2022年8月31日水曜日

その我情我欲が信心の稽古の素材ともなる (2022-08-31)

 今日も和賀心学 (2022-08-31)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、我情我欲と頂いた。なるほど我情我欲は難儀の元を為すものの一つではある。しかし今日はその我情我欲を持ち続ける事と。我情我欲でさえ神様から人間氏子に授けられたもの。その我情我欲が信心の稽古の素材ともなる。師匠大坪総一郎師は、我情を鎮め、我欲をコントロールすると教えて下さった。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 304頁)


ビデオ: https://youtu.be/cYfVEBmzQt0

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/08-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-08-31.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御理解 第37




生きておる間は修行中じゃ、ちょうど、

学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞ




「この世はあの世の為にあるのだから」

の一言につきます




難儀の元は神と氏子の間にはられた光明電線のようなものである

有難く修行として受けてゆけば、光ともなり徳ともなるのです




この世はあの世の為にあるのだから、とか

難儀の元は神と氏子の間にはられた光明電線のようなものであると




まあその難儀の元と言うのが、

神様と私どもとの間を取り持つものだと言う事ですね




実は今朝は心中祈念の時に、

我情我欲と頂きました




そしてまたその我情我欲をキープする、

持ち続けると言うのでしょうか、そう言う事を頂くのですけれども




さあ一体どう言う事だろうかと思いますが、

今朝のこのミニ御理解と何かどこか通う所が有る様に思いますね




私どもの難儀の元、

それは確かに我情であり我欲ですね




その我欲と我欲のぶつかり合いが争いになる、

ひいては国と国との間の戦争と言う様な事にまで発展するのでしょう




もし私どもに、人間に我情我欲と言うものが無いならば

それこそ平和が訪れるのかもしれませんね




私どものいわゆる私が欲する所と、他の人が欲する所、

そのコンフリクトと言うのでしょうか、




ぶつかり合いと言うのでしょうか、

そこに争いみたいなものが起こって来る訳でしょうから




難儀の元は光明電線

と言われますけれども、




それが難儀の元、まあ色々有るのかもしれませんが、

一つには我情我欲だと言う事は間違い有りませんね




しかし今朝頂きますのは、その我情我欲でさえも、

実は神様が私どもに与えられたと言うのか、持たされたと言うのか、




そう言うものであると言う事ですね




ある意味その我情我欲が有るから信心が出来る、

とも言えるのかもしれませんね




もし我情我欲の無い、いわゆる、まんまんしゃんのごたる、

と言う人であるならば、




もうある意味心を改まるとか、清めるとか、する必要が無い訳ですから、

信心をする必要が無いと言う事になるのかもしれませんね




ですからそこにはそれこそ信心の驚きと喜び、

と言う様なものに触れる事もないかもしれませんね




その我情を鎮め、我欲をコントロールする

と師匠は教えて下さいますね




一切の我情をなくせ、

一切の我欲をなくせと言う事ではないのですね




寧ろ今朝頂きます様に、我情を持ち続ける、我欲を持ち続ける、

これもやはり必要な事ですね




何故ならば、我情我欲とても神様から授けられたものだから、

人間にとって要るものなのですね




要るものは在るもの、と教えて下さいます

また在るものは要るものだと、




私ども人間に我情我欲が有ると言う事は、

それは要るものだからですね




ただ過ぎるから問題になる、我情我欲が過ぎる、

過ぎ過ぎる我情我欲が問題を起こす訳ですね




そこに我情を鎮め、我欲をコントロールして行く、

コントロールして行く所に信心と言うものが有る様に思いますね




その面白いですね、私どもの我情我欲、

それを如何にコントロールするか、




言わば許される欲と、

許されない欲もやはりある訳ですからね




ここまでは神様が許して下さる

これ以上は許して下さらない、と言う世界でしょうかね




お酒でもそうですね、例えばお酒でもビールでも一杯二杯程度ならば、

それこそ酒は百薬の長とか言われる事も有りますけれども、




血行を良くして、それこそ健康にも良い、心も、何と言いましょうか、

賑やかになると言うのでしょうか、良い気分になる、




ところがこれが飲み過ぎるといけませんね、

アルコールも過ぎると体を壊します、また喧嘩を始めたり致しますね




ある程度、ほど良い所は良いけれども、

それを過ぎると、それが災いの元になると言う事になります




我情我欲と言われるものも、

やはりそう言うものかもしれませんね




ある程度、人間が人間としてこの世に生を受け、

人間が人間としてのまあ楽しみ喜びを頂いて行く




その為にはそれこそここまでは大丈夫だ、しかしここから過ぎると、

それが災いの元になる、と言う様なものかもしれませんね




神様が授けて下さった、我情我欲なのですから、

それを上手くコントロールして行く、その術を身に着ける、




稽古すると言う事が信心の一つかもしれませんね、

信心の稽古の一つと言う事ですね、為にはどうやって稽古するのか




ここまでは神様が許して下さる、これ以上はいわゆる過ぎたるものだ、

とその境目と言うのでしょうかね




それを師匠は、成行きを通して、

それこそ神様のお声を頂きながらと言うのでしょうか、




成行きの中に神様の声を聞き、ここまでは未だ許されるな、

これから先はそれこそ害になるな、と言う所を見極めて行く




と言うその稽古になりますね

お酒も少量ならば有難いものです、楽しいものです、




しかしそれが過ぎると体を壊す事も有れば、

人間関係を壊す事にもなる、害になって来ますね




何でもやっぱりお薬でも少量ならば効くのかもしれません、

飲み過ぎると死んでしまったり致します




ほど良い量と言うものですね、

我情我欲もほど良い量を持ち続ける、




これがやはり人間の幸せに、また助かりに、

真の助かりにも繋がるのではないでしょうかね




我情を鎮め、我欲をコントロールする、

その術を身に着けると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年8月30日火曜日

天地金乃神様の御働きである成行きを土の心で受け貫き心を肥やす (2022-08-30)

 今日も和賀心学 (2022-08-30)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は心中祈念の時に、御心眼に大地を頂いた。大地の心、土の心と言うことだと思う。師匠大坪総一郎師の信心の基本中の基本、天地金乃神様の御働きである成行きを、例え嫌な事でも土の心で黙って受け貫き、心の肥やしとして心を育てて行く。やがて心が肥え、美しい花や、美味しい果実も実る様になる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 349頁)


ビデオ: https://youtu.be/ik7tAqXDQ2s

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/08-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-08-30.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御理解 第52




信心する者は驚いてはならぬ、これから後、

どのような大きな事ができてきても、少しも驚くことはならぬぞ




何時どのような事が起きても、

それはどこまでも神さまの間違いない働き、




金光大神御取次の圏内にあることと解っていても、

吃驚仰天するような事がある




『驚いてはならぬ』と仰せられるが、

そこは凡夫のこと、少なからず心は動揺する




そんな時は神さまに心を向け、

心を鎮める願いをする事である




神さまは少しも驚いていぬかのような、

おかげを下さるものである




出来ずとも出来たかのようにおかげを下さる

金光大神のおかばいがあるからである




この御理解はよく頂きますね、

驚いてはならぬと、しかし驚く事が多いものですね




ここで教えて下さる、驚いてはならぬと言う事は、

ある意味悪い意味と言うのでしょうかね




それこそ何かが起こって来る、そして驚く、あぁ困ったなぁ、

と言う驚き方のいわゆる困った驚き方の方ではないでしょうかね




しかしもう一方には、

その驚きも、喜びの驚きと言う様なものが有りますね




それこそ思わぬ事が起きて来た、

で自分にとって良い事が起きて来た、




そう言う時も驚きますけれども、その驚きは喜ぶ驚きですね

こちらの方は良いと思うのですね




師匠の御教えにも、

信心の驚きと喜びと言うのが有ります




そう言う神様の御働きを感じて喜べる驚き、

喜べる程しのの驚きと言うのでしょうかね




神様がそうやって驚かせて喜ばせて下さる、

それこそ自分の誕生日に、何と言いましょうかね、




全然予定も何もしていなかった、

それこそ忘れていたと致しましょうか、




忙しくて忘れていた、そこに誰かが、友達であったり、

身内の者であったり、それが家に帰ってみたらお祝いをしてくれた、




と言った様な時の喜びですか、そう言う有難い喜び、

これなどはいつ頂いても、またいつでも頂きたい様な事ですね




神様が有難い喜びを下さる




今朝頂きますのは、それこそ今朝はどう言うお話を

させて頂きましょうかと、お伺いして居りましたら、




御心眼に大地、お土地ですね、大地を頂きました、

大地、言わば土の心ですね




師匠大坪総一郎師が教えて下さる信心の基本中の基本、

これがやはり土の心ですね




それこそ私どもの身の上に起きて来る成行き、

それが神様の御働きだ、




神様を大切にすると言えば、

その神様の御働きを大切にすると言う事でもあると




ですからその成行きを頂く、どう言うふうに頂くか、

それこそ大地の心で、土の心で頂いて行く、




土の心とはそれこそ汚いおしっこや、唾を吐かれたりしても、

それをそれこそ黙って受けて行く




また勿論綺麗な水を掛けられる事も有りましょう、

またそれこそ糞尿と言われる様な嫌なもの、




そう言うものが降りかかって来る事も有りましょう、

それでも黙って受けて行く




その土の心にはやはり黙って治める

と言う心が有りますね




そしてまた大きな心でなければ、

愈々大きな心にならなければ、土の心にはなれませんね




小さな心で、こんなものは嫌だ、あんなものは嫌だ

と言った様な事では、土の心になりませんからね




やっぱり師匠の信心の基本、

それは成行きを土の心で受け貫いて行く




そしてその受けて行くのも、ただ受け流すのではない、

その事を心の肥やしとして、心を育てて行く




そして美しい花を咲かせ、美味しい実を実らせる

これがやはり土の心であろうと思いますね




それこそ今日の御理解ではありませんけれども、

驚いてはならんと言う驚く様な事が起こって来る




その驚く様な事が起こって来た事でも、

その成行きを神様の御働きとして土の心で黙って治めて、




受け抜いて行く、しかもそれを

自らの心を肥やす、根を肥やす肥やしとして行く




そこにそう言う信心の積み重ねによって、

有難い心も育って来る




またそれこそ思いもかけなかった様なおかげへとの展開

と言う事にもなって来るのだろうと思いますね




先ず第一にその心の根が肥えて来る、

と言う事でしょうかね




また心が愈々大きくなって来る、

心を大きくしなければ頂けませんからね




そのやはり信心させて頂くその基本中の基本は、

成行きを土の心で受ける、受け貫くと言う事になりますね




そこにそれこそ嫌が上にも心が育って来る

これは心を育てようとして頂かなければ、




イヤイヤ、グーグー

堪えて頂く様な事であったのでは育ちませんね




やっぱり育てようと言う意識を持って、

頂いて行くと言う事になりますね




今日は神様から改めて、師匠の信心の基本中の基本

と言うものを教えて頂いた様に思います




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年8月29日月曜日

この御道は悩める者の救いの道ともなろう (2022-08-29)

 今日も和賀心学 (2022-08-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


立教神伝に難儀な氏子と有る。私は今まで、難儀と聞くと何か大変な困り事の様な印象を受けていた。今朝はそう言う重度の難儀とは言えない様な、言わば軽い悩みを持つ人をも、取次ぎ助けてやってくれの範疇に入ると言うような事を感じさせて頂いた。難儀な氏子を悩める氏子と読み替えてはどうだろうか。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 134頁)


ビデオ: https://youtu.be/cqrD-rILyR8

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/08-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-08-29.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御神訓




慢心が大けがのもとなり




信心はえらくなるためでもなければ、

かしこうなるためのものでもない




信心は有難うならせてもらう稽古である

おかげを受けるために信心すると、おかげを受けて慢心になる




信心、真心、神心を求めての信心には、慢心の出ようがないが、

慢心が出るほどのおかげも受けてみたいものです




おかげを受けて慢心になると、

おかげを求めて信心をする




いわゆるご利益信心と言われますけれども、

信心をする、と言うとこのご利益、おかげを求める




信心とおかげ、いわゆるご利益と言うのでしょうかね、

切っても切り離せないものだと思います、




けれどもその今の社会において、

いわゆる神様におかげを求めようと言う人は




意外と少ない様な感じが致しますね

それより色々な相談所が有ったり致しますからね




アメリカに来させて頂いた頃ある先生が、

アメリカでの布教は難しいと、




ところが或るいわゆる未開の土地ですか、

そちらでの布教の方が易しいと、




何故ならばアメリカではいわゆるその

色々な病院であったり、弁護士さんであったり、




そう言う色々相談する所が整っていると言うのでしょうかね、

医学も発達している、だから大抵はその人間の力で解決する事が出来る




一方未開の地に行くと、そう言うお医者さんも居ない、

弁護士さんも居ない、相談する人が居ない、だから神様に縋るしかない、




と言った様な事を

仰られた方が居られましたけれども、




今はどうか分かりませんけれども、

確かにそう言う所が有るのかもしれませんね




しかしどう言う世の中になっても、人々が助かりを求める、

救いを求める、と言う事は有ろうと思うのですけれども、




ところが、私どもは真実の助かり、真の救い、真の助かり

と言うものを信心の焦点に置くべきだと言う訳ですけれども、




では真の助かりを求めている、真実の救いを求めている人が居るか

と言うと、これもまた実際問題として少ないですね




それこそ目の前の難儀が解決すれば良い、

と言う人々の方が多いと思います




昨日のミニ御理解でしたか、その信心しておかげを頂く、

ところがその後の信心が続きません、と有りましたね




そこから後は

また大切な問題でしょうけれども、




先ずはそこに至る前の、助かりたいと、

助けて欲しい、と縋って来る人がまた少ない




この御道に助けを求めると言う人が

また少ないのではないでしょうかね




それは助けを求める、助けて欲しいと願う人が

段々少なくなって居るからの様に思いますね




しかし一方、その悩んでいる人は沢山居る訳ですから

人間関係であったり、お金の問題であったり、




なる程いわゆる駆け込み寺ではありませんけれども、

神様に助けて頂こうと切実にそこまでは思わなくとも、




何とかなれば良いな、助けてもらいたいなとか、自分の悩みを

解決してもらいたいなと思う人達は沢山居られる訳ですからね




世の中には色々な問題が有ります、

文明が発達すれば発達したで様々な心の病気であったり、




様々な悩み、難儀ですか、困った事が有ります

そう言うその困った事、いわゆる人々の悩み、




助けて欲しいと言う切実な願いではなくとも、

その悩み程度、私ども様々な悩みがやはり有りますね




ニキビで悩んでいる人が、それこそ何かで悩んでいる、

身体的な悩みであったり、心の上の悩みであったり、




助けて下さいと言う所まではいかないけれども、

悩みは抱えている人達は多い様に思いますね




助けて下さいとは思わないけれども、

願いを叶えて欲しい、




この願いが叶うならば、

と言う様な人達は多いのではないでしょうかね




ですからこれまでは

それこそ神様が、難儀な氏子を助けてくれと、




それは難儀に喘いでいる人、難儀の中で困り果てている人、

そう言う人が助かりを求めて来る、と言う事でしょうけれども、




そこまでいわゆる切実に助かりを、神様に求めようとする人は

段々少なくなって来ていると言う事ですね




ですからもっといわゆる私ども御用させて頂く者がもっと

敷居を下げると言うのでしょうか、門戸を開くと言うのでしょうか




そのいわゆる助かりたい、助けて欲しいと

切実に助けを求めて来る人のみを対象にするのではなく、




もっといわゆる普通に悩みを抱えている人達、

この願いを叶えて欲しいなあと言う様な人達、




そう言う小さなどんな悩みでも良い、

その悩みを何と言いましょうかね、和らげると言うのでしょうかね




その難儀と言う事から、

これは言葉的な、言葉の遊びの様な事かもしれませんけれども、




いわゆる難儀と言うものではなく、

悩みと言う程度のものに替えたらどうだろか、




そう言う意識を持ったらどうだろうかと思いますね

難儀な人を取次ぎ助ける、取次ぎ助けさせて頂くと言うよりか、




悩みある人、悩み多き人、

悩みのある人を取次ぎ助ける御用に立たせて頂く、




そう言う私どもの何か意識の変革と言うものが

要る様な感じが致しますね




それ無くして、言わば百年前、百五十年前、

教祖様が居られた頃のその意識のまま、




その表現のままで、私どももやはりその言葉を鵜呑みにして、

その言葉通りにしようと致しますから、




やはりこれは社会の流れと言うのでしょうか、

歴史の中でそぐわない所が出来て来ている様に思いますね




もっと門戸を広げて、

悩みを解決する教会と言う事になりましょうかね




そう言うより多くの人が抱えている悩み、

そう言うものを和らげる、解放する、




そしてそこから悩みの無い真実の、それこそ助かりの世界へと導く、

そう言うお役に立たせて頂きたいと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます