今日も和賀心学 (2022-03-06)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、道は孤ならず、とも、二人三脚、とも頂いた。道は孤(ひと)りでは開けない、神様と共に進んで行くものだと。御教えを行じるでも、自らの心を育てるでも自分一人で出来るものではない、神様のおかげを頂いて初めて出来させて頂けるのである。いつも天地金乃神様と共に人生を歩ませて頂くのである。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 102頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
真の道をゆく人は肉眼をおいて心眼を開けよ
真の道 いかにも真っすぐい道のように思うけれど
決して一直線ということではない 又 常識的でもない
むしろ曲がりくねった道である
真の道をまっすぐなものと思うところに至難の道とはなる
心の眼を開けばハッキリとわかる
わかる迄が信心である
山頭火の句に
まっすぐな道で淋しい と
真の道は茨の道ではない 楽しく心はずむ道である
要心せよ 身欲は迷い道となり理屈はまわり道となる
真の道 その真の道を教えて下さるのが信心だとすれば
その真の道を歩いて行くのが私どもだと思いますね
それは歩いて行くのか 走って行くのか
人夫々でしょうけれども その真の道を進んで行くと言う事ですね
今朝は起きがけに 道は孤ならず ですか
その 道は孤ならず とまた二人三脚とも言われますね
その 道は孤ならず とか
二人三脚と言う様な事を頂くのですけれども
そしてまた今朝のミニ御理解 真の道 教祖様の御理解
真の道を行く人は肉眼をおいて心眼を開けよと
真の道を歩かせて頂く 進ませて頂く
それがやはり信心をさせて頂く者の努めと言うのでしょうか
何と言いましょうかね 日々の行と言うのか 生き様と言うのか
それが真の道を歩いて行くのだと
しかし今朝頂きますのは その道を歩くと言っても
一人で歩いて行く事は出来ないと
孤りでには道は開けないと
道は孤ならずと教えて頂きますね
それは 二人三脚 誰と二人三脚なのか
やはり神様と二人三脚だと
そしてまたその道は神様がお示し下さり
そしてその神様が道を開いて下さるものであると言うのですね
確かに私どもが心を磨こうと致します 心を育てようと致します
しかしそれは 自分一人で育てられるものではないと言う事ですね
教えに取り組もうとしても 自分一人で取り組めるものではない
それこそ神様のおかげを頂いて道を開かせて頂く
神様のおかげを頂いて教えを行じさせて頂く
神様と共に何かをさせて頂くと言う事になりますね
いつも神様と共にと言う事なのですね
何かをさせて頂くでも それこそ人類が生存して行く
それもただ人類だけの努力で 人類の知恵 力で
道を開いて行くと言う事は出来ない 行き詰まるのでしょうね
そこに神様のお力を頂いてと言うのでしょうか 神様と共に
道を切り開いて行くと言う事になるのではないでしょうかね
とかく私どもは それこそ勉強をしたり
努力をしたりする人達は
自分の知恵才覚で出来るとも思うし
またして行かなければならないとも思うのですけれども
そこが信心させて頂く者との違いと言うのでしょうか
信心する この神様に御縁を頂くと
やはり道は人間だけで開いて行く事は出来ないのだ
私どもの知恵才覚で出来る事ではないのだと
愈々師匠が悟られたと言うのでしょうか
吾無力と言う所に至って初めて 神様と共に歩かせて頂こう
神様と共に進ませて頂こうと言う心と言うのでしょうかね
そう言うものも起こって来るのだと思います
どうでも自分が出来る
自分に腕が有る 出来るからする
あるいは出来ないものでもチャレンジしようと言う
人間のその知恵 力 努力 それは素晴らしい事ですけれども
そこには限界が有る事を
やはり悟らねばなりません
そしてそこに神様のおかげで
神様と共に精進努力させて頂くと言うその
どこまでも神様と共にと言う心根と言うのでしょうかね
そう言う心が育って来なければならないと言う事ですね
決して人間だけの力で道が開かれるものではない
開いて 切り開いて行けるものではない
そこには必ず神様のおかげを頂いて
神様と共に進んで行くものだと言う事ですね
道は孤ならず ですからどうでもそこには
神様と共に二人三脚で進ませて頂こう 進んで行く
そう言う心が愈々私どもの中に育って来る
そして ではどうやってその二人三脚で進むのか
それはもう師匠が教えて下さる 一つ一つの成行きを大切に
その成行きの中に神様の声を聞いて行く 神様と共に進んで行く
それは成行きと共に進んで行く
とも言えるのではないでしょうかね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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