2022年3月12日土曜日

万民のあるべき生き方としての合楽理念へ (2022-03-12)

 今日も和賀心学 (2022-03-12)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師は、和賀心学なるものが出来て、小学校からでも教えられる様にならねばと仰って居られた。が、公立の学校では宗教色は出せない、従って合楽理念が一宗教内の教えに止まる限り公立の学校で説かれる事は無い。和賀心学が万民のものとなる為には既存の宗教の枠を超えなければならない。万民のあるべき生き方としての合楽理念へ。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 356頁)


ビデオ: https://youtu.be/epsfGNpJmyI

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合掌

中原博信

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御理解 第54




徳のないうちは心配する

神徳を受ければ心配はない




まず御神徳を受けたい




ある人は 金光教の信心は一切をおかげにしていく道だ と説かれた

合楽では 一切をお徳にしていく道 を教える




先ずは

一切神愛論 のマスターから




今日は一寸突飛な話になるかもしれません

心中祈念の時に頂きます事を総合すれば そんな感じになります




今日のミニ御理解に

金光教の信心は一切をおかげにしていく道だ




合楽では一切をお徳にして行く道を教えると

と言う事は




この金光教は一切をおかげにして行く道だと説かれた先生の

その先生の言葉を借りれば 合楽理念は金光教ではない




と言う事になりますね

実は今朝頂きますのは




その合楽理念と言うものが 金光教から出なければならない

超えなければならない と言う様な事を頂くのですね




それは師匠が或る時に 庶民宗教から万民宗教と言う様な事を

頂かれた事が有るそうですね




それはいわゆる庶民宗教

これはなる程庶民のする宗教だと




何とかは庶民の味方だと言われる様に

庶民のする宗教 何となく分かりますね イメージが湧きます




では万民宗教とはどう言う宗教か 万民がする宗教だと

万民がする宗教とは 何をもって万民と言うのか




庶民とは違う訳ですね

庶民は庶民な訳ですけれども




万民と言う事になると 勿論老いも若きも入る事は勿論ですけれども

そしてまた庶民とは言われない様な人達




それこそ大変貧しくて庶民とは数えられない様な人達 或いは

大変お金持ちと言うのか でまたとても庶民とは言えない様な人達




そう言う人達 いわゆる全人類と言う事になりますね

万民ですから それは頭が良かろうが悪かろうが




器量が良かろうが悪かろうが

お金が有ろうが無かろうが 全ての人がする宗教だと




信心とか宗教とか言われると胡散臭いものが有りますね

カルト宗教とかカルト教団とか言われます




何か信心とか宗教と言うと一寸毛嫌いされる所が有ったり致します

しかし困った人は 困った時の神頼みで




身に難儀が降りかかっておる

またこう言う願いを叶えて欲しいと言う人は藁をも縋る思いで




いわゆる宗教と言うのか 信心と言うのか の門を叩きます

そして神様に縋ろうとします それはそれで良いのですけれども




この合楽理念と言うものが

その ある宗教の教えであると言う世界に止まって居るならば




これはいわゆる庶民宗教の御教え

と言う所で止まるのかもしれません




一方 学校と言うのか この組織と言うのか教育ですね

の世界を見てみますと




アメリカでは沢山のいわゆる宗教が キリスト教であったり

が主ですけれども 有りますけれども




その学校の中でいわゆる宗教的な授業と言うのでしょうか

そう言うものをしてはいけません




いわゆる偏った宗教 偏ったその宗教の教えと言うものを

教えてはいけない事になって居ります




勿論病院などでもそうですね

偏った宗派の勧誘の様な事はいけませんね




日本でも同じだと思うのですね 私立の学校ならともかくとして

公立の学校で ある宗教に偏った御教えをすると言う事は出来ませんね




道徳の時間であったり

色々あるでしょうけれども




ある一つの宗教の教えを取り上げる それが全体の中の

全体を教える事の中の一つであれば良いのでしょうけれども




その教えに特化する

と言う事は許されませんね




ですから師匠が

この和賀心 和賀心学と言うものが 小学生からでも




小学校からでも教えられる様にならなくちゃいけない

と仰って居られましたけれども




この合楽理念が金光教と言う

その宗教の中の教えである と言う限りにおいては




公立の学校で取り上げられる事は

殆ど無いでしょうね




またアメリカでも勿論

学校でそれこそ大手を振ってと言うのでしょうか




この教えが説かれる事は無いでしょうね

それは宗教のある一派の教えだからですね




いわゆる万民宗教 万民がする教えとなる為には

宗教とか信心とか言うその枠を越えなければならないのですね




そして改めて師匠が説かれる合楽理念

これはその生き方は全人類の生き方




私どもが 人々が生きる上において こう生きるべきだ

こう生きる事が本当だと言う事を教えるものだと思うのですね




師匠が教える

教えて下さる御教え




それは一宗教家 あるいは一信心をする人が頂くべき教えとか

身に着けるべき教えと言うものではない




そのを範疇を越えなければならない

それこそ万民が身に着けるべき教えだと




全人類か身に着けるべきその生き方で

その生き方を神習うべき生き方だと




それを師匠が教えて下さった

合楽理念と言うものはそう言うものだと




だとすればこれは一宗教の中の教えで止まっていたのでは

公立の学校で教える事は出来ない訳です




もしこれが公立の学校でも この生き方を 合楽理念による

師匠の御教えによる生き方を説かれる様になる為には




これはもう信心とか宗教とか言う枠から出て それを超えて

人間のあるべき姿のものとしての御教えにならなければならない




と言う事なのですね




ですからただ単におかけを頂く為の教えであるとか

御徳を頂く為の教えであるとか言うその範疇を超えて




人間はかく生きるべきだ

と言う範疇に入って来なければならない




その為には いわゆる宗教色と言うのでしょうか

信心色と言うのでしょうか




そう言うものを超えてしまわなければならない




単なる一宗教の中の御教えだと言う事であったのでは

世界中の学校で教えてもらう事は出来ないのですね




世界中の学校で この合楽理念が説かれる様になる為には

合楽理念が既存のいわゆる宗教と言うものから脱却すると言うのか




それを越えたもう一つ向こうの 全人類の為の 全人間の為の

生きるべき姿を示すものだと言う世界に入って来なければならない




単なる信心 いや ある宗教の教えの枠を出なければならない

と言う事なのですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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