今日も和賀心学 (2023-01-11)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心させて頂いて一番の有難い事、あるいは一番のおかげは、私どもの価値観が変わる事だと思う。今迄は自らの物質的豊かさに価値を置いていたものが、精神的豊かさにより価値を見い出す様になる事だと思う。それは人様が助かられる事が有難い、と感じる心が芽生えて来る事でもあると思う。心が育たねば。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 128頁)
ビデオ: https://youtu.be/Jb68NFB6jWE
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-11.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
まめなとも信心の油断をすな
まめであればある程に、平穏無事であれば平穏無事である程に、
強うなり手厚うなる信心を身につけてゆかねばならん
それには和楽路ばき(一生懸命の意)の信心が、
いよいよ決意されねばならん
御道の信心は、
和楽の路を辿るのであるから
道を辿る、さあその道を辿って、
どこを目指して辿るのか、と言う事になりますね、
私どもが信心をさせて頂くと言う、
何の為に信心をするのか、
また信心をしたらどうなるのか、
と言う事ですね、
信心をさせて頂いても、何も変わらない、
と言うのでしょうかね、
何にもならない、信心を始めた時、信心が終わってから、
ビフォア、アフターとか言われますけれども、
そのビフォアの姿とアフターの姿が変わらない、
と言う事であれば、
信心をしようが、しまいがどうでも良い、
と言う事になりますけれども、
そのビフォアとアフターが変わって来なければならない、
ならないと言うよりか、変わるものですね、
それこそ信心をさせて頂いて、一番有難いもの、
あるいは一番のおかげは何かと言うと、
これはやはり私どもの価値観が変わる、
と言う事だと思いますね、
もしもその私どもの価値観が変わっていないならば、
あまり信心しても値打ちが無いのかもしれませんね、
ではその価値観がどう変わるのか、
それは、物質的なものの豊かさに価値を置いていた、
その価値体系と言うのでしょうかね、
そこから、精神的な豊かさに、より価値を置く、
その価値体系に変わって来る、と言う事ですね
もし、それが変わっていないならば、
信心をあまりしていなかった、と言う事になるのかもしれませんね
私どものいわゆる価値観、
それが物質的な豊かさを求めるその価値観から、
精神的な豊かさを求める価値観へと、
変わって来なければならない、と言う事なのですね、
それが信心をさせて頂きますと、その精神的な価値観、
精神的な豊かさを求めるそこへと変わって来るものなのですね、
また変わって行かねばならない、変わって行かないなら、
ただ拝んでおかげを頂く、自分にとって都合の良い、
ただ神様に手を合わせて、好都合のおかげを頂く、
そこ止まりだったと言う事ですね、
そこからもう一歩踏み込んで、
それこそ教えを頂き、教えを行じ、
そしてそこに神様の御働きを頂き、
また神様の御心に触れ、愈々自らの心を見つめ、
そしてそこに物質的な豊かさを求めるのではなく、
精神的な豊かさを求める姿勢へと変わって来る、
それこそ例えば車が欲しいと思いますね、
良い車が欲しいと思います、
それこそまぁ普通の人で言えば、
そこら辺に走っている普通の車ですか、
それよりか排気量のもっと大きい、そしてあるいはそれこそ
もっとポルシェの様な高級なスポーツカーにでも乗りたい、
と思いますね、でも価格的に普通の価格が、
100万円なら 100万円で買えるとしましょうか、
で、お金を儲け出して、高級車が買えるようになった、
ベンツに乗れるようになった、ポルシェが買えるようになった、
500万円、1000万出せるようになったと致しましょうか、
さあそこでどの車を選ぶかと言う事になりますね、
もし、ただ単に車としての価値と言うのでしょうか
物を運ぶ、人間を運ぶ、あるいは物を運ぶ、
と言うだけの事であるならば、100万円の車であろうと、
1000万円の車であろうと、機能的には変わらないわけですね、
ただ、そのスピードが出るとか、騒音が、車内の騒音が低いとか、
乗り心地が良いとか、そう言うものは有りましょうけれども、
物を運ぶと言う基本的な事が出来さえすれば、
1000万円の車でも、100万円の車でも変わらないわけですね、
そこに、お金が有ったとして、100万円の車にするか、
1000万円の車にするか、と言う時に、
これは同じなのだから、乗り心地は多少我慢してでも、
100万円の車で良いと、あと 9000、失礼あと900万残ると、
この 900万のお金で人が助かる事の為に、
この 900万を使わせて頂こう、
物を運ぶと言うだけなら、私は100万の車で十分なのだから、
と言う心に変わって来る、と言う事ではないでしょうかね、
物質的な豊かさを求めると言う事であれば、
やはり 1000万の車を買おうと致しますけれども、
精神的な豊かさを求める心に変われば、
いや、1000万の車は買えるけれども、100万の車で良い、
あとの 900万は、人が助かる事の為に使わせて頂こう、
と言う心が生まれて来るのではないでしょうかね、
そう言う価値観に、私どもの心が変わった時に、
それこそおかげを頂いて居るな、
有難いな、とそれこそ自分の心が拝めれるようにもなる、
より一層有難くもなる、と言う事ではないでしょうかね、
そしてその物質的な豊かさを求める価値観から、
精神的な豊かさを求める価値観へと変わってしまった時に、
そして神様が、これはもういわゆる価値観が完全に変わった、
と観てとられた時に、
今度は改めて、精神的なその豊かさに、
物質的な豊かさをも付録の様にして付けて下さる、
と言うのでしょうかね、そう言う世界が、
師匠大坪総一郎師の世界であったように思いますね、
いつまでも、それこそ清貧に甘んじる、ではありませんけれども、
その清貧に甘んじているのではない、
寧ろその甘んじるのでは有りませんね、
求めて清貧の中に居ると、入って行くと言うのでしょうかね、
そしたらそこに、錦の着物も神様が着せて下さる様な、
別に求めてのものではない、
神様が着せて下さろうとする働きが、そこに現れる、と言う様な、
そう言う世界を、師匠は見せて下さったように思いますね、
先ずは私どもが、物質的な豊かさを求めるその価値観から、
精神的な豊かさを求めるその価値観へと、
変わらねばなりませんね、
変わって行く様な心のお育てを頂かねばならない、
そしてその価値観が変わった時に初めて、
それこそが有難い事で有り、それこそがおかげだと言う事なのですね、
私どもがまだまだ物質的な豊かさの方に重きを置いておる、
それが、比重が、
段々精神的な豊かさに価値を求める様な、価値を置く様な、
そう言う心に育たせて頂きたいものですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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