今日も和賀心学 (2022-03-02)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心をすると言うが、信心の目的は2つ。一つは神様のおかげを頂く事。もう一つは自らの心を育てる事。この2大目的を持って信心の稽古をさせて頂くと言う事。この2つの目的が曖昧になっているから信心がハッキリしない。信心の目的をハッキリさせると言うこと、自らの心を育てる、神様のおかげを頂く。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 122頁)
ビデオ: https://youtu.be/ZqKggE3Z4mg
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-03-02.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御神訓
体を作れ
何事も体がもとなり
願わずにおれぬが
又 作る精進を忘れてはなりません
其の精進とは 天地金乃神と一心なり
の信心を目指すことであります
嵐の前の静けさや降る前の雲行の上に
その前ぶれのように 前兆としての現象が起こる
大音声に又 或る時はささやくように
天地自然の生きた動きは実に親切である
お道の信心は 天地との交流を
生活のリズムの中に受けとめられる生活を願いとせねばならぬ
天地との交流と教えて下さいます 如何にしたらその天地
神様と言う事でしょうか との交流が出来るのか
この言わば 信心をするとか
信心をさせて頂くと申しますけれども
その大抵はやはり難儀が起こる
その難儀を助けてもらうと言うのでしょうかね
難儀から逃れたい 或いは自分の願い事が叶いますようにと言った様な
そこから信心と言うものが始まると思うのですけれども
そしてそれが一つの
馬の前にぶら下げた人参の様な役目をするのかもしれませんが
それでこの御道に御縁を頂き そして教祖様が
願う氏子におかげを授け 理解申して聞かせと言われる様な
その先ずは氏子の願いを叶えて
そして後に神様の御教えと言うのでしょうかね
それを教えて頂く
と言う様な図式になるのでしょうけれども
大抵は願う氏子におかげを授けで
終わってしまう事が多い様な感じも致しますね
中々その後の理解申して聞かせの
その理解を聞こうとしない
その聞こうとしないから おかげを例えば 10の内の 2とか 3とか
少しだけ小分けして授けて その全部のおかげを頂きたいと言う
その頂くまでに理解申して聞かせる
と言う事を神様がなさると言う事も有りますね
そのこの辺の兼ね合いと言うのか
それは氏子の方に信心すると言う事の目的と言うのでしょうか
神様が氏子に願われる 氏子に信心をさせたいと言うその目的が
ハッキリしていないからだと思うのですね
ただ何となくおかげを頂きたいと言う
そこで止まっているのではないでしょうかね
この御道の信心の目的 それは 2つ有ると思います
1つは確かに そのいわゆる神様との交流が出来る
その神様との交流 そこから流れて来る所のいわゆるおかげを頂く
神様のおかげを頂くと言う事でしょうか
それは今朝のミニ御理解に有ります
天地との交流の姿だと思うのですね
天地との交流 神様との交流無しには
神様からの本当のおかげは来ませんね
まぐれ的なおかげであったり
まぐれ的な奇跡と言うのは有るかもしれませんけれども
四六時中神様のおかげを頂き通す
為にはやはり天地との交流と言う事が要りますね
そしてもう一つの大きな目的
これは私どもの心を育てると言う事ですね
ですからこの神様を 何と言うのでしょうかね
神様からおかげを頂くと言う事と
私どもの心を育てる
と言うこの 2つの 2大目的を持って信心させて頂く
この 2つをハッキリ自分の中に認識する
その目的を 2つ持つと言う事が大切な様に思いますね
例えば野球などだと投げる 打つ 走るですか
そしてまた受けると言う事が有りますね
投げる練習をする 打つ練習をする そして受ける練習をする
勿論そこには走ると言う事も有るでしょう
そう言う何と言いますかこれだけはしなければならない
この目的が有る訳ですね
信心すると言う事のそこには 神様からのおかげを頂くと言う大目的
ともう一つ 自らの心を育てると言うこの大目的
この 2つの大目的をしっかりとハッキリと認識した上で
そしてその信心に臨むと言う事になりましょうかね
それが 後々ではその 2つが一つになって行く世界も
有るのでしょうけれども
最初の内はとにかくこの 2つの目的
神様のおかげを頂く そして自らの心を育てる
この 2つの目的をハッキリそれこそ意識して
努めねばならないと思いますね
神様のおかげを頂く為には ああした方が良い
こうした方が良いと言う事が有りましょう
そしてまた自らの心を磨く その為には
こうした方が良い ああした方が良いと言う事が有りましょう
いわゆる御理解と言われるものの中には
それらがごちゃ混ぜになっているのですね 実は
そのごちゃ混ぜになっているから 何が何やら
話を聞いても分からなくなると言う所が有りますね
ですから これはおかげを頂く事の為の役に立つ話だ
これは自らの心を磨く事の為に役に立つ話だとハッキリ聞き分ける
そう言う作業をすると
また信心が楽しいものになるかもしれませんね
日参 聴教 信行 心行 家業の行と言われますけれども
その中にはやはり全てが入っておりますよね
日参する事によって教えを頂く
と言う事ですけれども
教えを頂くそれは 自分の心を育てる為の教えも有れば
おかげを頂く為の教えも有る
信行 信心の行 これなどはやはりおかげを頂く為の行だと思いますね
もう一つの心行 心の行これなどは自らの心を育てる為の行ですね
そう言うものが家業の行
いわゆる日々の生活の中に
そのおかげを頂く為の行と 自らの心を育てる為の行が
なされて行かねばならないと言う事だと思いますね
特にどう言う心を育てれば良いのか それを端的に教えて下さったのが
天の心 地の心 日月の心であると思いますね
おかげを頂く為の行 それはやっぱり信心の行
いわゆる御祈念信行と言われるものであったり
言わば御用と言う事も
そう言う事になるのかもしれませんね
今自分がしておる事が おかげを頂く為の精進なのか
自らの心を磨く為に 心を育てる為の精進なのか
そのそこの所をハッキリさせて取り組む
とまた信心が一つ楽しいものになるのではないでしょうかね
とにかくこの 2つの事
おかげを頂くと言う事と 自らの心を育てると言う
この 2大目的を持って信心に取り組ませて頂く
と言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿