今日も和賀心学 (2022-08-31)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、我情我欲と頂いた。なるほど我情我欲は難儀の元を為すものの一つではある。しかし今日はその我情我欲を持ち続ける事と。我情我欲でさえ神様から人間氏子に授けられたもの。その我情我欲が信心の稽古の素材ともなる。師匠大坪総一郎師は、我情を鎮め、我欲をコントロールすると教えて下さった。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 304頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第37節
生きておる間は修行中じゃ、ちょうど、
学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞ
「この世はあの世の為にあるのだから」
の一言につきます
難儀の元は神と氏子の間にはられた光明電線のようなものである
有難く修行として受けてゆけば、光ともなり徳ともなるのです
この世はあの世の為にあるのだから、とか
難儀の元は神と氏子の間にはられた光明電線のようなものであると
まあその難儀の元と言うのが、
神様と私どもとの間を取り持つものだと言う事ですね
実は今朝は心中祈念の時に、
我情我欲と頂きました
そしてまたその我情我欲をキープする、
持ち続けると言うのでしょうか、そう言う事を頂くのですけれども
さあ一体どう言う事だろうかと思いますが、
今朝のこのミニ御理解と何かどこか通う所が有る様に思いますね
私どもの難儀の元、
それは確かに我情であり我欲ですね
その我欲と我欲のぶつかり合いが争いになる、
ひいては国と国との間の戦争と言う様な事にまで発展するのでしょう
もし私どもに、人間に我情我欲と言うものが無いならば
それこそ平和が訪れるのかもしれませんね
私どものいわゆる私が欲する所と、他の人が欲する所、
そのコンフリクトと言うのでしょうか、
ぶつかり合いと言うのでしょうか、
そこに争いみたいなものが起こって来る訳でしょうから
難儀の元は光明電線
と言われますけれども、
それが難儀の元、まあ色々有るのかもしれませんが、
一つには我情我欲だと言う事は間違い有りませんね
しかし今朝頂きますのは、その我情我欲でさえも、
実は神様が私どもに与えられたと言うのか、持たされたと言うのか、
そう言うものであると言う事ですね
ある意味その我情我欲が有るから信心が出来る、
とも言えるのかもしれませんね
もし我情我欲の無い、いわゆる、まんまんしゃんのごたる、
と言う人であるならば、
もうある意味心を改まるとか、清めるとか、する必要が無い訳ですから、
信心をする必要が無いと言う事になるのかもしれませんね
ですからそこにはそれこそ信心の驚きと喜び、
と言う様なものに触れる事もないかもしれませんね
その我情を鎮め、我欲をコントロールする
と師匠は教えて下さいますね
一切の我情をなくせ、
一切の我欲をなくせと言う事ではないのですね
寧ろ今朝頂きます様に、我情を持ち続ける、我欲を持ち続ける、
これもやはり必要な事ですね
何故ならば、我情我欲とても神様から授けられたものだから、
人間にとって要るものなのですね
要るものは在るもの、と教えて下さいます
また在るものは要るものだと、
私ども人間に我情我欲が有ると言う事は、
それは要るものだからですね
ただ過ぎるから問題になる、我情我欲が過ぎる、
過ぎ過ぎる我情我欲が問題を起こす訳ですね
そこに我情を鎮め、我欲をコントロールして行く、
コントロールして行く所に信心と言うものが有る様に思いますね
その面白いですね、私どもの我情我欲、
それを如何にコントロールするか、
言わば許される欲と、
許されない欲もやはりある訳ですからね
ここまでは神様が許して下さる
これ以上は許して下さらない、と言う世界でしょうかね
お酒でもそうですね、例えばお酒でもビールでも一杯二杯程度ならば、
それこそ酒は百薬の長とか言われる事も有りますけれども、
血行を良くして、それこそ健康にも良い、心も、何と言いましょうか、
賑やかになると言うのでしょうか、良い気分になる、
ところがこれが飲み過ぎるといけませんね、
アルコールも過ぎると体を壊します、また喧嘩を始めたり致しますね
ある程度、ほど良い所は良いけれども、
それを過ぎると、それが災いの元になると言う事になります
我情我欲と言われるものも、
やはりそう言うものかもしれませんね
ある程度、人間が人間としてこの世に生を受け、
人間が人間としてのまあ楽しみ喜びを頂いて行く
その為にはそれこそここまでは大丈夫だ、しかしここから過ぎると、
それが災いの元になる、と言う様なものかもしれませんね
神様が授けて下さった、我情我欲なのですから、
それを上手くコントロールして行く、その術を身に着ける、
稽古すると言う事が信心の一つかもしれませんね、
信心の稽古の一つと言う事ですね、為にはどうやって稽古するのか
ここまでは神様が許して下さる、これ以上はいわゆる過ぎたるものだ、
とその境目と言うのでしょうかね
それを師匠は、成行きを通して、
それこそ神様のお声を頂きながらと言うのでしょうか、
成行きの中に神様の声を聞き、ここまでは未だ許されるな、
これから先はそれこそ害になるな、と言う所を見極めて行く
と言うその稽古になりますね
お酒も少量ならば有難いものです、楽しいものです、
しかしそれが過ぎると体を壊す事も有れば、
人間関係を壊す事にもなる、害になって来ますね
何でもやっぱりお薬でも少量ならば効くのかもしれません、
飲み過ぎると死んでしまったり致します
ほど良い量と言うものですね、
我情我欲もほど良い量を持ち続ける、
これがやはり人間の幸せに、また助かりに、
真の助かりにも繋がるのではないでしょうかね
我情を鎮め、我欲をコントロールする、
その術を身に着けると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます