今日も和賀心学 (2023-01-14)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
とかく人間は自分の思い通りならないと不機嫌になり、イライラモヤモヤ腹を立てたり、人を責めたり、その状態が続くと争いの元にもなる。平和で幸福な人間世界を築く為にはどうでも人々がどう言う中にあっても和らぎ賀ぶ和賀心を求める心が根付かねばならない。そこでおかげは和賀心にありの出番となる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 128頁)
ビデオ: https://youtu.be/eV_vxHGPMGg
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-01-14.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
まめなとも信心の油断をすな
まめであればある程に、平穏無事であれば平穏無事である程に、
強うなり手厚うなる信心を身につけてゆかねばならん
それには和楽路ばき(一生懸命の意)の信心が、
いよいよ決意されねばならん
御道の信心は、
和楽の路を辿るのであるから
御道の信心は、和楽の路を辿ると、
和らいだ心、楽、楽しい心ですね、
師匠大坪総一郎師は、人間幸福の根本原理、
それは和らぎ賀ぶ和賀心にあると教えて下さいます、
そしてまた、天地金乃神様は、教祖生神金光大神様を通して、
おかげは和賀心にあり、その和らぎ賀ぶ和賀心にある、
と教えて下さいます、
何故、その和らぎ賀ぶ和賀心を目指す事を教えて居られるのか、
それはこうだと思いますね、
今朝頂きますのは、
人間はとかく自分の思い通りに事が運べば、
それこそ機嫌が良いですね
ところが自分の思い通りにならないと、機嫌が悪い
思い通りに事が運ばないとイライラモヤモヤ腹立たしくすらなる、
そしてその虫の居所が悪い、と言う表現が有りますね、
そしてその虫の居所が悪くて、争いの元になりますね、
心がイライラモヤモヤして居る時、
自分の思い通りにならなくて、不機嫌な時、
そこにまた何か思い通りにならない事が重なると、
争いの元になったり致しますね、
人間の心がいつも和らいでおれ、賀んで居れる、そういう
心の状態の時には、争いと言うものは起こりようが有りませんね、
その人間と言うものは、
とかく自分の思い通りにならないと言う時に、
不機嫌になり、イライラモヤモヤになり、腹を立てたり、
それこそ人を罵ったり、悪く言う、あるいは妬む、嫉む、
そして争いに発展する、と言う事になりがちですね、
しかし神様が人間に求めて居られるのは、
争い事をする事では有りませんね、
やはりお互いが平和で仲良く暮らす事を求めて居られる、
しかしとかく、人間は不機嫌になりがちだと、
イライラモヤモヤ、心を乱す、心が荒れる事になりがちだと、
それは自分の思い通りにならないからですね、
しかし世の中、人生を見渡した時に、
自分の思い通りに事が運ぶと言う事はあまり有りませんね、
殆どの場合が、
自分の思い通りにならない事の方が多いですね、
そうしたら、人間はいつもイライラモヤモヤ、
不機嫌でばかりと言う事になりますね、
これでは人が、人の社会が平和で、安全に暮らせる、
と言う事では有りませんね、
そこで神様は、それこそ何とか人間が平和で安全に、
仲良く暮らせるように、その為にはどうしたら良いか、
と考えられたのではないでしょうかね、
そしてそこに、おかげは和賀心にありと、
おかげが欲しいなら、和らぎ賀ぶ和賀心になりなさい、
と、その和らぎ賀ぶ和賀心を目指す事を教えられた、
と言うのか、和賀心になって欲しい、
いや、和賀心を目指して欲しい、
それこそ人間が思い通りに事が運ばない時に、
直ぐイライラモヤモヤ不機嫌になる、
そう言う心を改めて、いつ如何なる時においても、
和らぐ、賀ぶ、その和賀心を求めようとする心を持って欲しいと、
たとえ自分にとって都合の悪い様な事が起こって来ても、
自分の思い通りに事が運ばないでも、
イライラモヤモヤするのではなく、
常に和らぎ賀ぶ和賀心を求める心、を持って欲しいと、
言う願いのもとに、おかげは和賀心にあり、
と御教え下さったのではないでしょうかね
また師匠も、人間幸福の根本原理、
それは、和らぎ賀ぶ和賀心にあると、
また和賀心の前には、
罪も因縁も霜に煮え湯をかけるが如くに、消えて無くなると、
言わば和賀心の持つ偉大さと言うのでしょうかね、
を示す事によって、
人々がどう言う中にあっても、和らぎ賀ぶ和賀心を頂こうと、
そこに精進努力をする、
その事の為に和賀心に価値を置かれたと言うのか、
和賀心にはこれ程の値打ちが有るのだと、説かれたのだと思いますね
私どもが腹立たしい時、不機嫌な時、イライラモヤモヤして居る時、
人に当たり散らす様な時、人を責める心が有る時、
そう言う心が湧いて来た時にでも、
いや、これはいかん、和らぎ賀ぶ和賀心を目指そう、
と、その和賀心になろう、和賀心を目指そう、
とそこに努力する時に、
そのイライラモヤモヤする心を抑えよう、変えて行こう、
腹立たしい心を抑えて行こう、と言う思いが湧いて来ますね、
そうなれば、占めたものだと思いますね、
不機嫌な心の状態に長く居る、
あるいはイライラモヤモヤ、腹立たしい状態に長く居る、
と言う事が、人をやはり不幸せにしてしまいますね、¡
和らぎ賀ぶ和賀心を目指す所に、
いわゆるそう言う不機嫌な心からの脱却が有るわけですね、
そこに、幸せの世界へも、神様が導いて下さる、
為には、まず私どもが、どう言う中にあっても、
これは私の心が乱れて居るな、とその乱れた心を、
和らぎ賀ぶ和賀心を目指しての精進をさせて頂こうと、
そこに向かって歩き出す、それをお示し下さったと言うのか、
求めて居られる、神様が願って居られる、のだと言う事ですね、
とかく、私どもの思い通りにならない事が多い、
そしてとかく腹を立てたり、イライラモヤモヤを起こしたり、
不機嫌になる、
人間はそう言うものだと言う事なのですね、
ですから、だからこそ、そう言う心から脱却する為に、
和賀心を目指す道を教えられた、
和らぎ賀ぶ和賀心を目指してくれよ、
と神様が願って居られる、と言う事ですね、
だからこそ、和賀心を目指せば、
和賀心になり得ずとも、神様がおかげを授けて下さる、
と言う事にもなるわけですね、
大切な事は、いつ如何なる中にあっても、
どう言うイライラモヤモヤ、腹が立つ様な、
不機嫌になる様な事の中にあっても、
和らぎ賀ぶ和賀心を目指そうと、和賀心になろうと、
どうしたら和賀心になれるだろうか、と願う事、
精進努力をする事、
その事が神様の願いだと言う事ですね、
どうでも和らぎ賀ぶ和賀心を目指す心、
和賀心を持とうとする心、それを先ずは頂きたいものですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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