2023年1月12日木曜日

目が覚めさせて頂いて有難いなぁ、と素直に思える心 (2023-01-12)

 今日も和賀心学 (2023-01-12)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


朝、目が覚める。そして、あぁ目が覚めさせて頂いて有難いなぁ、と素直に思える心。そして次に、今日も一日、心磨きをさせて頂こう、と心に思い、どうぞ今日も心磨きをさせて下さいと願えれれる心を頂きたい。先ずはそう言う構えを作っての一日の始まりであるならば、きっと有難い一日になるだろう。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 134頁)


ビデオ: https://youtu.be/fyTMazAM-N4

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-12.mp3


合掌

中原博信

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慢心が大けがのもとなり




信心はえらくなるためでもなければ、

かしこうなるためのものでもない




信心は有難うならせてもらう稽古である

おかげを受けるために信心すると、おかげを受けて慢心になる




信心、真心、神心を求めての信心には、慢心の出ようがない

が、慢心が出るほどのおかげも受けてみたいものです




信心は有難うなる稽古である、

と教えて下さいます、




その有難いと言うその先ず第一に、

朝、お目覚ましのおかげを頂きます、




ああ今日も目覚ましのおかげを頂いた、

今日もそれこそ生かされて居る、と言うのでしょうかね、




ああ今日も生きているな、命を頂いているな、

とその目が覚めた事に有難いな、と素直に感じれる心、




と言うのでしょうかね、




ああ目が覚めた、目が覚めて有難いな、

と素直に思えれれる信心と言うのでしょうか、




そう言う心を頂きたいものだと思いますね、

そしてまた次に、その目が覚めて有難いなと、




そしてまた今日も一日、心磨きが出来ますように、

と思えれれる様な、




どうぞ今日も一日、心磨きをさせて頂きたい、

させて下さい、と願いが湧いて来る様な、




そう言う心で有りたいものですね、

先ず、目が覚めたら、ああ目が覚めて有難いな、命が有るなと、




有難い事のいの一番は、命が有る事、

と師匠も教えて下さいます、




先ず、目が覚めて、目が覚めた、

その事が有難いな、と感じる信心と言うのでしょうかね、




そして次に心に湧いて来る事が、

さあ今日も一日、心磨きをさせて頂こう、




どうぞ神様、心磨きをさせて下さい、

と心に思えれれる様な心を頂きたいものですね、




そこから始まると、その日の一日が、

それこそ有難いものになって来るのではないでしょうかね、




師匠がよく、猪撃ちの話をして下さいました、

皆んなが、人々が山に登ります、




ハイキングがてら山登りを致したり致します、

それでそのいわゆる物見遊山と言うのか、




ハイキングと言うのか、がてらに山に登ります、

そうすると、向こうから猪がやって来る、




まぁ、猪突猛進で追っかけられるわけですから、

怖いわけですね、




で、猪に出くわしたら、そそくさと逃げ出す、

と言うのでしょうかね、シマッタ、と思うわけです、




ところが、これが猪撃ち、

猪を獲る事を生業として居る人にとっては、




山に登るのは、猪を探しに行くわけですから、

向こうから猪がやって来たと言うか、猪に出くわした、




そしたら、シメタと思うわけですね、




今日も一日楽しい事が有りますように、

と、楽しみを求めて山に登るのか、




さあ今日は一つ猪を仕留めるぞ、とその猪を仕留めるぞ、

と言う覚悟を持って山に登るのか、




その構えですね、

その構え一つで、例えばその山の中に入って起きて来る出来事、




猪に出会った時に、シマッタと思うのか、シメタと思うのか、

その道が分かれると言う事になりますね、




勿論、その人の中に湧いて来る

有難いと言うものが、




ただ楽しみの為に山に登った人にとっては、

とても有難い事とは思えない、




しかし猪が獲ろう、猪を獲ろうとして、登った人にとっては、

猪撃ちにしてみれば、猪が出て来たら有難い、と言う心になりますね




ですから私どもが、それこそ今日一日楽で有りますように、

楽しい事が有りますように、




自分にとって都合の良いように事が運びますように、

と言う事を願っての一日であるのか、




それとも、よし今日も一日、心磨きをさせて頂こう、

と言う思いで、そう言う構えを持って一日に挑むのか、では




何か例えば出来事が起こって来た時にでも、




それをあぁシマッタ、嫌だなと頂くのか、

よしシメタ、これでまた心磨きが出来るぞ、




と、よしこれで一回り大きくなる稽古が出来るぞ、




とまぁ、その何と言いましょうかね、

どう言う心持ちになるかが、構え次第で違って来ますね、




より、どちらの方がより有難い一日になるでしょうかね、

楽を求めての一日か、心磨きを求めての一日か、




勿論、楽を求めての一日には、

師匠が、楽はしようと思うな、させて頂け、とも、




楽をしようとする心に楽は無いと、

楽はせんぞ、の心に楽が有る、とも教えて下さいますね、




その、よし今日も一日、心磨きをさせて頂こう、

と言う心構えを作っての一日であるならば、




たとえどう言う事が起こって来ても、

有難いと言う答えを出す事が出来ますね、




やはり一日、朝、目を覚まさせて頂く、

そしてそこでまず第一に何を思うか、




そしてその日一日の何を願うか、と言うその心構えによって、

その一日が有難い一日となるのか、




シマッタの一日になるのか、

シメタの一日になるのか、と言う事ですね、




どうでも朝、目を覚まさして頂き、その先ずは、

目が覚めた事が有難いと感じる、そう思える心を頂きたい、




そして次に、さあ今日も一日、魂磨きをさせて頂こう、

と言う構えを作ると言うのか、




その構えを持てる様な

心を頂きたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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