今日も和賀心学 (2023-01-05)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人の真実の助かりは、天地金乃神様のおかげを頂かずして、人智人力のみで成すことは大変難しい事を悟り、しかも和らぎ賀ぶ和賀心を目指しての精進が早道である事を悟ってもらいたい。神様のおかげを、御働きを頂きながら自らの心の中に和賀心を頂く事を目指しての精進の道に先ずは縁を頂かねばならない。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 214頁)
ビデオ: https://youtu.be/vJMS8YSHMdc
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-05.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第7節
天地金乃神は昔からある神ぞ
途中からできた神でなし
天地ははやることなし
はやることなければ終わりもなし
天地日月の心になること肝要なり
信心はせんでもおかげはやってある
天地は流行ることも終わることもなし
然れども人間の住む地球上には、どんな変化があるかわからない
今、地球は「寒天危地」にさらされている
その様な現状の中でも、
特に地球上にさまざまな大きな変化が起こっていることも
由々しき事と思われます
神さまはいつも人間氏子を中心に
お働き下さってあることを思う時、
人間も又神様中心の生き方にならせて頂く生き方を
悟らねばならぬ重大な時期にあると思います
即ち「寒天危地」を
「歓天喜地」に
その働きを受けるには
『信心はせぬでもおかげはやってある』おかげに気づき、
神恩報謝の神さま中心の生き方を身につけねばなりません
和賀心時代を世界に開く運動がいよいよ急を要します
師匠が、和賀心時代を創る、
と提唱して居られます、
和賀心時代、和らぎ賀ぶ和賀心、
これはただ天地書附に有ります、
おかげは和賀心にあり、と言うその、
おかげを頂きたいから和賀心になろうとするばかりではない、
その為の和賀心時代ではないように思いますね、
もっとそれ以上に、言わば人間の幸せと言うものは、
もうこの和らぎ賀ぶ和賀心になる以外ないのだ、
いや寧ろ和賀心になるのではなく、
和賀心を目指すと言うところですね、
それは、神様が人間氏子に与えたいものは、
人間氏子が目指してもらいたいものは、和賀心、だからですね、
先日からもお話ししますように、
馬の前に、目の前に人参をぶら下げるのは、
馬に人参を食べさせたいからではない、
馬を走らせたいから馬の前に人参をぶら下げる、
おかげは和賀心にあり、
とそのいわゆるおかげ、ご利益を与えたいから、
おかげは和賀心にあり、と言われるのではない、
人間氏子に幸せになって欲しい、その為には、
和賀心を目指して欲しい、和賀心を頂いて欲しい、
とその和賀心を目指して走り出す、その為に、
おかげは和賀心にあり、と言う人参をぶら下げて居られるのだと、
言う事ですね、人間はとかくおかげが欲しいから、
和賀心になろうと致します、
言わば昔、おまけ付きのグリコと言うのが有りました、
今も有るのかもしれませんが、
それでそのおまけが欲しいから、
グリコを買おうと致します、
しかし子供たちに食べて欲しいのは、グリコですね、
グリコが栄養が有るから、と言うわけです、
子供たちに補って欲しい、摂って欲しい栄養が有るから、
そのグリコを食べて欲しいと言うわけです、
やはり私どもは、そのおまけに
どうしても幻惑される所が有りますね、
それはそれで良いのですけれども、
神様が本当に私どもに、
頂いてもらいたい、目指してもらいたい、
と言うのはその、いつ如何なる時においても、
和らぎ賀んでおれる和賀心、と言う事ですね、
教祖様に、世間になんぼうも難儀な氏子有り、
取次ぎ助けてやってくれと、難儀な氏子が多いと言う事、
その難儀も人智人力では助からない難義な氏子が沢山居られる、
と言う事、神様のおかげを頂かなければ、
それこそ、和賀心を目指さなければ、
助かり様の無い人達がやはり居られると言う事、
そしてその、師匠の和賀心時代を創ろうとされる、
その運動に与からねば、
人の真の幸せと言うもの、
真の助かりと言うものが得難いもの、と言うのでしょうかね、
得られるのかもしれません、
他の方法でも得られるのかもしれませんけれども、
和らぎ賀ぶ和賀心を目指して精進させて頂く事が、
人が真に助かる為の、近道だと言う事ですね、
そこを目指さなければ、
中々人間の助かりは得難いものですね、
そこを目指せば、
助かりの道も近くなって来ると言う事なのですよね、
ですからどうでも、
和らぎ賀ぶ和賀心を目指しての信心をさせて頂く、
その事の為の教えであったり、
神様のおかげであったり、と言うものを頂こうとする、
そう言うおかげを授けて下さる神様が居られると言う事、
その神様に縁を頂いてない人達が多いですね、
その縁を頂いていないから、助かり様が無い、
どうやって助かったら良いのかが分からない、
そう言う、この氏子を助けたい、
と言う神様の願いがかけられた、
それも和賀心を目指す事によって、真に助かる事が出来る、
と言うそう言う道を知らぬ人達の上に、
ここに助かりの道が有るのだと、言う事を示し、そこに導いて行く、
その為の御用に立たせてもらわねばならない、
人が真に信じて助かって行く為の御用、
そう言う願いのかけられた人々をお引き寄せ下さい、
そしてそう言う人々を和賀心へ導く、
自らも和賀心を目指して精進する、
その為の何と言いましょうかね、
人々をお引き寄せ下さい、と言う願いがまた要ると言う事を、
今朝はつくづくと実感させられております、
先ずはやはり、この御道に、天地金乃神様に、
また師匠に縁を頂かなければ、真実の助かりを得ようが無いのですね、
ですから先ずは、この御道に縁を頂くと言う事、
師匠との縁が出来ると言う事、
その縁ある人を、縁を作るべき人を、
神様どうぞお引き寄せ下さい、と願わずには居れませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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