今日も和賀心学 (2023-01-09)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師の昨日のミニ御理解の最後に、神様は有難い方じゃと分かると同時に又こわい方じゃと知れ、とある。師匠は地獄の釜の底を踏み抜いた向こうにある世界を教えて下さる。今朝はお夢の中で、真実の信心の話を聞いて半分以上の方達が席を立って行かれるところを頂いた。ご利益信心の人が多い。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 174頁)
ビデオ: https://youtu.be/P7-WGt2VtYQ
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-09.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
わが身がわが自由にならぬものぞ
「生命あるかぎり御用させて頂きたい」
の願いが通れば身の自由は許される
自由を許されてあるときに「させて頂く」事の喜びを、
人の世の為に尽くすこそが神への御礼と心得よ
四代教主様御歌
なすと云へ なし得る条件 恩恵の
なくばなし得ず 何ひとつとして
信心と言います、その信心をするところに、
人様が集まって来られると言う事が有ります、
師匠の許に、あるいは教祖様の許に、
沢山の方が集まって来られました、
しかしそれはどこに魅了されて集まって来られたか、
それはどうも言わば何と言いましょうかね、
甘いものの所に蟻が集まる、
と言った様な事の様ですね、
そのう昨日頂きました師匠の、
大坪総一郎師のミニ御理解の中に、最後の方ですけれども、
神様は有難い方じゃと分かると、
同時にまた怖い方じゃと知れ、
神様は有難い方だと、と同時にまた怖い方でもある、
と言う事を知らねばならない、と教えて居られますね、
この怖い方と言う一面も有るのだと、言う様な事を、
今朝はお夢の中で、大変厳しいお夢を頂きました、
ある教会で記念祭が有り、そしてそこの教会長先生が
今からお話されようと言う所に、
沢山の御信者さんが、
それを聴きに集まって居られるのですけれども、
その中で、その教会長先生が、ある意味神様から、
もうリタイアしなさい、と言われる様な成行きを頂かれたのですね
そしてお話を始めるのを少し躊躇して居られました、
そこで、その間が有りましたから、その間の間に、
もう一人のある先生と私とがお話をして居るのですけれども、
それがいわゆる信心のお話と言うのが、
いわゆる真の信心、と言った様な、真実の意味での信心,
と言う様なお話をして居りましたら、
それを聞いて居られました、
その何と言いましょうか、
そこに居合わせて居られる沢山の信者さんたちが、
半分以上が席を立って出て行かれた、出て行かれる、
と言う様な感じでした、そしてある方が、
そのもう一人の方に、ある質問をされるのですけれども、
そしてその答えが、神様を中心にしなさい、
と言う様なお話をして居られました
神様を中心にする、
と言う事は大変難しい事が有りますね、
命有る限り御用をさせて下さいと、
その御用に一生をかけると言うのでしょうかね、
師匠がよく、ぼうけると言う様な話をして居られました、
信心にぼうける、馬鹿の様になると言う事でしょうかね
昨日はまた、何かテレビの番組があって居りましたが、
その中である出演者の方が、
いわゆる野球気違いと言うのでしょうかね、野球にぼうけて居られる、
それも自分がするのではなく、応援をする方ですね
その野球を応援する、ある球団を応援する、
それである意味離婚までして、
家族を投げ出してでもある球団を応援すると、
その応援をすると言っても、観に行って応援をして、
それこそお応援歌を歌ってと言う様な事でしょうかね、
年間何十試合と有る試合を、
それこそ遠くの方まで応援に行かれるわけですね、
それでもうそろそろ、それこそリタイアの時だと、
もうそろそろ年金生活に入ると、
それで止めようと思う、と言って居られたのが、
実際その時になったら、いやまだもう少し続けますと、
抜けられないのでしょうね、もう、
いわゆるある意味一生をかけて、
そのある球団の応援にかけておられる、
家族をある意味犠牲にしてでも応援しておられる、
ぼうけて居られるのですね、
それで何か得が有るかと言うと、得が有るわけでは有りません、
惚れ込んでおると言えば、惚れ込んでおるのですね、
ある意味、信心をすると言う事には、
そう言う信心にぼうける、一生をかけてでもぼうける、
惚れ込むと言うものがまた要ると言う事であるし、
それ程しに信心にぼうけておる人は果たして居るだろうかと、
中々居られませんね、
しかし神様がそう言う信心にぼうける人、を求めて居られる、
神様に惚れ込む人を求めて居られる様な感じが致しますね
あるその昔、昔の信徒会長ですけれども、
その方などはやはり師匠大坪総一郎師にぼうけておられた、
惚れ込んでおられた様な感じが致しますね、
そこまでの惚れ込みよう、ぼうけ様が無いと、
真の信心には中々辿り着かない、と言う事でも有りましょうね、
信心の大変厳しい所かもしれません、
殆どの方達は、やはりご利益信心で居られる、
と言う事でも有りますね、
またこれは取次者にとっても、
やはりそこまでの打ち込みようがなければ、
本当の御ヒレイにはならないと言う事かもしれませんね
生兵法は怪我の元、と言う事も有りますね、
師匠のまたの教えに、
それこそ地獄の釜の底を踏み抜いた向こうに有る世界、
そこを目指すのだと言う事なのですね
それが、いわゆる合楽世界と言われる所でも有りますね、
そこに到達するには、
地獄の釜の底を踏み抜いた向こうに有る、と言う事ですからね、
中々厳しい所かもれません、
難しい所かもしれませんね、
しかしまぁ、それがいわゆる真実の意味においての
真実の信心だと言う事でしょうね、
しかしまぁ、そう言う事を話せば、
半分以上は逃げ出してしまう、と言う事でも有りましょうね、
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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