今日も和賀心学 (2022-03-28)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝起きがけに、神と共に生きる、と心に響いて来た。信心する人なら誰でも言いそうなフレーズだが、若しこれが師匠なら、そこに切実心を持ってと付け加えられるだろうと思う。神と共に生きるのに必要な心、それは神様の御心が分かりたいと言う切実心、人を助けたいと言う切実な心、切実に願う心が要る。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 424頁)
ビデオ: https://youtu.be/R3VXrgtecz8
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-03-28.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御理解 第77節
人の悪いことを よう言う者がある
そこにもしおったら なるたけ逃げよ 陰で人を助けよ
拝み合い 助け合い 誘い合いの世界を
ひろげていくのが信心であってみれば
他の悪口など言うたり聞いたりする暇はない
肉の耳で聞かず 心の耳をもって聞けば陰で祈らずにはおれぬ
拝み合い 助け合いの世界 誘い合いの世界を広げて行く
と師匠は教えて居られますが
その神様を拝み合う または神様と助け合う と言うのはどうかと
確かにそう言う世界が有ると思いますが
人間同士が助け合う と言うのが普通には
直感的には分かり易いのかもしれませんね
また人間同士が拝み合うと言う事も有りますね
そこから更に進んで 神様と私どもとが拝み合う世界
あるいは神様と私どもとが助け合う世界
これがいわゆる合楽世界であったり
あいよかけよと言われる世界だと
思うのですけれども
誘い合うと言う事になると
やはり 未だこの御道を その助かりを知らない人達を
このいわゆる合楽世界 あいよかけよの世界へ人々を誘って行く
導いて行くと言うのでしょうかね
そう言うお役に立つ
と言う事になるのかもしれませんね
今朝は起きがけに 神様と共に生きる と言う様な事を
が心に響いて来ました
神様と共に生きる やはり信心生活と言うのでしょうか
信心をさせて頂く 頂いておる私ども
師匠大坪総一郎師に御縁を頂き そこで何と言うのでしょうかね
生きさせて頂いていると言うのか
この人生を送らせて頂いていると言うのか
そう言う私ども
それは神様と共に生きる生き方を
師匠から教えて頂いた様に思いますね
そしてその神様と共に生きると言う生き方が
愈々身に着いて来ると言うのでしょうかね
とかく縁を頂く前 信心の無かった頃
それは自分一人で生きている様な感じでしたね
勿論それは自分一人と言うのは いわゆる他の人々と言う事ではなく
人間だけで生きている 勿論人々との関わり合いは有りますけれども
人間だけで生きている
人間世界だけで生きていると言うのでしょうかね
そう言う感じですね
神様と共に生きると言う様な 神様を実感する事も無い
神様が居られるのやら
居られないのやら分からない と言う世界ですね
先ず神様が居られるとか 神様が居られないとか言う
何と言いますか 話し合いの世界ですね
師匠の許に御縁を頂きますと それがもう神様が居られるやら
居られないやらと言うのは もう愚問と言うのでしょうか
もうその居られる その事を実感するのが当然になりますからね
そこから先の話になりますね
神様のおかげを頂かねば ここ一寸立ち行かぬ私どもだと
言う事になって来ますね
そして神様のおかげを頂く 正に神様と共に生きさせて頂かねば
とても生きる事の出来ない私どもだと
そう言う意味においての
神様と共に生きる と言う事も有りましょう
言わば神様のおかげを頂かなければと
日々の日常生活の中に神様のおかげを頂いて生きさせて頂いている
全ての事が
神様のおかげを頂いて整って行って居る
それは見るもの 聞くもの 触るもの
感じるもの 心に感じるものですね
それら一切が神様の御働きの中にある
と言うものを実感させて頂く事になるのでしょう
そして 神様と共に生きる
と言う事になるのでしょうけれども
そのただ神様と共に生きて居る と言うだけでは
もう一つ迫力に欠けると言うのでしょうかね
もう一つ真実の所に触れる事が出来ない
ような感じが致しますね
よく言われます その神様と共に生きると言う様な
普通に言われるフレーズと何ら変わりませんけれども
そこからもう一歩押して行く 師匠はよく
もう一歩押さなければならない と言う様な事を仰って居られましたね
その後一歩を押せば 世界が開けると言うのか
ところがその後一歩を もう一押しをする人が少ないと
その何事にもやっぱりもう一押し ここまでで良かろうと言う所から
もう一押しする そう言う精進が要る様ですね
その後一押しをせずに 引き返して行くと言うのでしょうかね
神様はやはり その後一押しを待って居られる様な感じが致しますね
ではその ただ神様と共に生きる であるけれども
それだけでは足りないと言う感じが致しますね
では何が足りないのか
それこそここに繋がるのだろうと思うのですが
昨日聞かせて頂きました御理解 或る所ではそれを出させて
その紹介させて頂きましたけれども
そこには 切実心と言う事が語られて居りました
今朝の頂きました事と この切実心が何か繋がる様な感じが致します
言わばその切実心を持つと言うこと
神様の心が分かりたいと言う切実心が要ると
仰って居られましたね
神様の心が分かりたいと言うその切実な心
その神様の心が分かりたいと言う切実な心を持って
神様と共に生きると言う事でなければならない様に思いますね
とかくそのやっぱり こうあったら良いなあ
あああったら良いなあと思いますけれども
それを切実に願う 切実に求めると言う
その切実心が足りないと言う事ですね
おかげを頂いたら良いなあ
で終わっている
どうでも頂きたいと言うその切実な心
どうでも神様の御心が分かりたいと言うその切実な心
どうでも神様と共に生きたい 為には神様の御心が分かりたい
と言うその切実心と言うのが要ると
そこがその切実心が有るからこそ
もう一押しが出来ると言う事にもなりますね
もう一押しが出来ないのは その切実心が無いからだと
も言えるのではないでしょうかね
神様と共に生きる上で大切な心
それはやはりその切実心だと言う事になりますね
何かいわゆるぼやっとしている様な
マイホーム的なおかげと言われますけれども
マイホーム的な心の有り様では
やはりマイホーム的なおかげしか頂けないのでしょう
そこにそれこそ際立ったおかげを頂きたい
どうでも人様が助かるお役に立たせて頂きたい
と言うそこには
人様の助かりを切実に願う心
神様と共に生きる事を切実に願う心
その切実心が要になる様に思いますね
拝み合いの生活 それこそ助け合いの生活 誘い合い
それを切実に願う心が要ると言う事ですね
どうでもそう言うお育てを
頂きたいですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿