2022年11月24日木曜日

話を聞いて、神愛の神の働きが現れる道 (2022-11-24)

 今日も和賀心学 (2022-11-24)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師はテレビ時代にあって一つの構想を持って居られた。それはテレビ番組の放送を通じて、見聞きする人の上におかげを授ける、神様の御働きを現すと言うことを。その願いを引き継がせて頂き、このインターネット時代にあって、話を聞いてそこに神愛の神の働きが現れる道を現して行きたい。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 171頁)


ビデオ: https://youtu.be/DJ8JQvPR8-M

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-24.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




出産の時よかり物によかるより

神に心を任せよかれよ




よりかかって

よりかからず




私は信者の皆さんによりかかって居ます

けれども心ではひとつもよりかかって居ません




一心にたより、

よりかかれるのは神さまだけです




神さま任せですと言うても心が不安定であるなら、

まだまだ他の人や物や金によかっておる証拠です




「神に心任せてよかれよ」

ということです




その寄りかかれる神様、

頼れる神様を頂いて居るか、どうかと言う事ですね




そしてまたその寄りかかれる神様を頂いて居る事の有難さ、

喜びと言うもの、




そこからやはり和らぎ賀ぶ和賀心と言うものも頂けれる、

と思いますね、




その寄りかかっておれる神様が有るから、

その御縁を頂いておるからこそ頂けれる和らぎ賀ぶ和賀心ですね、




もしこれが、寄りかかれる神様とのご縁が無い状態で

和賀心が頂けれるか、それは頂けないと思いますね、




それは単なる自己満足的な和賀心ですね、




やはりその心が和らいでおれ、賀んで居れる、

それはどこまでも神様の神愛の中に包まれておる、




神様の懐に抱かれておると言う安心で有り、

和らいでおれ、賀んでおれる心、




それは神様に寄りかかって居れると言う、そこが無かったら、

やはり和らぎ賀ぶ心と言うのは頂けないと思いますね、




ただ自分だけが生活して居る、その人間的な関わり合いで、

誰それとのいわゆる日常生活が有る、




その中に果たして和らぐ心が、賀ぶ心が頂けれるか、

ただ自分の願い事が叶ったから喜ぶ、と言う喜びでは有りませんね、




神様の懐の中にあると言う賀びであって初めて、

本当の賀びの心、賀の心だと言う事ですね、




師匠の構想をされた一つに、

それこそテレビ時代となりましたね、




昔は何にも無かった、それからラジオの時代となり、

そしてそれがテレビの時代となり、




そのテレビと言う時代の中で

師匠大坪総一郎師が一つの構想を持って居られましたね、




それは例えばテレビ番組を運営すると言うのでしょうかね、

そこに、合楽の時間、と言うそう言う放送番組を流し、




そしてそこにその合楽の時間を見て下さる人、その人達が、

例え病人であろうと、様々な難儀を抱えた人達であろうと、




その人達が、その合楽の時間と言ったその放送を見て頂く、

そして師匠のお話を聞いて頂く、




そしたらそこに神様の御働きが現れる、

おかげを頂くと言う事でしょうかね、




これは現世利益かもしれませんが、

勿論その現世利益も信心には必要ですからね、




それが現れる、そう言う例えば、合楽の時間と言う

テレビ放送を見て、聞いて頂いた人の上に神様の御働きが現れる、




そうやってでも、より多くの人々を助けて行きたい、

ただ参って来る人だけでは数が限られるわけですから、




遠くの人を助けるわけには中々難しいですから、

放送、テレビ放送となると、遠くの人でも助かる事が出来る、




と言う様な構想を抱いて居られましたけれども、




その言わば師匠の願いと言うものを、

今日的に頂き、現せないものかと思います、




そしてその師匠の願いを、構想を頂きたい、そして現させて頂きたい、

師匠の願いを引き継がせて頂きたいと思うのですね、




そして今朝から願いを新たに、私も致しました、

その願いと言うのは、昨今はインターネットの時代になりました、




ですから、こうやってインターネットを通して

お話を聞いて頂く事が出来る、




その話を聞いて頂いておる人達の上に

神様の御働きが現れる事を願い、祈らせて頂こうと、




それは師匠の願いの、構想の続きの様なものだと思いますね、

その線に有るものですね、




師匠の願いをまた願いとさせて頂き、

引き継がせて頂こうと思うのですね、




この道は話を聞いて助かる道だ、との仰せられます、

話を聞いて助かる道だと、




それは話の内容によって助かると言う事も有りましょうし、

その話を聞く所に神様の御働きが現れると言う事でも有りましょう、




そこを更に、ただ単に話を聞いて助かる道と言う所から、

その内容をもう一歩踏み込んで、




それこそ御道は話を聞いて、

そこに神様の御働きが現れる道だと、




話を聞いて、神の働きが現れる道、

それこそ神愛の働き、神様の神愛の働きが現れる道、




現れるそう言う仕組みと言うのでしょうかね、

そう言う道を築かせて頂きたいと思いますね、




この方の道は話を聞いて、そこに神愛の働きが現れる道だと、

そう言う道を作らせて頂きたい、




それが師匠の願いでも有り、一つの構想でもあったと思うのですね、

その師匠の願いを受け継がせて頂き、




そしてやはりそこに、話を聞いて、そこに神愛の働きが現れる、

そう言う道を開かせて頂きたい、その事を願い、祈る、




それを、今朝から始めさせて頂きました、

どうでもやはりそこに神様の御働きが有って、




の頂けれる和らぎ賀ぶ和賀心でもあるわけですからね、

そこに神様の御働きが無ければ値打ちが有りません、




どうでも話を聞いて、そこに神愛の働きが現れる道を

説かせて頂きたいと願いますね、




必ずそこには、

成行きの中に神愛の働きが現れる事を確信致します




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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