今日も和賀心学 (2023-01-24)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
魂を磨く為に信心しようと最初から思っている人は殆ど居ない。勿論心を育てる為に信心を始めたと言う人も殆ど居ないだろう。抱えている問題等がキッカケとなって御縁を頂くのであろう。師匠大坪総一郎師は、日参聴教と教えて下さる。話を聴かねば心は開けない。御縁を得て話を聴き続ける内に心が開ける。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 126頁)
ビデオ: https://youtu.be/3-aQyopJHSY
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-24.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
障子一重がままならぬ人の身ぞ
なんと悲しい迄の表現である
然しこの事を悲しい迄に感じとった時、
すがらずにおれぬ、任せる外なしの心が開ける
初めて真の信心の第一歩といえるのではなかろうか
真の信心の第一歩、
と、師匠大坪総一郎師は仰ってられますね、
真の信心の第一歩、その第一歩をしるすと言う事、
さあどこからその第一歩がしるせるのか、
信心をしておる人、また始めようとする人、
沢山の人達がやはり信心をしようと致します、
また信心をしない人達も沢山居られます、
しかしその信心をすると言う人達でも、
最初から、真の信心をしよう、と願って信心をされる人や、
真の信心をして、心を磨こうとか、心を育てる為に信心をしよう、
と言う様な人はまず少ないでしょうね、
そのこの御道に御縁を頂くでも、
よしこの御道なら私の魂を磨いてくれる、
その魂を磨く、心を育てる手立てを教えてくれる、
だからこの信心をしよう、
と言う人は殆ど居られないのではないでしょうかね、
私は未だそう言う人に会った事が有りません、
勿論、私自身もそうです、
私自身も、心を磨く為にとか、育てる為にこの信心、
この御道に御縁を頂いた、と言う事では有りませんね、
私の場合は、それこそ共励会で人が沢山集まって居られる、
そこに行ったら、車が 1台売れるのではないだろうかと、
誰かと縁が出来て、車の、当時は車のセールスをしておりましたから、
車が 1台売れるかもしれないな、
と言う、そう言う下心を持って共励会に参加しましたからね、
それはそれで良いと思うのですね、
最初から真の信心をしたいとか、心を磨きたいとか、
育てたいとか、より大きな心を持ちたいから、
それこそ和らぎ賀ぶ和賀心になりたいから、とこの御道に入った人、
あるいは信心を始める人は殆ど居ない、と思うのですね、
やはり何かの問題を持っておったり、
私の様に下心が有ったり、それは問題が有ると言えば、
車が売れないから、あそこに行けば売れるかもしれない、
と言う一つの問題と言えば問題ですね、
欲と言えば欲です、願いと言えば願いですね、
あそこに行けば願い事が叶う、叶えて下さるかもしれない、
また難儀から、例えば病気なら病気を治してくれるかもしれない、
人間関係の問題なら、その人間関係の問題を答えを見つけて下さる、
言わば解決して下さるかもしれない、
と言う様々な私どもの願いの元に、
教会の門を叩いたり、そのこの御道に御縁を頂く、
と言う事ではないでしょうかね、
ある意味、そう言うふうに様々な問題を通して、
神様が、この御道に縁を頂く為の、縁を頂かせる為に、
問題を、何と言いましょうかね、授けられた、
与えられたと言うのでしょうか、そう言う事もまた有ると思いますね、
そう言う様々な、その人その人に応じた、ある方は病気であったり、
ある方は金銭の問題であったり、ある方は人間関係であったり、
嫁姑の問題であったり、あるいは立身出世の為に、
願をかけると言うのでしょうかね、
様々な、その個人的な思惑と言うのでしょうか、
それを持って、この御道に御縁を頂いた、
そしてそこからですね、教祖様がそれこそ、
願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせと、
仰って居られますその理解申して聞かせの、
理解の部分を頂くわけですね、
ですからこれは、不思議な所が有って、例えば教会にお願いに行く、
そして立ちどころにおかげになる、と言うそう言う人達は、
足が、おかげを頂いたらもうそれで遠のいてしまいますから、
それっきりですね、いちげんのお客さんの様なものでしょうかね、
心を磨くと言う所までには至りませんね、
そこまで思いが進みません、
ですから神様が、わざとの様にして、おかげを遅らせる、
と言う御働きも有る様ですね、
おかげを頂きたいから、それなら日参をしなさいと、
そして、何日でもおかげを目当てにお参りをする、
すぐおかげを頂けば、お参りをしなくなるから、
それでは神様のうま味が無いわけですね、
ですから、おかげを小出しにすると言うのでしょうか、
そう言うふうにして、引き止めるのですね、
その間に何をするのか、
その間に教えを頂くと言う事ですね、
やはり師匠も 5つの行、日参、聴教、信行、心行、家業の行、
と仰って居られますその日参、毎日お参りをする、
そして聴教、教えを頂く、
毎日教えを頂くと言う事が、やっぱり一番大切ですね、
その教えを頂く事によって、なる程こうする事が本当なのだな、
こう言う心を持たねばならないのだな、
なる程和らぎ賀ぶ和賀心を求めての信心なのだな、と、
私どもが人間として人生において進むべき方向を、
やはり教えを聞かないと分かりませんね、
教えを毎日毎日、1回ぽっきり聞いても中々分からない、
それも何回も何回も繰り返し、繰り返し聞かせて頂く事によって、
心が段々変わって来る、
ある意味、マインドコントロールと言われたり、
洗脳と言われたりも致しますけれども、
そう言う要素も無きにしも有らずかもしれませんね、
しかしそれは、悪い方にコントロールしようと言うのではない、
真の信心、人間として、本当のあり方を、
神様が教え込もうとされるわけですね、
これが間違った方向に行くと、大変な事ですけれども、
正しい方向に進む為には、やはり教えを聞き続ける、頂き続ける、
それは、洗脳にも似た様なものが確かに有るのかもしれませんね、
しかしそれはただ単に無条件に催眠術をかける様なものではなく、
自らの心の中からの覚醒と言うものですね、
その覚醒を促す為の御教えと言う事でも有りますね、
なる程、この世には魂を清めに来たのだと、覚醒する、
覚醒させる為の御教えでも有ると言うわけです、
それは、やはり繰り返し繰り返し頂く内に、
初めて、目が覚めるわけですからね、
中には、一回聞いて目が覚める、
と言う事も有りますけれども、
やはり、何回も何回も繰り返し、繰り返し、
教えを頂くと言う事が大切ですね、
その中に、はっと閃き、心が開ける、と言う事が有りますね、
やはり教えを毎日頂く、と言うその作業の中に、心が開けて来る、
真の信心への第一歩も道付けられると言う事になりますね
毎日教えを頂き続ける、これがやはり大切ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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