今日も和賀心学 (2022-03-03)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
天地金乃神様、教祖様は、おかげは和賀心にありと教えて下さる。師匠大坪総一郎師は、和賀心時代を創ると提唱される。今朝頂くのは、和賀心を会得した者の集団が出来て和賀心時代が到来するのではない、和賀心を目指して精進努力する者達の集団が出来たとき和賀心時代が来るのだと、和賀心と言う馬の前にぶら下げた人参だと。和賀心時代とは和賀心を目指して精進努力する者達の時代だと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 44頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
天に任せよ
地にすがれよ
人間は勝手なもので 困った時だけ神にすがり
神にまかせもきらぬ
ろくろく教祖の教えも聞かずわからぬでは 神まかせにもなれぬ
先ず教えを身につけよ
雨風も 天にまかせて 地にすがり
忍べ折れるな 若竹の節
先ず教えを身に着けよと有ります
この教えを身に着ける それは結局私どもの心を育てる
何の為の教えか
それは心を育てる為の教えと頂くべきだと思いますね
勿論おかげを頂く為の教えも有りますけれども
やはりそのおかげを頂く為の教えと
自らの心を育てる為の教えとを
切り離して考えた方が信心はし易い 見易いですね
どうしても私どもは
おかげを頂く為の御教えを頂きたいと思いますね
それはやっぱりおかげが頂きたいからですね
師匠は 合楽理念は御徳を頂く為のものだと教えて下さいますね
ある先生は御道の信心はおかげを頂く為だと
ある先生はそう言われたと
しかし師匠は
この御道は御徳を頂く道だと
おかげであったり 御徳であったり
その何が何やら分からなくなる所が有りますね
そこはもうハッキリ 昨日も申します様に
確かにおかげを頂く道も教えて下さると同時に
また自らの心を磨く
心を育てる道をまた教えて下さる
この 2つを教えて下さる と分けて考えた方が見易くなりますね
また取り組み易くもなります
さあおかげを頂く為にどう取り組もうか
と言う事も有りましょう それはまたこちらの方に置いといて
自らの心を育てる事の為に どう取り組もうか と教えに取り組む
その方が教えが見易くなりますね また取り組み易くなると思いますね
それが教えを身に着けよと
言う事にも繋がるからですね
和賀心時代を創る
と師匠は提唱して下さいました
ですからどうしても和賀心
いわゆる人々の心が和賀心になった時代と言うのでしょうかね
和賀心を体得した人達の集まりが
和賀心時代である様に思うのですけれども
今朝頂きますのは そうではないと 和賀心を体得した人達が集まった
そして出来上がるのが和賀心時代だ と言うのではないと
和賀心を目指す人達が集まった
そう言う時代が和賀心時代だと
人々が和賀心を目指す その和賀心を目指す人々が大勢出来る
そしてそれこそ世界中の人々が和賀心を目指して精進努力する
そこにもう和賀心時代が出来ておるのだと
何も和賀心になったから 和賀心になった人達の集まりが出来て初めて
和賀心時代が到来すると言うのではない
もう全ての人達がその和賀心になろうと精進努力する
そこにもう既に和賀心時代が到来していると言う事になるのだと
おかげは和賀心にありと仰せられます
ですからやっぱりおかけが欲しい それで和賀心になろうと致します
あるいはおかげを落とした人の事を評して
あぁあの人は未だ和賀心になってないから
おかげを頂けなかったんだ と言う様な評価の仕方を致しますね
ある方がお国替えをされたと
おかげは和賀心にあり と言われているから
もし本当に和らぎ賀ぶ和賀心になっているのならば
もっと長生きをしなければならないはずなのに
もう若くしてお国替えされた あれはきっと和賀心
いわゆる本当の和賀心になって居られなかったからだ
と言った様な評をしたり致します
けれどもそうではないと言う事ですね
和らぎ賀ぶ和賀心になったからおかげが有る
とは仰って居られませんね
和賀心にならなければおかげが無い
とも仰って居られません
師匠はそれこそ和賀心になり得ずとも 和賀心になろうと目指す所に
もう既におかげが頂けれる と教えて下さいますね
神様が私どもに求められるのは
和賀心になろうと精進努力するその姿を求めて居られるのですね
和賀心は言わば
馬の前にぶら下げた人参の様なものですから
その和賀心になるとか なったとか 和賀心になり得ていないとか
それは余り問題ではないのですね
人参を口にくわえたとか くわえていないとか
神様の目的は その人参を目指して走らせる事が目的な訳ですから
先日も申しました様に神様の目的 目論見 それは人間氏子が
和賀心を目指して走り出す事 走り続ける事が目論見な訳ですね
ですから師匠が 和賀心になり得ずとも
和賀心になろうと精進努力する所におかげが頂けれる
と言うのは
全くその通りだと言う事になりますね
その私どもが和らぎ賀ぶ和賀心を目指して精進努力をする
これは目的として 一つの大変素晴らしい目的ですね
何故ならば和賀心になろうとする
なれていない 何故だろうか
何故こんなにイライラしているのだろうか
人を責めまくって 怒りまくっているのだろうか
と自らの心を見詰めた時に
これは私の心が小さいからだ
私の心が小さいからこんな事が問題になっているのだ
また驕り昂った心が有るから人を責めたり
人を怒りまくったりしているのだと
結局これは私の心が小さいからだ
だから和賀心が頂けないのだ
心がイライラしているのだ
よしここでもう一回り大きな心になろう
それこそ土の心の精進をさせて頂こうと 和賀心を目指す所に
自らの心を育てようと言う努力が生まれて来ますね
自らの心が育っていないから
和賀心になれていないのだと言う事になりますから
和賀心になる為には 自らの心を育てなければならない
一回り大きな心にならねばならない 土の心で頂かねばならないと
その和賀心を目指して精進努力をする 走り出す
そこが大切なとこなのですね
ですから世界中の人々が それこそ和賀心になろうと
為には自らの心を磨いて行こう 豊かな大きな心になって行こう
と自らの心を育てる事に目が向き 精進努力をする
と言う事が大切であり 神様が願って居られるのはその事だと
和賀心になる為には どうあったら良いのか
こんな小さな心ではとても心が和らぐどころではないなと
なる程難儀と思っていた事が
これは神様が私の心を育てる事の為の御働きであったと分かれば
そこに神様の御心に触れる喜び
と言うものもまた頂けて来るでしょうね
ですから和賀心を目指すと言うのは大変便利と言うか
有効な手段である訳ですね それを示されたのだと
和賀心になろうとする
その為には自らの心をやはり育てて行かねばならない
その和賀心になる為に心を育てる 一回り大きな心になる
腹を立てない そう言う御教えを身に着ける事が やはり要る訳ですね
和賀心を目指して走り出す 精進努力を続けると言う事が
神様の狙いだと言う事になりますね
和賀心になったからおかげが有る
ならないからおかげが無いと言う事では有りませんね
和賀心になろうと精進努力する 走り続ける
それが大切だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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