2023年1月22日日曜日

成行きは己の心の写し鏡である (2023-01-22)

 今日も和賀心学 (2023-01-22)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心をすると言うことは、天地金乃神様のおかげを頂く為にさせて頂く、と同時に自らの心の小ささ、心の汚れ、浅ましさ、我情我欲に気付かせて頂く為に信心の稽古がある。成行きはその自らの心の写し鏡である。己の心の小ささや汚れた心が写し出されているのが成行きである。愈々心磨きの発心の時である。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 338頁)


ビデオ: https://youtu.be/WHUvL2l_PJA

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-22.mp3



合掌

中原博信

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御理解 第48節




わが子の病気でも、

かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ




言うことを聞かぬ時に、

ままよと思うてほっておくような気になって、信心してやれ




おかげが受けられる




『ままよと思うて放っておくやうな気になって』

と言うことは、自分の欲や情を捨てた姿ですから、




神さまに充分の働きが頂ける場を作るようなものです

その上『信心してやれ』とは、




いよいよ信心を進めてゆけと言うことです

四十八節とは、いつもがおかげのチャンスと言うふうに思います




常平生がこの気持ちにさせて頂くなら、

間違いない御神徳がうけられます




信心してやれと有ります、

信心してやれと、信心をすると申します、




ではその信心をすると言う事は、

一体何なのかと言う事ですね、




ただ、神様の前に拝む、と言うのでしょうかね、

手を合わせて拝み、神様に心を向ける、




勿論、それは大切な事です、そして、神様のおかげを受ける、

と言う事がやっぱり第一に有りますね、




やっぱり、私どもが信心をするとか、神様に心を向ける、

と言うのは、まず第一にやっぱりおかげを頂きたい、




困った事を解決してもらいたい、願い事を聞いて頂きたい、

やはり神様に対して、そう言うものが有ります、




それは、自分の親に対して縋って行く、

と言う様な事と同じ様な事ではないでしょうかね、




素直に神様に、こうして下さい、ああして下さいと、

してもらいたい事をお願いする、




それがもし、神様と私どもとの間柄が、

いわゆる他人、他人した間柄ではなく、




親子の間の様な、子が親に頼む様な、

また子が何と言いますかね、親に縋って行く、




あるいは親が子に頼み事をすると言う様な、

そう言う近しい親子の間柄と言った様な情感が通えば、




子供の願いを聞かない親は有りませんからね、

たとえ無理難題であろうとも、




それこそ親が多少無理をしてでも子供の願いを聞こうとする、

そう言うものも、やはり神様にはお有りだと思いますね、




信心をすると言う事は、やはり神様にお縋りをする、

と言う事が一つ有ると思いますけれども、




そればかりではない、もう一つ大切な事が有ると、

今朝頂きますのは、そのもう一つの大切な事、




それは、ある先生が、見ること、見ること、自分を見ること、

と教えて下さいましたが、その正に自分を見ると言う事ですね、




自分を見ると言う事は、

その信心をさせて頂く、と言うその事によって、




自分の心の小ささ、自らの心の汚さ、浅ましさ、

そう言うものに気付かせて頂く、




そしてそこからの発心で、大きくなろう、

美しくなろう、と発心させて頂くと言う事ですね、




なる程、この世には魂を清めに来たのだ、

磨きに来たのだ、と合点がいったとしても、




その自分の汚さが、浅ましさが、心の小ささが分からなければ、

磨きようが有りません、大きくなりようが有りませんね、




ですからその、なる程大きくなろう、美しくなろう、

心を磨いて行こう、と言うからには、




自分の心の有りのままと言うのでしょうか、

今の自分の心の状態が分からねばなりません、




そこで、神様が、あなたの心はこんなに小さいよ、

あなたの心はこんなに汚れているよ、こんなに浅ましい心が有るよ、




こんな嫌な心が有るよ、と神様から教えて頂く、

と言う事になりますね、ではどうやって教えて頂くのか、




それが成行きと言うものですね、

成行きを通して、私どもの心の小ささを、心が汚れている事を、




浅ましい、さもしい心を持って居る事を、

またその我情我欲にまみれて居る自分であると言う事を、




成行きを通して、神様が教えて下さる、と言う事になりますね、

言わばその、成行きと言うものは、自らの心の写し鏡である、




と言う事なのですね、

その私どもが色々な成行きに直面する、




それは、色々な意味合いが有るでしょうけれども、

その中の一つの意味合いとして、




それは私どもの心がそこに反映されている、その成行きを通して、

自らの心を見つめて行くと言うのでしょうかね




自らの小ささに、汚れて居る心に気付かせて下さる、

その写し鏡だと言うのですね、




人間の目は、外を見るように出来ておりますから、

自分の顔の汚れが見えません、




昨日なども、実はビデオが終わって、恥ずかしい気になりました、

口元が何か、付いておりましたね、




何だろうと思いましたが、その前に、ちり紙で口を拭きましたから、

そのクズが残ってたんだと思いますね、




自分には見えません、だからその口元の汚れが見えないわけです、

後でビデオを見て初めて分かりました、気付きましたけれども、




言わば目の前に何か鏡を立てなければ、

やはり自分自身を見る事が出来ない、




その姿形を見るのは鏡ですけれども、

鏡では自分の心の中は見えない、




その自分の心の中を見せて下さるもの、

自分の心を写し出して下さるもの、それが成行きだと言う事ですね、




言わば私どもの身の上に起こって来る様々な出来事、

それは私どもの心を写している鏡だと言うのです、




ですから、成行きを通して、私どもの心の小ささを、

心の汚れを写し出して下さる、




それによって、

これはまだ私の心が小さいのだ、心が汚いのだ、




もう一回り大きくなろう、より美しい心を頂こう、

心を磨いて行こう、と言う事になるわけですね、




私どもの身の上に起きて来る成行き、それは私どもの心の小ささを、

汚れている汚い心を、写し出してくれる写し鏡だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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