今日も和賀心学 (2022-03-16)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、成行きを 尊び受ける 生き方を 学びて永遠の 命とぞせん、と教えて下さる。中々受け難い成行きもある。今朝はそれを受けるテクニックの一つを教えて頂いた。それは、大きな願いと修行精神を組み合わせて使うと言うもの。例えば、よしこの事を人が助かる為の修行として受けさせて頂こうと言うもの。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 412頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第73節
変人になれ 変人にならぬと信心はできぬ
変人というは 直いことぞ
変人というは直い事ぞ
直い事とは本当のこと 真直いことの意
本当のことをなす人を変人と言わねばならぬほど
変人は少ないのである
学生に 勉強と信心はどちらが大切か というと
勿論 勉強は学生の本分だから というであろう
けれども つまるところ
勉強も人の幸せにつながるものでなければならぬ
すると信心はその根本になるものである
信心を先に立てて勉強をとると 人は変人というかも知れぬ
信心と勉強 勉強と信心 二つにして一つ
信心と勉強との対立のない世界がそこから開けてくる
それが信心である
信心とは信ずる心である
変人になれと
変人とは直いことぞと 真直いこと
神様の御教えに真直ぐいこと
とも言えるのかもしれませんね
中々神様の御教えと言うのでしょうかね
それに真直ぐ向き合うと言う事が難しい時が有りますね
成行きを 尊び受ける 生き方を 学びて 永遠の 命とぞせん
と師匠は教えて下さいますが
その成行きを大切にする 尊ぶ と言う事も
その出来易い時と出来難い時が有りますね
ここは成行きだから頂かなくちゃいけない と思っていても
御教えに従おう思っても 中々心がそう動かない時が有ります
それでも成行きだから 師匠が教えて下さるからと
しぶしぶ受けて行くと言う様な時もやはり有りますね
ついつい腹を立ててしまいたい時や
放り出してしまいたい時などもやはり有ります
そう言う中にあっても それを受けて行くと言うのでしょうか
そこに一つのテクニックみたいなものが有ると
今朝はその事を教えて頂いた様に思います
言わば成行きを受けて行く上での一つのテクニック
これを体得すれば 成行きを受けて行くと言う事が少し見易くなる
楽になる 信心する上で 成行きを尊ぶ上で
少しでも楽にその成行きを受けられる受け方
そのテクニックと言うものですね
それはここ数日頂きます 大きな願いを持つ事だと
その大きな願いを持つと言う事と 信心の上での修行精神
この大きな願いと この修行精神
これをコンバインすると言うのでしょうか
一つに合わせて使う そうすれば成行きを受ける事でも
今まで受けられなかった様な事でも少しは楽に受けられる様になると
実はここ数日寝不足が続いています
ある事をして居りますとついつい時間が経ってしまうのですが
それで寝不足が続くと私の場合すぐ歯が痛み出します
その寝不足が重なると歯が痛くなる
と言うのが昔から私に良く有ったのですが
また昨日は少し痛み出しました
ここ少し寝不足が続いているからだなと思ったのですけれども
で 食事の時に食事をするのが辛くなります
やはり食べるのが痛くなる とさあそこでですね
もう今日は歯が痛いから食べるのは止めておこう
でも良い訳ですけれども
そこはやはり食べないと体の丈夫が保ってない
歯が痛くても食べねばならないものは食べねばならない
とすれば さあどう頂くかと言う事ですね
そこで思い付いたのが あぁそうだ
この事を人が助かる為の修行
あるいはなる程 今紛争で大変難儀な人達が居られる
困って居られる この一日も早く紛争が収まる事を願われる
その世界真の平和実現の為の その為の修行とさせて頂こう
それくらいの事で紛争が収まるとは思えません
人が助かるとは 直接繋がるとは思いませんけれども
それでもその為の修行とさせて頂こう
言わば人が助かる為にとか 戦争が無くなり
世界の人々が平和であります様に
とか言う願いは
やっぱり私にとっては大きな願いですね
そう言う大きな願い その事の為に 今この歯が痛い 食べ難い
それを食べさせて頂くのを修行として食べさせて頂こう
と言う気になりましたら 嫌々でも食べていたのが
少しは楽に食べられる様になりました
勿論今までの倍以上の時間をかかって
その食事をさせて頂く事になりましたけれども
時間はかかりましたけれども それでも心の中は
よしこの事を人が助かる為の修行とさせて頂こう
と言う思いで頂きましたら
まあ何とか頂く事が出来ました
それで今朝の心中祈念の時に
その事を頂く訳ですね
その大きな願いを持つと言う事
そしてその大きな願いの為の修行として
それこそ こんな事は嫌だ
こんな事は受けられない と言う様な事でも
よしこの事をその大願の為の
成就の為の修行として受けさせて頂こう と言う受け方をすれば
少しは楽に受けられる様になるよと言う事なのですね
ある意味一つの 成行きを尊ぶ 受けると言う事の
嫌な成行きを受ける
やっぱり何でもかんでも有難く受けられるものでも有りませんからね
嫌なもの 受けたくないものも有ります
それでも受けねばならない事が有ります
そう言う時に 自らの心を一つ変えるテクニック
とでも言うのでしょうか
受け難いものでも受ける
その時のテクニック として使う事が出来るよと
その大きな願い それが実現する 成就する為の修行として
この事を受けさせて頂こう と腹が決まる事だと言う事ですね
一寸変人っぽい事にもなるかもしれませんけれどもね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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