2022年3月19日土曜日

一切神愛とは一切が自らの心を育てる材料と悟ること (2022-03-19)

 今日も和賀心学 (2022-03-19)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師は一切が神愛と教えて下さる。私どもが自らの心を育てる事に目覚め、人生の大目的をそこに置いた時、しかも私どもの身の上に起きて来る事柄、目に見る事、耳に聞く事、それら一切を通して自らの心を育てる事に取り組む時、即ち、一切を心を育てる為の材料、修行と頂く時初めて一切神愛と分かる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 83頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




天地のことは 人の眼をもて知りて知りがたきものぞ

恐るべし恐るべし




一寸先は闇の夜というが

心に明かりをともすことが出来たら闇はない




心に明かりを頂けば心は触角の働きをするものである

危ない所は除けることが出来る




真愛にかばわれ真愛を悟る時

心の明かりはいよいよ冴えてくる




危ない所は除けることが出来ると

信心をさせて頂き 神様のおかげを頂けば




その危ない所を除けることが出来る

また除けさせて下さるとも言えるのかもしれませんね




なる程色々私ども 修行を神様が求められる事が有ります

師匠は神様の求められる修行 と言う様な事を仰って居られました




そしてまた 私どもが求めてする修行 これもまた大切だと

神様から求められてする修行は中々厳しい時が有ります




しかしこちらが その向こうから求められる前に

私どもの方から先に求めて行く




そう言う事になると

修行も楽なものではないでしょうかね




嫌々させられる修行

こちらがその気になって填まってすれば楽になりますね




神様が私どもに求められているものは何なのか

それはやっぱり私どもの心が育つ事




それこそ生神を目指すと教えて下さいますけれども

その生神を目指す 結局生神を目指すと言うのは




私どもが 何か体が大きくなったり

力を付けて筋肉隆々となって神に成ると言うものでもありませんね




神様の心を心とする 私どもの心が神様と同じ様な心になる

それが神に成ると言うのでしょうかね




心が成長すると言う事が 生神を目指すと言う事だと

私は思いますね




一切全ての本と言うのでしょうか

行き着く所 それはやはり私どもの心を育てる事だと




今世界のどこかで紛争が起こっていたり

この度のパンデミックと言うものが有ったり致します




その中で私どもは右往左往する訳ですけれども

そこに例えばその難儀が過ぎ去る事を




パンデミックが早く終息する事を願う

紛争が早く解決する事を願う それは勿論そうでも有りましょう




しかしただそれが無くなったと言う事だけでは

そのパンデミックの有った甲斐が無い




紛争が何の為に紛争が起こったのか

何の為にその事を私どもに見聞きさせられたのか




もし私どもがその どこそこで戦争があっている

と言うニュースを知らないならば




そこで難儀をしている人達の事を知らないならば

その人達の事を祈ると言う様な事もしないでしょうね




難儀な人の事を見るから それで直接その人達に応援をするとか

手を下すと言う事は出来ません




けれども私どもにも

その方達が助かられる事を祈ると言う事が出来る




可愛いと思う心が神心じゃ と言われる様なそう言う

可哀想だな おかげを頂いてもらいたいな 助かってもらいたい




と言う祈る心が出来る

そしてそこにまた 何と言いましょうかね




その為の何かしら精進をさせて頂こう

と言う心も育って来るようでなければならないと言う事ですけれども




要はその私どもの身の上に起きて来る事柄

その事柄一切を通して自らの心を育てて行くと言う事に結び付ける




あるいは信心を育てると言う事に結び付ける

ここが大切だと思うのですね




確かにそのパンデミックの終息を願ったり

紛争が解決する事を願う




なる程願う事は まぁ大概の人はされるでしょう

嫌なものを取り除いて欲しいとは誰しも思います




しかし神様が願われるのは

嫌なものを取り除く事ではない




その嫌なものを通して

よしこの事を通してどう言う心を育てさせて頂こうか




この事を通してどこを一つ改まらせて頂こうか と言う

その自らの改まりの材料とする 自らの心を育てる事の材料とする  




そう言う信心姿勢ではないでしょうかね

他山の石とすると言う様な事が言われますけれども




その一切の自分の身の上に起きて来る事柄

また私どもが見聞きする事柄それら一切を通して




自らの心を育てる材料としよう と言う

ある意味貪欲な信心姿勢と言うのでしょうかね




そう言うものを神様が

私どもに求めて居られる様な感じが致しますね




その実際起こって来る事柄や 私どもが目にする事 耳にする事

それら一切を通して私どもの信心を育てる 心を育てる




それこそ神様の御心をそこに求めて行く

その事の為の 何と言いましょうかね




出来事であり

私どもの耳や目に入って来る事柄だと言うのですね




それが例えば紛争が解決する事を

パンデミックが終息する事を祈ったから




直ぐにそこに結果が現れて来るとは思えませんけれども

その祈る心を育てる事が大切だと思うのですね




人の助かりを祈る心を育てる 作らせて頂く

神様の願いはそこに有るのかもしれませんね




まあ様々に有るでしょうけれども

一つはそれこそ同病相憐むと言われますけれども




そう言う同病相憐む様な心になって

人様が助かられる事を祈らせて頂く そう言う何と言いましょうかね




とにかく見聞きする事 起こって来る事 それら一切を通して

さあこの事によって私のどう言う心を育てさせて頂こうか




神様がどう言う心を育てよ

と仰って居られるのだろうかと




一切を修行と頂いて初めて

一切が神愛と分かるとも師匠は教えて下さいますね




一切が私どもの心を育てる為の修行

と頂ける信心 心を育てさせて頂きたい




そしてそこから さあこの事によってどう言う心を

育てさせて頂こうか と言う信心姿勢を持ちたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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