2023年1月28日土曜日

信心とは自らの心を自由自在に使いこなすための稽古 (2023-01-28)

 今日も和賀心学 (2023-01-28)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心とは自らの心を自由自在に使いこなすための稽古である。己の心一つが中々ままならないのが現実ではあるが、師匠大坪総一郎師は「くノ一修行」と表現された。女忍者が変幻自在に姿形を変え得るように、私どもも自らの心を変幻自在に有難い方へ有難い方へと変えて行けるように稽古をするのである。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 175頁)


ビデオ: https://youtu.be/BhlkFmIGctg

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-28.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




わが身がわが自由にならぬものぞ




我が身が自由になりませんが、

心は稽古次第で自由自在に使うことが出来るようになります




喜びに喜んで過ごせる稽古が信心です




ルールを守り約束に従う行き方、

信心も教えにもとづく生き方はいかにも窮屈のように見えますが、




身につくと有難く楽しい生活が出来るようになります

自由以上の自由を頂くことのために




心は稽古次第で自由に使う事が出来るようになります、

と有ります、




しかしその自分の心が自由にならない、

と言うのが、普通ですね、




如何にも自由になりそうに有りますけれども、

ギリギリの所は中々自由にならない、




自分自身の心を自由に、自由自在に使いこなせる為には、

やはり信心の稽古が要りますね、




師匠が、この信心の最高の修行と言うのでしょうかね、

それは、くノ一修行だと仰ってられましたね、




くノ一、女の忍者の方の事ですね、




言わば変幻自在に姿形を変えて、

お役に立つと言うのでしょうかね、




その自分の心を変幻自在に、自由自在に使いこなせるようになる、

その稽古だと言う事ですね、




自分の心が自由自在に使いこなせたら、

なる程これほど楽しい、有難い事は有りませんね、




その為には、やはりくノ一修行が要ると、

修行なしに、それこそ忍者になれるとは思えませんからね、




それ相当の修行が要ると言う事ですね




今朝は長いお夢を頂きましたが、

そこで何かテストを受けて居るのですけれども、




そのテストの答えと言うのが、その解答を深めれば深めるほど、

迷路に入り込んで行くと言うのでしょうかね、




助からなくなると言うのでしょうかね、

何かそんな感じのお夢でした、




それで、思わせて頂きましたのは、




その師匠が、もうこれ以上深める必要は無い、

高める必要は無い、と仰いましたね、




信心を深めるとか、高度な信心とか言うけれども、

もうこれ以上深めて求めて行くと、




またそれこそ、今せっかく真清水が、

おいしい真清水が出ているのが、




もっと深めると、ガラクタが出るかもしれないと、

また高度な信心、信心を高めると言って、高度になる、




ところが一番良い所に今、生活させて頂いて居ると、

もしこれが、高い山に登る、




例えば、エベレストならエベレスト、

それ以上の山がもし有るとするならば、




それ以上の山に登ったとすれば、もう空気は薄くなって、

普通では生活が出来なくなる、




空気が薄くなり過ぎると言うわけですね、

そしてまたそれこそ田を耕したり、食物を作ったり、




言わば畑に作ったりと言う様な事は、

もうそれこそエベレストの山頂では出来ませんね、




食物を例えば、栽培するのには、

適した高さと言うものが有りますね、




そこを越えると、

もう食物を植えられなくなる、




言わば生身のある人間が一番良い生活が出来ると言うのでしょうか、

おかげを頂いて行けると言うのでしょうか、




生身を持つ人間として助かって行く、幸せになって行く、

それには今位の所で良いのだと、




確かにもっと深い世界、もっと高度な世界が有るかもしれない、

しかしそれ以上深めたり、それ以上高度な所に登ろうとすると、




生身を持つ人間としては、

その助かりからは遠のいて行く事になる、と言う事なのですね、




大変微妙な所なのですけれども、

より本当から真実を求めると言う信心は大切です、




しかしそのもっと深める、もっと高めるとなると、

今度は、生身の人間の助かりの世界からは遠のいてしまう、




必要が無い、と言う所も出て来るのだと言う事ですね、

今、ちょうど良い所に居ると、




勿論自らの心を磨くと言う意味においては、もっとより大きく、

より美しく、より本当の自分自身を求めて行かねばならない、




しかし、信心の御教えと言うのでしょうかね、

と言う上においては、これ以上深い教えを求めたり、




これ以上高度な信心を求めて行くと、

生身の人間としては、生きられなくなる、




生身の人間としては、その旨味から遠のいてしまう、

助かりから、遠のく事にもなりかねない、




と言う様な、大変微妙な所ですね




師匠が教えて下さった合楽理念、

これをやっぱり師匠はそこから、




復習して下さいと、そして充実させて下さいと、

言う様な事をお話されましたけれども、




教えとしては、もう生身の人間が頂く、

生身の人間が幸福になる上においては、もう十分だと、




言うことなのですね




そうとして愈々、今まで習って来た事を、より身に着ける事、

身に着けると言う事においては限りが有りませんからね、




稽古をすると言う事においては、限りが有りません、




どうでも、何と言っても、先ずその土台は、

成行きを大切に尊ぶと言う事ですね、




その成行きを大切に尊びながら、

自らの心が自由自在に使えるようになる、




その為の稽古をさせて頂く、正にくノ一修行をさせて頂く、

そこにおいては限りが有りませんね、




しかし、教えにおいては、今一番生身の人間としては、

今一番良い教えを頂いて居ると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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