2022年3月1日火曜日

成行きを大切にする事で神様の御教導を受ける事が出来る (2022-03-01)

 今日も和賀心学 (2022-03-01)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師はよく豊竹呂昇の野崎の一段の話をして居られた。そこには泣きも笑いも全ての技が込められて居ると言うそれを信心で言うと、成行きを大切に尊ぶと言う事に尽きると思う。魚釣りはフナ釣りに始ってフナ釣りに終わると言うらしいが、信心も成行きに始って成行きに終わると言えよう。成行きを大切にする事で神様の御教導を受ける事が出来る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 397頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第68




神参りをするに 雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ

その辛抱こそ 身に徳を受ける修行じゃ




いかにありがたそうに心経やお祓いをあげても

心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ




拍手も 無理に大きな音をさせるにはおよばぬ

小さい音でも神には聞こえる




拝むにも 大声をしたり 節をつけたりせんでも

人にものを言うとおりに拝め




三代金光さまのおことばに

神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます とあります




信心辛抱させて頂く内に

三代さまの又のおことばの中にありますように




ほしいものも 考える事も いつの間にか無くなりましてなあ

有難うて有難うてならぬようになり




なんぼう御礼を申しても 足りませんのじゃ

御礼の足りませぬお詫びばかりしております




というお徳に進まれておられます

はじめの間は泣く泣く辛抱しいしい とも仰せられて居ります




とかく信心辛抱こそ すべての徳の根本になるものであります

人生の上におきてくる雨風の上にもまた同じことであります




信心辛抱と教えて下さいます

一つの事に辛抱をする




師匠の教えの言わば辛抱と言うのでしょうかね

その辛抱にも似た様に この事一つを貫き通すと言うのでしょうか




辛抱と言う事は

その事に貫くと言う事も有ると思いますね




石の上にも三年と言われる様に

これなど辛抱の具体的な例かもしれませんね




師匠の御教えのいわゆるその

辛抱してその教えを貫くと言うのでしょうか




そう言うものが

それは勿論教えの全てだと言われればそうでしょうけれども




よく師匠が 御理解で豊竹呂昇のお話をして下さいますね

野崎の一段ですね




それこそ他の通いの弟子達には色々な稽古をつけて下さるけれども

その 自分には野崎の一段だけしか教えて下さらないと




しかしその師匠の思いとしては

その野崎の一段 これを唄いこなせたならば




その中にそれこそ唄の技術と言うのでしょうか

その全てが含まれていると




ですからこの野崎の一段が唄いこなせる様になったならば

その泣きであったり 笑いであったり




その全てをマスターする事が出来る 身に着ける事が出来る

だからこそ その野崎の一段をみっちり仕込むと言う訳ですね




その辛抱して

それこそ野崎の一段を稽古して居られる訳ですね




合楽で言えば 師匠大坪総一郎師の許で稽古するものと言えば

それは何だろうかと なる程色々な御教えが有りますけれども




これ一つを辛抱強く稽古すれば その全てがそこに含まれる

色々な信心も身に着いて来る 御徳も頂けれる様になる




それはやっぱり成行きを大切に尊ぶ

と言う生き方だと思いますね




その成行きを大切に尊ぶ

と言うその事一つを稽古して行けば




それこそ信心の泣きであったり

笑いであったりと言うのでしょうかね




神様の御心が分からされる

また色々な信心が身に着く 私どもの心も育って来る




土の心であったり 天の心であったり 日月の心であったり

そう言うものの稽古もつけて頂くと言う事ですね




あれは魚釣りはフナ釣りに始まって フナ釣りに終わる

と言うそうですけれども




言わば師匠の許での信心の稽古は 成行きに始まって 成行きに終わる

とも言えるのではないでしょうかね




その例えば信心の初めの頃 それは神様を未だ感じきらない頃

そう言う頃でも 神様を感じたい 神様の御働きを感じたいと




そこに成行きを大切にする 成行きを受けてみようと受けてみる

そしたら思わぬ神様の御働きが現れる




そしてそこになる程成行きを大切にすれば 思わぬおかげが頂けれる

と神様の御働きのあらたかさを実感する事が出来る




神様の御働き

勿論そこには神様の存在と言うものも感じる様になる




その成行きを大切にすると言うところから

神様の御働き 神様の存在 そして神様の御親切と言うのでしょうか




そう言うものにも触れて行く事が出来る

そう言う入り口の役目もする訳ですね




そして段々様々な御教えにも取り組む

そしてそう言う中に愈々分からされる事は




成行きこそが神様の御心の表れであり 成行きそのものが御神意だと

成行きそのものがお知らせだと言った様な心も開けて来る訳ですね




その同じ成行きを大切にするでも

初めの頃の大切にすると言う仕方と




段々信心が高められて来てからの成行きを大切にするでは

その内容が また私どもの心の有り様が違って来る訳ですね




よく螺旋階段に例えられますけれども

上から見るとぐるぐる同じ所を廻っているようだけれども




横から見ると 確かに上の方に登って行っておる

信心が進んで行っておると言う事になりますね




その私どもが信心を進める

それは師匠の許で信心の稽古する限りにおいては




とにかく成行きを大切にすると言うこれ一本

そこに信心辛抱の精進をして行けば




必ず神様が信心の次のステップへ

そしてまたそこから次のステップへと導いて下さる 御教導下さる




言わば成行きを大切にすると言う事が

神様の御教導を頂く 或いは人間の幸せの世界へと導いて下さる




その為の 言わば野崎の一段と言う事になりますね




これが成行きを大切にしないならば

神様も導きようが無いと言う事になりますね




神様の御教導を頂く為には

成行きを大切にする




それこそ和らぎ賀ぶ和賀心を目指す為には 成行きを尊ぶ

そこに神様が一段一段導いて下さる 御教導下さる




信心は それこそ成行きに始まって 成行きに終わる

あるいは野崎の一段とも言えるのではないでしょうかね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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