2022年3月17日木曜日

マイホーム的信心ではやれやれが出る、世の真の平和への熱願が要る (2022-03-17)

 今日も和賀心学 (2022-03-17)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


世間では「朱に交われば赤くなる」と言われる。赤信号皆んなで渡れば怖く無いではないが、それではいかぬ。独りでも決然と青になるまで待つ心意気が要る。「赤くならぬまで」の信心姿勢、神様に対しての襟を正しての一本筋が通った姿勢が要る。マイホーム的信心ではやれやれが出る、世の真の平和への熱願が要る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 28頁)


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合掌

中原博信

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御神誡




人の不行状を見てわが身の不行状になること




朱に交われば赤くなる




にごった社会にあると

いつの間にか にごった心になっているのである




赤が白に見えたり 白が赤に見えて来るのである

恐ろしいことである 素は自己愛にある




今日 ある婦人の方のお取次をさせて頂いた

先日 教会からの帰り道に




子供が親に対して口汚く悪口雑言している場面にあって

そのあさましさにおどろき




自分も主人や子供に対して

あんな姿であることに気付き




心から改まることを神様に誓ったら

心の底から歓喜の涙が溢れたというのである




朱に交われば赤くなる

とよく聞きますね




その朱に交わっても赤くならぬまで と言うのが師匠の 何ですかね

あれは御徳を頂く六か条の中の一つに有りますね




朱に交わっても赤くならぬまで

これは信心する者として させて頂く者として




その社会の在り方と言うのでしょうか

私どもの置かれている環境と言うのでしょうか




それとは一線を画するものと言うのでしょうかね

そう言う心根を持たねばならない




その一つの何かしら貫くものがなければならない

と言う事だとも思うのですね




周りと同調して行く様な事であってはならないと

確かに周りと仲良うして行く事は大切ですけれども




その何て言いますかね

周りに流されてはいけないと言うのでしょうか




よく赤信号皆で渡れば怖くない などと言われたり致しますけれども

そう言う事であってはならない訳ですね




皆が赤信号で渡っている

それでも自分は決然として青信号になるまで待つ




そう言う姿勢がやはり要るのではないでしょうかね




今朝心中祈念の時にしきりに思わせて頂く事が 師匠が仰って居られた

救われる身から 救う身になれ と言う事なのですが




やはりどうしても私ども 我が身が救われる

或いは我が家族が救われる 家庭の円満を願う




そこ止まりの事が多いと

いわゆるマイホーム的信心と仰いますが




そのマイホーム的なおかげ

マイホーム的信心で止まってはいないだろうかと




なる程世間の人達は大体そこ止まりの人が多いですね

勿論私もそうだろうと思います




しかし師匠の御教えを頂いて居りますと

やはりその救われる身から救う身になる




もう一つ向こう岸に渡ると言うのでしょうか

いわゆる我が身のおかげを受ける これは勿論ですけれども




我が家庭の上におかげを頂く これもなる程確かにそうですけれども

そこからもう一歩踏み出すと言うのでしょうかね




今朝はしきりと世の中はそれこそ平和に行っているだろうかと

どうぞ世の中が平和であります様にと




そう言う思いがしきりと湧いて来るのですけれども

その世の中が平和であります様に と言うその




そう言う祈りを持たせて頂く

と言う事が大切だと思うのですね




なる程 私どもの自身の事 そしてまた家庭の事

家族の皆の事 それがおかげを頂いて行く




勿論頂いて行かねばなりませんけれども

そこに止まらず 尤も私どもの心がより大きくなって




それこそ肉親の者だけが家族だと言う思いから 世の人々も家族だと

言う思いへと変わって行けばしめたものでは有りますけれどもね




そう言う意味においての 自分の肉親の家族のみならず

世間の人達 それこそ世界中の人達が皆家族だ 皆兄弟だ




と思える様になってのマイホーム的な信心と言う事になりますと

世界中の人々が我が家族だと




そう言うマイホーム的な信心はこれは結構な事だと思いますけれども

如何せん現実は中々そうは行きませんね




我が家は我が家 人の家は人の家 隣は隣となってしまいます

ですから隣の家の事でも祈れれる様な




そしてまた世界が紛争が起こっている その紛争が無くなる様な

世の中が平和になる様な 平和である事を祈る




我が家の祈りから マイホーム的な祈りから

更にそれが世界の平和を祈る そう言う心を持たせて頂きたい




そう言う心のお育てを頂きたいと思いますね

そしてその世界の平和を祈る心が出来たならば




恐らく赤信号皆で渡れば怖くない

と言う様な心も無くなるのではないでしょうかね




こんな事をしていたのでは とても世界が平和になるとは思えない

泥棒の中に入って 泥棒をするのが当たり前になってしまう様な事では




本当の世界の平和が訪れるとは思えませんからね

心の底から世界が本当に平和であります様にと願える様になる




そしたらどう自分があるべきかと言う事も

自ずから感じれる様になるのではないでしょうかね




世界の平和が祈れる様になって

祈れる 祈る




そして朱に交わって赤くなっているようでは

こんな事では世界の平和は訪れないだろうなと




こんな事ではいけない 世界の平和を祈る からには

私としてどうあるべきか




と言う事もまた考える様になるのではないでしょうかね




どうでも我が身の上におかげを受けて

勿論その後にと言う事なのでしょうけれども




救われる身から 救う身になる

世界の平和を祈る その心が愈々強くなる




マイホーム的信心から脱却して 世界の平和を祈る

そう言うその為の信心になる と言う様な




私どもの 自身の心のお育てを

頂きたいと願いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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