それは神様との私どもとの間に心が通い合う、

その通い合う時に助かる事が出来る、と言うのですね




ですから私どもが真実の助かりを頂きたいと思うならば、

神様との心の通い合いが出来る様な私どもでなければならない




神様と心が通い合う時に初めて、心も安らかになり、

安心が頂け、助かりの世界に住む事が出来る




ではその神様との心の交流、

心の通い合いが出来る為の精進の第一歩は、




それが成行きを大切にすると言う事だと、

その神様の御心の現れである成行きを大切にさせて頂く、




そこからまた神様との心の通い合う、

そのスイッチが入ると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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