2022年3月26日土曜日

和らぎ賀ぶ和賀心こそが最高のおかげ。霊徳をもって拓き、神徳をもって導く (2022-03-26)

 今日も和賀心学 (2022-03-26)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、和らぎ賀ぶ和賀心こそが最高のおかげと頂いた。それは所謂ご利益を飛び越えた世界だと思う。しかし一足飛びにその世界に行けるとは思えない。師匠は米国布教も先ずは霊徳をもって人智人力を超えた力の有る事を示し、その後に真の信心へと導いて行かねばならないと言う様な事を仰って居られた。霊徳をもって拓き、神徳をもって導く。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 112頁)


ビデオ: https://youtu.be/_GuXS0zKRJE

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合掌

中原博信

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御神訓




わが心でわが身を生かすこともあり

殺すこともあり




神人の歓喜は現在過去をも生かして居る時です

然も未来への光ともなるのです




その反対の心はお先真っ暗の時

お蔭をも殺しておる時と知らねばなりません




自分を殺し

神をも殺すことになります




光ともなると教えて下さいます ではその光とは

私どもが心に頂く光とは何だろうか 信心の光とも言われますが




今朝は 和らぎ賀ぶ

この和賀心こそが最高のおかげだと頂きました




和賀心が最高のおかげだと

確かにそう言われるとそうだなと思いますね




改めてそれは 例えばいつ如何なる

どう言う事柄の中にあっても




例えば苦しいとか 辛いとか 難儀だなとか 嫌だなとか

こう言う世界から抜け出したいと思う様な出来事の中にあっても




あるいは心がめげてしまう 折れてしまう そう言う中にあっても

心が和らいで居れ 賀んで居れれる




そのあれは誰かの言葉でしたか

今ある所で咲きなさいでしたかね 一寸よくは忘れましたけれども




その今あるその事を和らぎ賀ぶ心で居れたならば

なる程これはもうその時点で助かって居ると言えますね




他に求める事は有りませんね




若しよく言われますね おかげを頂けなかった

ああそれはあなたに和賀心が無かったからだとか




和賀心に未だ成り得なかったから

それこそ亡くなってしまったんだとか




そう人の事を評する事が有りますけれども

それは間違いですね




そのどう言う例えば病気の中にあっても

心が和らいで居れ 賀んで居れれば




もうそれが助かりの世界ですね

言わばおかげの世界です




本当を言うと いわゆる現世利益的な ご利益的なおかげは

もう求めない世界 要らない世界




おかげは和賀心にあるから

おかげが欲しいから和賀心になろう




と言う世界に止まって居ったのでは

いつまで経っても和賀心にはなれませんね




その欲しい欲しいおかげと言うものを外してしまって初めて

和らぎ賀ぶ和賀心が頂けますね




ですからある意味 おかげが欲しいから和賀心になろうと言う間は

和賀心は頂けない と言う事にもなりますね




和賀心 和らぎ賀ぶ和賀心の世界 それはもういわゆる

ご利益はもう要らない と悟った世界でもある訳ですからね




今ある事に賀びを感じ 有難さを感じる

それならばもうそれ以上のものは要らない訳ですから




病気を治したいから和賀心になろう

と言うのは間違いである事が分かりますね




和賀心であれば

もう病気を治そうと言う心も実際は無い訳ですから




その光を頂く ではどうしたらそう言う和賀心が頂けれるのか

それはやはり心に光を頂く事だと




しかし一足飛びに光が頂けれるとは思えません

その光とはやはり神様を信じる心であり




今自分が置かれているその場と言うもの

それが 神様がそこに連れて来られたものであり




そこに居らせて 居らせられて居るものであり

神様の御働きで今こうしてここに居る




こう言う状況にあると言う事を素直に頂き そしてそこに

感謝の心が湧いて来る様な心を頂かねばなりませんけれども




そこには道は孤ならず と言われます様に

人間の心だけで頂けれるものではありませんね




神様の御働きをそこに実感するからこそ

神様がここに連れて来られた と言うそれをまた実感するからこそ




和らいで居れ 賀んで居れる訳ですね

不安心配も無くなる訳です




そこに神様の御働きを実感するからこそです

しかしその神様の御働きを実感すると言うのも




ただ綺麗事では出来ませんね

その前にはやはりご利益を やっぱり頂かねばなりませんね




人間はやっぱりご利益を頂いて初めて

神様の御働きを実感するものですからね




師匠のお話の中に

アメリカの布教の事が出て居りました




それはいわゆる先ずは霊徳でもって人々にそれこそ人智人力を超えた力

働きが有る事を示すと言うのでしょうかね




そしてそこに興味を持ってもらう事が先だと言う様な

そしてその霊徳をもって道が開ける 拓く




そしてそこから改めて真の信心を伝えて行く

と言う事になるだろうねと




先ずは人々の目を開かせる

或いは私どもが神様のおかげを実感として感じる




そこにはやっぱり霊徳的な働き いわゆるご利益を頂く

と言う様な事の体験の積み重ねが要ると言う事ですね




そう言ういわゆるご利益を頂く その積み重ねによって

なる程神様の御働きが有るのだと




また神様の御働きの間違いなさを実感する




そしてそこから今度は もうご利益は要らないと言う世界に

心が育って行かねばならないと言う事ですね




いつまでもご利益 ご利益では

いつまでもそれこそ何と言いましょうかね




子供が何かおもちゃを下さい お菓子を下さいと言う様な世界で

止まってしまうのかもしれませんね




しかしその世界を抜きにして 真の助かりの世界に

ダイレクトに入ると言う事は難しい事ですね




先ずはいわゆるご利益の世界と言うのか

霊徳的な世界をも体験し 味わい




そしてそこから更に進んで より真実のいわゆる

もうおかげは要らない ただ和らぎ賀ぶ和賀心が頂きたいと言う世界




本当のおかげの世界に導き入れられる

と言う事になるのではないでしょうかね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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