2022年3月14日月曜日

神様の御心に触れたところから頂くおかげ (2022-03-14)

 今日も和賀心学 (2022-03-14)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の信心の一大特徴は神様の御心を分かりたいと求め続けて行かれた事だと思う。なる程、御教えを行じて頂くおかげも有る、自らの心を改めて頂くおかげも有る、和賀心を目指して頂くおかげも有る。しかし師匠の場合は神様の御心を求め、その神様の御心に触れたところから頂くおかげだと言う事。天地の 心知りたし 道あらば しめせ天地 己が心に、これが師匠の信心。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 137頁)


ビデオ: https://youtu.be/TP12PzQmtFo

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合掌

中原博信

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御神訓




用心せよ

わが心の鬼がわが身を責めるぞ




信心のないとき気にもとめなかった事が

しきりに心にかかり出した




我が身を責めるのである

慚愧の念と言うのであろうか




真っ暗な心の中に信心の灯がともりだした

心の隅々に迄ハッキリとわかるようになった




これに取り組んで行くことが改まりだと心づく時

生き方が変わってきた




これから真の助かりが出来るという喜びが

湧いてくるのである




執着と きりなき欲の その果ては

身も魂も 滅ぶほかなし




信心をさせて頂く

信心をする




それは日に日に生きるが信心なりとも

その心を改める事だとも教えて頂きます




心の改まりだと

心を改める事肝要なりとも教えて頂きます




私どもが日に日に新しい事を教えて頂くと言うのでしょうか

そこに信心の楽しさが一つは有る様に思いますね




新しい事をまた教えて頂き また分からせて頂く

そしてそこに取り組んで行く なる程と新しい発見が有る訳ですね




その今まではこう言う心である事に何とも思わなかった

それが その自らの心の改まるべき所




卑しい心であったり 小さな心であったり

そう言う自らの心の暗黒面とでも言うのでしょうか




そう言う所が 神様を お示し下さる

成行きを通して これは あぁここは私の心が汚いからだ




私の心が小さいからだと分からせて頂く

そしてそこを改まって行く




より大きな心になろう 豊かな心になろうと

改めるべき所を気付かせて頂き そこに改まる様に精進努力させて頂く




そう言う事がやはり信心の楽しみにならねばならない

と言う事でもあると思いますね




そしてその改まりにおかげとも言われますね

ご剣先さん 御神米によって頂くおかげも有れば




自らの心を改める 改まる

そこに頂くおかげも有ると




その心を改まったことによって頂くおかげの方が値打ちが有る

と言うのでしょうか そう言う事を教えて頂きますね




昨日は師匠大坪総一郎師の録音のお話を頂いている中に

それこそ新しい事と言うのか ハッとする様な事を頂きました




そしてその事を今朝改めて心中祈念の時に

思い返させて頂いたのですけれども




それはその例えば信心の教えに取り組む

その教えに取り組んで頂くおかげ




或いは自らの心を改まって頂くおかげ

こう言う御教えに取り組んだら こう言うおかげを頂きました




それこそ黙って治めたら こう言う展開になり

こう言うおかげになりました




成行き大切にしたら こう言うおかげになりました

と言った様な話がよく有りますけれども




そこで止まって居ったのではそこ止まりだと

いわゆる広がりに広がる様な 思いもかけない様な




何と言いましょうかね 願い以上 思い以上のおかげになる

と言う事までは行かない




ある意味杓子定規なおかげで止まってしまう

と言った様な感じのお話でしたね




ではどうしたらその広がりに広がる様な

おかげの展開へとなって来るのか




それは神様の御心が分かる 分かる様にならねばならないと

仰って居られましたね




なる程自らの心を改まって行くと言う事も大切だ

それこそ信心の五願五行に取り組む事も大切だ




しかしそれだけでは足りないと言うのでしょうかね

肝心要の所は その五願五行によって何を分からされるか




それは結局神様の御心を分かる為の 何と言いましょうかね

道具の様なものではないでしょうかね




私どもが本当に分からねばならないのは

この御教えをこう行じてこうおかげになりました




と言う事もさる事ながら その事によって神様のこう言う御心を

分からせて頂きました と神様の御心に触れると言うのでしょうか




またの言葉で言えば

神様の神愛に触れる その愛に触れる




そういう言わば 心と心が通い合う様な

そう言う事を目指さねばならないのだと




その神様の御心が分かった時

感じた時と言うのでしょうか




そう言う神様の御心を感じる その積み重ねによって初めて

それこそ広がりに広がる様なおかげも頂けれると




教えに取り組んで かくおかげを頂いたと言う世界では

大した事はないと言うのか




それでも大した事ですけれども

本当のおかげではないと言うのですね




本当にその夢にも思わなかった様なおかげ

広がりに広がるおかげになって行く




そこには神様の御心に触れる

神様の御心に触れて




それこそ有難さが湧いて来る と言う様な事になって初めて

広がりに広がる様なおかげの世界に住む事が出来ると




今朝それこそ改めて なる程師匠の信心の 何と言いましょうかね

大切な所 それはやはり




天地の 心知りたし 道あらば 示せ天地 己が心に

と神様の御心を分かりたいと求めて行かれた




そこに有るのだと

改めて思わせて頂いて居ります




何かおかげを求めて行かれたとか

御徳を求めて行かれたとか




何かそう言うものを 自分の益になる

為になるものを求めて信心されたと言うのではない様に思いますね




ただただひたすら神様の御心はどこに有るのだろうか

と神様の御心を求め続けられた




そして成行きを尊ぶ中に なる程これが神様の御心であろうか

と言う事に触れて行かれた




そしてそこに頂けれる 有難さと言うのでしょうか

和賀心と言うのでしょうか




そう言うものがあって初めて

そこから神様の本当のおかげが頂けれると言うのですね




教えを行じて頂くおかげ それも有りますけれども

その教えを行じて頂くおかげ そこからもう一つ更に進んで




師匠が頂かれたおかげは

神様の御心が分かって




神様に 神様の御心に触れて

そして頂くおかげであったと言う事ですね




どうでも私どもの信心の一つの要として

天地の 心知りたし 道あらば 示せ天地 己が心に




と神様の御心を求める 求め続ける信心

精進と言うのでしょうかね




その事の為の成行きを尊ぶと言う事でもありますね

どうでも神様の御心が分かりたい




神様の御心に触れさせて下さい

と言う精進をさせて頂きたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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