今日も和賀心学 (2023-01-17)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人はなぜ思い悩み苦しむのか。どうしたらその苦しみに救いを得られるのか。もし人の思い通りに事が運べば悩み苦しみは無い。人を助ける 1つの道はその人の思い通りのおかげを授ける事、2つ目はその叶わぬ願いを捨て去る事、3つ目はそこに込められた神様の御思いを汲み取る事、即ち神の心を心とする事。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 358頁)
ビデオ: https://youtu.be/yQ2RyWdNqcU
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-17.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第55節
賃を取ってする仕事は、若い時には頼んでもくれるが、
年をとっては頼んでくれぬ
信心は、年が寄るほど位がつくものじゃ
信心をすれば一年一年ありがとうなってくる
「私」が無くなって行くにしたがって、
一年一年有難うなってくる
有難うなってゆかないなら、それはおかしいと気づき、
我力をとり改まって信心してみよ、必ず有難い心が頂ける
年をとるから位がつくのではない
有難うなること自体が位である
信心はえらくなるとか、
かしこうなる稽古でなく有難くなる稽古である
人が助かる、と申します、
ではその人が助かっていない状態と言うのは、
どう言う状態か、
私どもが、思い、悩み、そして苦しみます、
難儀だと思います、
その難儀をする、世間になんぼうも難儀な氏子有り、
取次ぎ助けてやってくれと、
天地金乃神様が、教祖様に願われた、
その人が助かる、あるいは人を助ける、
師匠大坪総一郎師は、人を助ける、と言うのではなく、
人が助かる、そう言う取次者でなければならないと、
人が助かる取次者を目指しなさいと、御理解下さいましたが、
その人が助かると言う事は、
裏を返せば、人が助かっていないと言う事、
悩み、苦しみ、もがく、それはどう言う時にそうなるのか、
はっきりする事は、私どもの思い通りに事が運ばない時ですね、
その私なら、私の思い通りに事が運ばない時、
その時に、悩み、苦しみ、何と言いましょうかね
難儀だなと思いますね、
ではその難儀をして居る時、
それは自分の思い通りに事が運んでいない時ですから
その人の願い通りのおかげを授ければ、
その悩みや苦しみから解放される事になりますね、
思い通りに事が運んで居る人は、
おそらく悩む事も有りませんね、苦しむ事も有りません、
だってそれは、
自分の思い通りに事が運んでいる訳ですから、
何の悩みも、苦しみも、難儀だなと思う事も、
辛いなと言う事も無いと思いますね、
思い通りにならない所に難儀が有ると、
言う事ですね、
その難行を解消するには、
幾つか方法が有るのでしょうけれども、
一番手っ取り早いと言うのか、先ず普通に考えられるのは、
その思いを、思い通りにしてやると言うのか、
その人の願い通り、思い通りのおかげを授ける、
いわゆるご利益を頂くと言う事でしょうかね、
思い通りの事になった時に、
その悩みや、苦しみが無くなりますね、
どこそこの例えば学生であれば、
大学受験、高校受験、色々有りましょう、
そこに合格出来ないから、思い悩むわけでしょうからね、
それが、首尾よく合格する、
いわゆる欲しいものが手に入らない所に、
悩みや、苦しみやそう言うものが生まれて来るのでしょうね、
欲しいものがいつも手に入る状態であるならば、
何の苦しみも、苦労も無い、と言う事になりますね
その欲しいものを授けて差し上げる、
と言う助け方が有りますね、
しかしこれは本当の助かりとは言い難い所が有りますね、
もう一つの助かり様は、その欲しいと思う、
その欲しい心を無くす、と言う事が有りますね、
あれが欲しい、これが欲しいと思うから、
そしてそこが叶わないから、思い、悩み、苦しむ、
ならば、そのあれが欲しい、これが欲しいと言うものを
外してしまったら、もう悩み、苦しみは無くなりますね、
そう言う助かり方が有ります、
言わば我情我欲を外してしまう、
我情我欲が有り、その我情我欲が満たされない所に、
思い悩み、苦しみが有る、
ならばその我情我欲を外してしまえば、
もう苦しみは無いわけですからね、
その人が助かるお役に立つ、
その助かり、お役に立つ立ち方も、今の所 2つですね、
一つは、欲しいものを授ける、
もう一つは、その欲しいと言う心を取り払ってしまう、
そう言うお役に立つ、と言う事も有りますね、
またもう一つ有りますのは、
その何故欲しいと思うものが叶わないのか、
その願いが叶わない、何故叶わないのか、
とその叶わない事に込められた神様の思い、
と言うものを慮ると言うのか、
探って行くと言う、
求めて行くと言う事になりますね、
どうして私の願いが叶わないのか、
何故神様が叶えて下さらないのか、
と言うそこに込められた神様の願い、思いと言うものを
汲み取って行こうとするわけですね、
その、中に玉梓忍ばせて、
と言うのが有りますね、
いわゆるその神様が忍ばせて居られるに違いないその玉梓を、
読み解くと言うわけですね、
せっかく手紙が添えられていても、それが読めなかったら、
意味が分からなかったら、何にもなりませんからね、
神様の心を分かる事による助かり、
と言うのが有りますね、
私が無くなって行くに従って 1年、1年有難うなると言う、
これは我情我欲を無くす事によって、有難くなって行く、
難儀が消えてしまう方法の一つだと思いますね
今までに 3つの方法が有る事が分かりますね、
一つは、
その欲しいと思うその願いを叶えて貰うと言う事、
もう一つは、あるいはその欲しいと言う難儀の元になっている
自分の心自体を変えて、欲しいと言うものを無くしてしまう、
と言う事、あるいはもう一つは、
その叶わない、そこに込められた神様の思い、
を理解しようとすると言う事、
その事によって、なる程これは神様が、
私の心を育てようとされる御働きだ、
その神様の御心の現れだ、として
その難儀を通して、自らの心を磨いて行く、改まって行く、
と言う作業をする事になりますね、
人が助かる、人を助けると言っても、
色々な助かり方、助かり様が有ります、
それはその段階段階に応じて
異なっているのでしょうけれども、
それらのそれぞれの段階を通して、人が真実助かって行く様な、
そう言うお役に立たせて頂きたいものですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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