2022年3月8日火曜日

成行きを大切にする中に神様との関係も深まる (2022-03-08)

 今日も和賀心学 (2022-03-08)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


神様を信じると言うが、今朝は、見ず知らずの初めて会った人を信じられるかと頂く。大抵はとても信じられない、長年の付き合いの中に日頃の言動を見て、この人ならと信じる心も生まれるものだと。神様とのお付き合い、即ち成行きを大切にする中に神様との関係も深まり、信じ、信じられる仲になるのだと。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 216頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第8




子供の中にくずの子があれば

それがかわいいのが親の心じゃ




不信心ものほど神はかわいい

信心しておかげを受けてくれよ




信心のない氏子 信心による真の助かりを知らぬ氏子

の上にかけられる親神様の切なる御思いであります




信心による真の助かり それは勿体なしの生活に入り

それに徹することでありましょう




何故なら信心とはギリギリの自分を見いだし

それに目ざめることだからです




わかればわかるほど

屑の子 吾 の思いは募るばかりです




屑の子 吾

これをぎりぎり極められたのが 師匠の吾無力




 吾 無芸 無能 無才にしてただ信あるのみ

と言うこの師匠の境地ではないでしょうかね




その最後の 信あるのみ

と言う神様を信じる心が有る




それだけだと言う事ですけれども

昨日も頂きます その神様を信じる




その吾無力を悟り と言うのでしょうか

神様のおかげを頂かなければ ここ一寸動けぬ私




と言う自覚と言うのでしょうか

悟りと言うのでしょうか




それが日頃の信心の中に そう言う境地が頂ける

そう言う悟りに達すると言う事ですけれども




そしてそのそこに有る

ただ信あるのみ と言われる神様を信じる心




確かに信じる心 神様を信じる

また神様が 信じてくれよ と言われておるとしても




今朝頂きますのは

信じてくれと言われて 信じれるものではなかろうと




それこそ初めて会った人に 私を信じて下さいと言われて

その見ず知らずの人 今会った人 その人の事を信じられるだろうか




大抵は信じられませんね




それが何かインスピレーションみたいなもので

初めて会った人でも




あぁこの人なら信じられる いや信じられそうだ

と言った様な第一印象を持つ事は有りますけれども




それでも本当に信じられるか それこそ初めて会った人に

命までもと それこそ預ける事が出来るか 信じ切る事が出来るか




それは難しかろうと

先ず無理だろうと言うのですね




神様を信じる 神様が信じてくれよ と言われて

はい信じます とは中々ならないのが普通ですよね




ではどうしたら信じれる様になるのか




人が人を信じると言う時にやっぱり初対面の人

初めて会った人が信じる事が出来ない様に




やっぱり初めて神様に会って

神様の事を信じろと 言われても中々信じれるものではない




人が人を信じるにも それは信頼関係と言うのでしょうか

そう言うものが それこそ日頃のお付き合いがあって初めて




ああこの人はこう言う人なんだ この人なら間違いが無いと

幾つもの体験を積み重ねてと言うのでしょうかね




その人とのお付き合いがあって 言わば

長いお付き合いがあって初めてそこに信頼関係と言うものが築かれる




ああこの人なら間違いない この人なら信頼が出来る

この人がそんな悪い事をする様な人じゃない




それは初めて会った人に対して

この人がそんな悪い事をする人じゃありませんとは言えませんよね




長年の付き合いが有るからこそ

その人の日々の有り様に触れ 感じて居るからこそ




この人はそんな悪い事をする人じゃありません とも言えるし

信じ貫いて行く事も出来る 信心もやはりそれと同じだと




行きなりサンパチ 神様を に会って

信じろと言われても それは無理な話だと




ではどうやってその神様との信頼関係と言うのでしょうか

その関係を築いて行くのか




日頃の神様の有り様と言うものを

知って行くのか




それはいわゆる五願五行と言われる様な そう言う行を通して

神様とお近付きになると言うのでしょうかね




そう言う事も有りましょう




しかしその私どもが師匠の許で信心の稽古をさせて頂いて居る

そこの特権と言うのでしょうかね




それはそれこそ成行きを大切にすると言う事なのだと

師匠の許で信心の稽古をさせて頂く




それは日々私どもの身の上に起こって来るその働き

それを神様の御心の現れとして その成行きを頂いて行く




頂くと言うのは 受けると言う事も有りましょうし

受けないと言う事も有りましょう




両方とも良い意味においての頂くと言う事だと思いますね

そこに神様の御心を感じ取って行く




そう言う神様とのお付き合いが

5 10年と続いて初めて




なる程この神様なら 身を任せても

それこそ命までもと任せても間違いが無い




それこそ信じられる

と言う心が育って来るのではないでしょうかね




いきなり会った人を信じる事が出来るか

それは無理な話です




長年付き合ってみて初めて

この人なら信頼が出来ると言う心も育つものです




為には神様とやはり一回ぽっきりではない

長年の神様とのお付き合いがあり




そこに初めて神様を それこそ心底信じ貫く心も生まれて来る

と言うものですね




その神様との間柄をより強い深いものにして行く

それが私どもが成行きを大切にする




その成行きを大切にする中に 神様の御心を感じ取らせて頂き

そして神様への信頼の心も愈々強くなって来る




この神様なら信じて間違いが無い

と言う心も生まれて来ると言う事ですね




神様を信じる心が 愈々強く深くなるためには

日頃の成行きを大切に尊ぶ




そこから私どもに 神様を信じる心

神様とのその間柄と言うのでしょうか




絆と言うのでしょうか

それも深くなる と言う事ですね




為にはそれこそ定番ですけれども

成行きを大切にする事が一番だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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