2022年3月23日水曜日

人が助かる為の神様のお役に立ちたいでなければ (2022-03-23)

 今日も和賀心学 (2022-03-23)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


天地金乃神様が私どもに願われるもの、それは私どもの心の中に、人の助かりを祈る心、願う心が育つ事。神様のお役に立ちたいと願う、教会や教団の発展を願う、師匠を現したい、教祖様を現したいと願う、ただそれだけでは神様の本懐を射抜いてはいない。人が助かる為の神様のお役に立ちたいでなければ。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 52頁)


ビデオ: https://youtu.be/wjjXObnzpsA

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合掌

中原博信

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御神訓




表行よりは心行をせよ




在平素 何のけいこによらず平素の心がけが大事で

ことに信心は油断が禁物




心行とは 心を研くとか 改まるということと同時に

いつも神様を思うということ これ心行なり




四神様おことば

表行が出来ぬようでは心行は出来ぬ




思い出すよじゃ 惚れよがうすい

思い出さずに 忘れずに




平素の心掛けが大事と教えて下さいます

その平素の心掛け 何が平素の心掛けとならねばならないのか




信心させて頂く者 稽古させて頂く者として

こう言う心があらねばならないとか




こう言う心を作らねばならないとか

言うものがやはり色々有りますね




我情我欲を取る稽古であるとか

神様のお役に立ちたいとか




天地日月の心であるとか

その色々なこう言う心になれよと




それこそ人を責めてはいけない

大きな心になりなさい 美しい心になりなさい




卑しい心を取りなさい

言わば汚い心を無くして行きなさい




色々な心の在り方と言うのでしょうか

が その時々によって示される訳ですけれども




それこそ私どもの身の上に起きて来る成行きを通して 様々な

ああ ここは腹を立てちゃあならんなあ




ここは黙って治めにゃならんなあ

ここは土の心を頂く所だなと




その時々に応じて様々な心を作って行く

心を磨いて行くと言うのでしょうか




そう言う稽古をさせて頂く訳ですけれども

中でも神様が どうでも私どもに持って欲しい心と言うのでしょうか




勿論それが和賀心を目指すと言う事でも有りましょうけれども

私どもにそれこそ持って欲しい心




それはその人の信心の段階に応じて

色々な心の状態が有るのかもしれませんけれども




どうでもこの心だけは身に着けて欲しい

と言うものがやはり有ると思いますね




それを今朝頂きますのは

人様に助かってもらいたい と言うその人の助かりを祈る 願う




人が助かりさえすればと言うその人が助かると言う事を祈り

願う心が愈々強くなって来なければならないと




そして今日の在平素 ですか

それこそ平素の心掛けとして いつでも人の助かりを願っておる




そう言う人に そう言う心持ちにならなければならないと

一切が 人が助かる事の為にと言うそこが基調とならなければならない




そう言う心が育たなければならないと言う事なのですね

なる程神様のお役に立ちたいと言う心が育つ事だと




また実際神様のお役に立ちたいと願いもする

或いは師匠を現したい 初代を現したい 神様を現したいと願う




或いは教会の発展であったり

教団の発展であったり そう言うものを願う




また世界真の平和を願う と言う様な様々な思いと言うのか

願いと言うのか が有ります




有りますけれども 神様の何と言うのでしょうかね

的を得た願いと言う事になっているかどうかと言う事ですね




その神様の心の的を得た願いが

私どもの中に育って来なければならない




その心を愈々育てなければならない

それが人が助かる事を祈る 願う心だと言う事なのですね




教祖様が段々信心して来る

そうすると私にも欲が有りますと




大きな欲が それは人を助けたいと言う欲が有ります

と仰って居られますね




また天地金乃神様が 教祖様にお頼みになられた

それは 世間に何ぼうも難儀な氏子あり 取次ぎ助けてやってくれ




と言うその助けてやってくれ と願われた訳です

ですから神様は 助けたいと願って居られる訳です




その神様の心を心とさせて頂く

為には私どもの中にも 助けたい 難儀な氏子を助けたい




人々を助けたいと言う思いが愈々募って来なければならない

そう言う心が育って来なければならない




そしてそこから出る所の お役に立ちたい

お役に立つと言っても 色々なお役に立ち方が有りますからね




反面教師と言ったお役に立つ事も

それもお役に立つ事でしょうけれども




本当の神様が願って居られるのは そう言うものではない

真正面からの役に立つ




それは人が助かる事の為に

真正面から役に立つ事だと思うのですね




お役に立ちたい それは人が助かる為のお役に立ちたい

人が真実助かる為のお役に立ちたい




その為の初代 師匠を現すであったり

教祖様を現す と言う事になる訳ですね




ですからお役に立つと言う事が目的であったり

初代を現すと言う事が目的であったり




教祖様を現すと言う事 教団が発展する事

そこが目的ではないのですね




何ともその辺の所で

願いの先と言うのが止まっておるのではなかろうかと




どこまでもその教祖様が目指された所 勿論師匠が目指された所

それは神様が 難儀な氏子を助けてくれと




その氏子を助けたい と言うその人が助かる事の為

人を 難儀な氏子を助けたいと言うその一念が




私どもの中に育って来ると言う事

その人の助かりを祈る 願う心が育つ




それこそ その心が常平生から持ち続けられる

と言うのでしょうかね




思い出すよじゃ 惚れよがうすい と

思い出さずに 忘れずに




それは勿論神様の事でしょうけれども

そしてそれと同時に 人が助かる事




それを思い続ける 願い続ける

と言う心が愈々育って来なければならない




そうでなければ そこからその事を元にしての

神様のお役に立ちたいと言う事でなければ




神様の御心に 本当の御心には通わない

と言う事ではないでしょうかね




ただお役に立ちたいではない

人が助かる為のお役に立ちたい




その御用にお使い下さい

と言うものでなければならないと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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