今日も和賀心学 (2023-01-27)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、安心のおかげと言うことを頂く。信心させて頂いて、願い事が成就するおかげや、不成就のおかげも有る。様々なおかげの中で、安心と言うおかげを頂くのが一番だと思う。これは和らぎ賀ぶ和賀心と言うおかげを頂く事にも繋がる。師匠大坪総一郎師は、花即ち、おかげで勝負するとも仰っておられた。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 173頁)
ビデオ: https://youtu.be/iLC-sSq-DbI
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-27.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
疑いを去りて信心してみよ
みかげはわが心にあり
拝む気になる、おかげがあります
改まって信心すれば心が助かります
本心の玉を研く気になって信心すれば
お徳が受けられます
今朝頂きますのは、
安心のおかげを頂く、と言う事を頂きました、
師匠が、ある方のお伺いに対して、真の信心、
その真の信心とは安心のおかげを頂く事です、と仰って居られます、
真の信心とは安心のおかげを頂く事、またの言葉で言えば、
和賀心のおかげ、とも言えるかもしれませんね、
和らぎ賀ぶ和賀心を目指して、
頂こうと信心の稽古をする、させて頂く、
そしてその教祖様は、
おかげは和賀心にあり、と仰って居られます、
その教えて下さるそれを、
私どもは、おかげを頂くには和賀心になると、
和賀心になればおかげが有る、
と言うふうに、普通は頂きますけれども、
これは、おかげは和賀心にあり、と
和賀心と言うものがおかげなのだと、言うふうにも頂けますね、
おかげは和賀心にありと、
おかげは和賀心だと言う事ですね、
これはどちらも言える事なのでしょうけれども、
両方を掛けて居られるのかもしれませんね、
両方を引っ掛けて居られる、和賀心になればおかげが有るよ、
と言う事と、和賀心自体がおかげなのだよ、と言う事の 2つですね、
勿論その、和賀心になった暁には、その願い事が右になろうが、
左になろうが、もうどうでも良い世界なのでしょうから、
それがどんな事であろうと、
右になろうと、左になろうとおかげだと言う世界、
そう言う心が開けなければ、とても和賀心、
和らぎ賀ぶ和賀心が頂けれるとは思えませんからね、
本当に和賀心になったら、右になろうが、左になろうが、神様任せ、
どちらでも良い、と言う世界でしょうからね、
その和らぎ賀ぶ和賀心を頂く、その手前なのでしょうかね、
それと同一なのか、その辺はよく分かりませんけれども、
やはり安心、心に安心を頂く、と言う事が大切だと思いますね、
その安心を頂く、その安心にも色々有ると思うのですが、
それこそ、この先生にお取次ぎを頂いたら、
願いを叶えて下さる、と言う、
その取次ぎの先生に対しての信頼を得ると言うのでしょうかね、
心の中に頂くと言うのでしょうか、そして頂く安心、
何か問題が起こったら、この方にお願いすれば間違いない、
まぁ、都合の良いようにと言うのか、良いようにして下さる、
と言うその何と言いましょうかね、頼れる先生に出会えて居る、
お願いすれば良い、と言う事への安心、
と言うそう言う安心が有りますね、
もう一つの安心は、それこそお願いした、
そして、右になろうが、左になろうが安心、と言う安心ですね、
そこには、右になろうが、左になろうが、
それこそ神様が御働き下さってある、と言うその、
神様が御働き下さる、と言う事を確信しての安心ですね、
右になったから安心、左になったから安心ではない、
あれはある先生がそれこそ、
お取次ぎを頂いて起きて来る事、良い事、悪い事、みな良いと、
お取次ぎを頂かずして起きて来る事、良い事、悪い事、みな悪い、
と言う様な事を教えて居られる先生が居られますね、
お取次ぎを頂いた後に起きて来る事は、
それは右であろうが、左であろうが、もう神様任せで大安心、
と言う安心ですね、
ではその安心を頂くにはどうすれば良いのかと、
これはやはり、本を読んだり、教えを聞いたり、
一遍本を読んだ、一遍教えを頂いて、なる程と合点が言った、
と言う程度では、そう言う安心は頂けませんね、
やっぱり教えを繰り返し繰り返し頂き、
それこそ失敗をしながらでも教えに取り組み、
その後に、なる程と、心と体で合点が行く、
そう言う信心体験の積み重ね、
お取次ぎを願い、おかげを頂く、あるいは頂かない事も有る、
頂かない事も有るけれども、結局はおかげであったと分かる、
そう言うやっぱり信心体験の積み重ねによって初めて、
安心のおかげが頂けれる、神様体験と言うのでしょうかね、
中には、奇跡的な体験をする事も有りましょう、
日々の中に神様を感じる体験を積み重ねる、
為には、成行きを大切にする、
そこには必ず神様の働きが、感じさせて下さる、
その為には、やはり私どもがその感度と言うのでしょうかね、
信心センスを磨いて行く、
その、これは神様の働きだ、いわゆるこれは偶然だ、
と言う偶然で終わらせるのではなく、
これは神様の御働きだ、と神様の御働きを御働きとして実感出来れる
その感性を磨いて行かねばなりませんね、
偶然と言えば偶然だし、神様の御働きと頂けば、
間違いなく神様の御働きなのですから、
そう言うやはり信心の稽古の積み重ねによって初めて、
安心の心が頂けれる、安心のおかげが頂けれる、
そして和賀心と言うおかげが頂けれる、
と言う事になりますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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