今日も和賀心学 (2022-03-05)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人間の我情我欲のぶっつかり合いが争いを引き起こしている事に違いは無い。師匠大坪総一郎師は人々が神様の前に両手を上げて、その上げた手を繋ぎあって初めて世界真の平和は訪れると。横で手を繋いだだけではダメだと。我情我欲を放ち、大きな心、豊かな心を育てようとする人々の大同団結によって世界真の平和は生まれる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 358頁)
ビデオ: https://youtu.be/ia4glqmATJU
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-03-05.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御理解 第55節
賃を取ってする仕事は 若い時には頼んでもくれるが
年をとっては頼んでくれぬ
信心は 年が寄るほど位がつくものじゃ
信心をすれば一年一年ありがとうなってくる
信心は我をとる稽古である
我があるとおかげは受けても有難くもなれない 徳も受けられぬ
信心しておっても我をとる精進に気を入れない限り
我が有難いものを吸いとってしまう
有難い心が育たぬとするならば
我が邪魔になっておると悟らねばならぬ
我ほど自分を苦しめるものはない
我ほど自分を苦しめるものはない
と師匠は教えて下さいます
更にまたこの我と言うのは 自分を苦しめるだけではなく
その我と我のぶつかり合いが争いともなり
多くの人々を苦しめる事にもなりかねませんね
今それこそ世界中のあちこちで争いが起こっている
その争いの元を訪ねてみれば
それは大抵は我情我欲のぶつかり合い と言う事になりますね
師匠が世界真の平和を願われた
そしたら神様から それこそ人々が手を上に上げて
上に上げたその手を繋ぎ合って行く所を頂かれたと
よく世界の平和を唱えられます
そして横に手を繋いで行くと言うのでしょうか
そう言う構図がよく有りますけれども
横に手を繋いだだけでは世界の真の平和は訪れない
それはただ人間が横に手を繋ぎ合っただけだと
人間同士が平和を求めて手を繋ぎ合っても
結局どこかで そのいわゆる何と言いましょうかね
それは我情我欲を持ったままの繋がり合いだからですね
よく平和の為の戦争と言う様な事が有りますね
平和を維持する為に武力を
何と言いましょうかね 持つと言うのでしょうか
抑止力とか言ったり致します
結局平和を唱えつつ 平和の為にと言い また争いを起こす
力で力を制しようとする訳ですからね
そう言う図式ではいつまで経っても
真の平和が訪れるとは思えませんね
やはり真の平和が訪れる為には
それこそ神様の前に手を上げると言うのでしょうか
バンザイをする そしてその神様のおかげで
神様の前に手を上げた者同士がその手を上で繋ぎ合って初めて
これは神様の下でと言う事でしょうかね
そして初めて世界真の平和が訪れる
それは今朝頂きますのは
やはり人々が自らの心を育てると言う事に目覚めて
そこに精進する者でなければ
その例えば争いが起こる
それはお互いの心がやはり小さいからですね
人を責める 人を許せないと言うのでしょうかね
やはり心が小さいから
その心が小さい者同士が横で手を繋いでも
またどこかで争いが起こる
人々が 世の人々がより大きな心を持とう
より豊かな心を持とう それこそ我情我欲を捨てよう
とそうする人達が それこそ神様の前に手を上げて
その上で手を繋いで初めて世界真の平和が訪れる
人間 有史以来何年経つのでしょうか
その間に心が育ったでしょうか
同じ様な過ちを 同じ様な戦争を繰り返していますね
それは結局人間の心が何千年経っても育っていないと言うよりか
育っていないと言うよりか
育とうとしていない所に問題が有るのではないでしょうかね
心を育てよう それこそ神様の下さるその成行きによって
心を育てよう この事によって我を無くして行こう
これは私の我が有るから争いを起こすのだ と言う事に気付き
その我が他の人を傷つけてしまう事になる と言う事に気付き
我を取って改まって行こうと言うその
自らの心を磨いて行こう 心を育てて行こう
と言うそこに目覚めた人達の集まりにして初めて
世界真の平和が訪れる 約束されるのではないでしょうかね
どんなに横で手を繋いでも
世界が平和であります様にと祈っただけでは平和は訪れない
皆が心を育てる その事に目覚めて
誰もが心を育てる事に一丸となるならば
よしこの事で我を取ろう よしこの事で一回り大きくなろう
とそこに心が向けられた時に初めて
平和が訪れると言う事になる様に思いますね
どうでも人間の一人一人が 自らの心を育てる事に先ず目覚める事
そしてその事の為に 様々な成行きを
神様が下さっておるのだと言う事に気付き
この世で ただ単に我情我欲を満たす事の為に生きているのではない
自らの心を磨く事の為に生きているのだと
そこに悟りが開けると言うのでしょうかね
そのそう言う人々が 一人でも多くなる事
世の人々が より大きな心になる事 より豊かな心になる事
そこに目指す人達が増えて行くと言う事
そしてそう言う人達が それこそ手を上に上げて繋いで初めて
世界の真の平和が訪れると言う事だと思いますね
先ずは私の中に 心を育てて行くと言う事を
に目覚めると言うのでしょうか
そこに焦点を当てての日々であり
そう言う人々がそれこそ増える事を願う
人々が心を育てる事に目覚め
そしてそこに精進をする人達が増える事を願う
戦争を止めさせる為の戦争であったり あったのでは
そう言う事では戦争が無くなる事は有りませんからね
平和の為の戦争であったり
力をもって争いを止めると言うのではない
お互いがお互いに心を育てる事に目を向ける人達
そう言う人達のそれこそ大同団結をもって初めて真の平和が訪れる
先ずは私の所からその輪を広げて行く
と言う事ではないでしょうかね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿