今日も和賀心学 (2022-08-23)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、信心の基礎土台と言う様なものを教えて頂いた様な気がする。人によっても色々有るのだろうけれども、私にとっては、朝昼夜の御神前に向かっての御祈念が基礎土台だと思わせて頂いた。先ずは自宅に神様をお祀りさせて頂き、朝夜にはその御神前に端座し柏手を打って手を合わせる所から始まる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 124頁)
ビデオ: https://youtu.be/8VgW_DLmKxc
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/08-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-08-23.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御神訓
心配する心で信心をせよ
願いが大きくなると
小さな心配はなくなる
願いが大きくなると、
小さな心配はなくなる、
よく師匠大坪総一郎師は、
大きな願いを持ちなさい、とよく仰って居られました
また願いは遠大にして、
道は足下にありですか、
その遠大な大きな願い、それも自分のその足下の一歩から
踏み出さなければならないと言う様な事ですね
ただ大きな願いを持てばそれで良いのかと言うと、
そうではない、その大きな願いを持ち、
そしてそこに至る為には、
その先ずは手元足下の一歩から、と言う訳ですね
その大きな願いを持つと同時に、
手元足下の一歩を踏み出す事が大切だと言う事なのですね
今朝教えて頂きますのは、昨日それこそ前歯の差し歯が外れたと、
言うお話をさせて頂きましたけれども、
で予約が有りませんから緊急に朝早くから、
そのお話が終わった直ぐ後に行かせて頂きました、歯医者さんですね
前回の時は、もう一本の前歯の差し歯ですけれども、
これが抜けた時は、そしてまたその前ですか、
その前の時は歯医者さんで、
ただその何と言いますか、その前の時ですね、
その時は歯医者さんでただ元に戻して、
接着剤で付けて下さったのですけれども、前々回ですね
それで前回の時には、又これも抜けたのをまた戻して下さるのだろう、
と思って居りましたら、それは出来ませんでした
で土台がもう傷んでいると、しかも歯の部分が炎症を起こしてるから、
これはもう歯を抜くしかありません、と言う事になり、
そこに新たに入れ歯をするか、何かをするか、
また別の方法を考えねばなりませんと言う事で、
その日はその歯の根っこですか、
それを抜いて下さいました
今回もまたそうだろうかと思って居りましたら、
今回は、今回抜けた分のその根っこですか、
それは土台が未だしっかりして居りますと、
ですからあと数年はもつでしょうから、
これはまた歯を、その取れた差し歯ですか、
を接着剤で戻しましょうと、
付けましょう、付け直しましょうと言う事で、
今回は歯を抜く事もなくそれで終わりました
言わば接着剤で
また付けて下さった訳ですね
その基礎土台が未だしっかりして居る、
だから数年は大丈夫と言う事でした
今朝はその基礎土台がしっかりしている、
と言うそこの所を頂くのですね
信心にもやはり基礎土台と言うものが大切だと、
ではその信心の基礎土台、
例えば大きな願いを持つ、そして大きな願いを持つけれども、
先ずその第一歩から踏み出さねばならない、
その基礎土台となるもの、それは何だろうかと言う事なのですね、
で信心においての基礎土台と言うもの、
それはやはり
朝昼晩の御祈念だと、
ある宗教などでは、その聖地に向かって一日 5回の礼拝が
義務付けられている、と言う様な事を聞きますけれども、
このお道にはそう言うものは有りませんけれども、
少なくとも朝、それこそ目覚めさせて頂き、
そしてそれから自宅の御神前に向かって御祈念をさせて頂く、
拝詞信行ですかね、そしてまた心中祈念をさせて頂く、
今日一日の御理解を頂き、
また今日一日の成行きを願う、
色々な願い事が有りますね、
それこそ大きな願いならその大きな願いの内容を願う、
そしてお昼ですね、お昼はやはり
仕事や何やかんやで忙しいので中々時間が取れません、
ですからまぁお昼は
簡単なものになるかもしれませんけれども、
出先なら出先で、お昼の休み時間にでも、
神様に心を向けて手を合わせる、そして短い拝詞信行でもさせて頂く、
夜は夜でまた自宅に戻り、それこそ自宅の神様の前で
一日のお礼を申す、また拝詞信行をあげさせて頂く、
少なくとも朝と夜は、自宅の神様をお祀りしているそこに、
その御神前に出て手を合わせて拝ませて頂く
教祖様は、それこそ柱でも何でも良い、別に御神前でなくとも、
何でも何を目的に、目当てにして拝んでも良い、
とは仰って居られますけれども、やはり御神前を祀らせて頂き、
そこに向かって御祈念をする、これはまた心持ちが違って参りますね
神様に向かう姿勢と言うものが違って参ります、やはり出来たら
御神前を祀らせて頂くと言うのは有難い事ではないでしょうかね
また外に出かけた時などは、
何を目当てにしてでも良い、とは思うのですけれどもね
その朝昼晩の神様に向かって手を合わせる、拝詞信行をさせて頂く、
祈りをさせて頂く、願いの祈りであったり、お礼の祈りであったり、
出来れば決まった時間にさせて頂く、
それがまた日月の行と言う事にもなりましょうし、
いわゆる信心の基礎土台ともなるものだと、
今朝はそう言うものを教えて頂いた様に思います
やはり信心には何事にも、信心以外にも、
何事にも基礎土台と言うものが大切です、
その基礎土台をなすもの、信心の基礎土台をなすもの、
それは朝昼晩の御神前に向かっての御祈念だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿