2023年1月29日日曜日

天地日月の心、自らの助かりの為に地の心、平和な人間社会を築く為に天の心 (2023-01-29)

 今日も和賀心学 (2023-01-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


教祖生神金光大神様は、天地日月の心になること肝要なり、と御教え下さる。今朝は、人間が個人的な助かり、幸せを求めて地の心を身に着け、平和な人間社会を築くために天の心を身に着けるのだと頂いた。地の心とは受けて受けて受け貫く土の心、天の心とは人様の幸せを祈り与えて与えてやまぬ美わしの心。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 355頁)


ビデオ: https://youtu.be/qEBIqH1vpTM

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-29.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第54節




徳のないうちは心配する

神徳を受ければ心配はない




損得を任せ、生死までも神さま任せになれた時の状態が

『心配はない』の時である




神徳を受けるということは、

神を信じ神に信じられる事である




私共の場合あまりに心配なことが多い

そこに信心の精進が求められるのである




不思議に不安から安心の世界が開かれ、

闇の世界から光明の世界に移り住むことが出来る




既に神徳の世界である




信心の精進、

と教えて下さいます、




その信心の精進をするとか、

信心の稽古とも教えて下さいます、




ではその信心の稽古とは何をするのかと、

その信心の精進、信心の稽古、




師匠はそれを 5つの行、

日参、聴教、信行、心行、家業の行と教えて下さいます、




日参、毎日のお参り、

そして聴教、毎日の御教えを頂く、




信行、信心の行ですね、言わば御祈念をあげると言う、

神様に向かい御祈念の、昔で言えば大祓いですか、




今で言えば、拝詞信行ですか、をさせて頂く、

そして心の行に努める、




そしてそれが家業の行、

いわゆる家業の中でその行がなされる、




と言うのか、信心による家業と言う事になりましょうかね、

それこそあれは何ですか、




生活の為の信心から、信心の為の生活と言う事になった時に、

家業の行と言う事になるのではないでしょうかね、




その心の行ですけれども、具体的にでは心の行とは何か、

これはやはり教祖様が教えて下さいます、




天地日月の心になること肝要なりと、天の心、地の心を、

日月の心を求めての心の行、精進と言う事になると思いますね、




では天の心とは、与えて与えてやまぬ美わしの心だと、

地の心とは、受けて受けて受け貫く土の心だと、




そして日月の心とは、正確無比な、

またはその実意丁寧な心だと、




今朝頂きますのは、

その私どもの個人的な助かり、と言う事においては、




この土の心をマスターすると言うのでしょうかね、

土の心を身に着けようとする、受けて、受けて、受け貫く心、




その受け貫く心を頂く為には、

やはり私どもの我情我欲を外さねば受け切れませんね、




そしてまた、成行きが神様の御働きだと、

私にかけられた神様の願いが成就するため、




それは私どもの幸せを願っての神様の御働き、

だからその神様の御働き、成行きを頂く、




その為には、土の心で頂き貫く、

その事柄によって、私どもの心を改めて行く、




言わば心の根を肥やして行く、

大地がそれこそ様々なものを振りかけられる、




その事を根肥やしとして、綺麗な花を咲かせたり、

美味しい果物を実らせたりするように、




その心の大地と言うのでしょうかね、

それを肥やして行くのだと、




為に受けて受けて受け貫くのだと、

これは自らの助かりに繋がる事ですね、




そして今日、特に頂きますのは、

もう一つの天の心、




師匠は、地の心で 8合目まで、

後の 2合は天の心で、と教えて下さいます、




勿論、この天の心、地の心、日月の心を身に着けると言う事が、

神様からの御信用を頂くと言う事でもありますけれども、




今日は特に、人類としての平和、と言うのでしょうかね、

人類世界の助かり、私個人一人の助かりではない、




人類としての、社会と言うのでしょうかね、

の助かりの上において、これは天の心が要るのだと、




言わば、社会的なものと言うのでしょうかね、

人と人との繋がりと言うのでしょうかね、




そう言う上において、天の心、これは人様の助かりを祈る心、

願う心でもありますね、




人様が助かられる、その事の為に寄与させて頂きたい、

その事の為に与えて与えてやまないのだと、




それは勿論与える事によって、

私どもの中に喜びが湧いて来る、




それは、相手の方が助かって下さる、

その事を祈っての事であるわけですからね、




人の助かりが私どもの喜びだとなって来る、

言わば人様が助かられる事、を祈る、願う、




その事の為に何かしら行動をする、

それがやっぱり天の心と言う事ですね、




人の助かりを祈る心、それが芽生えて、育って来る、

と言う事になりましょうかね、




その天の心が、出来上がってと言うのか、

身に着いて初めて、心が成長すると言う事になるのでしょうかね、




ある意味、自分の事は 8分考えて、後の 2分は人様の助かりを祈る、

願うとも言えるのかもしれませんね、




自分の事ばっかり考えていたのでは、

我利我利亡者と言うのでしょうかね、




自己中心と言う事になってしまいます、




もっともそれが、相手の事を、だけを考えると言う、

全く綺麗な心の人も中には居られましょうけれども、




人間中々そうは行きませんからね、

とにかく、先ずは自分の事は 8分で止めておいて、




後の 2分は人様の助かりを祈らせて頂く、

と言う事も要るのではないでしょうかね、




そしてそこから愈々、

相手の、人様の助かりを祈れれるようになる、




そして寧ろ自分の事よりも、

人様の助かりの方を先にするようになる、




そう言う心が愈々、育って来なければなりませんけれども、

先ずはせめて 2分位は人様の事を祈らせて頂く、




そう言う心を頂いて行く、と言う事でしょうかね、




もし、これが皆んなが、人の助かりを願う、

その事で満たされる様な世の中になれば、




戦争も犯罪も、そう言う争い事などは無くなるのでしょうからね、

自分の事ばっかりしか考えられない、自分の欲を満たす事、




自分が満足する事、そこばかりに血道を上げるから、

犯罪も戦争も起こって来るのでしょう、




せめて、先ずは 2割位は、

人様の助かりを願えれれる様な私どもにならせて頂く、




そこから社会の平和も出来る、とまでは行かないでしょうけれども、

そこへ向かって進む事が出来る、




そしてゆくゆくは、それこそ100パーセント、

人様の助かりを祈る心で、私どもの心が満たされた時には、




お互いが、平和な社会が愈々築かれて来る、

と言う事になるのではないでしょうかね、




為には、せめて 2割位は、人の助かりを祈れれれる様な私どもに、

先ずはならせて頂きたい、




それが、天の心を身に着けると言う事の稽古にもなる、

と言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします、




ありがとうございます



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