今日も和賀心学 (2022-11-11)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心の稽古の中には神様のお試しも有る。今朝は起きがけに、5分早く起きれば人が一人助かると心に響いて来た。神様から、さあどうする、と言われている様な気がした。さあっとは起きれなかったが3分位は早く起きれた、60点位は取れたかなと思う。神の声を神の声として聞くフィーリングを育て磨くこと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 367頁)
ビデオ: https://youtu.be/VLZX_z6yT-w
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-11.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第58節
人が盗人じゃと言うても、乞食じゃと言うても、
腹を立ててはならぬ、盗人をしておらねばよし
乞食じゃと言うても、もらいに行かねば乞食ではなし
神がよく見ておる、しっかり信心の帯をせよ
はやり唄にも
「松葉の模様が気に入った枯れておちるも二人づれ」
この打ち込みがあれば信心も本当なものだが、
又の文句に「紅葉の模様が気に入らぬ紅葉色づきゃ秋が来る」
と言うが、これではならぬ
信心も少しはわかり佳境に近づいて来る
何かがある、もう動揺する
信心の帯がシッカリ出来ておらぬからである
信心は
神が見給う聞き給う世界に生きぬくことである
神が見給う、聞き給う世界に生き貫く事であると、
そしてまた神様が仰って居られる事、
言わば神様との、天地とのコミュニケーションが、
やはり信心には大切だと思いますね、
師匠はそれをフィーリングと言う様な言葉で
表現して居られたように思いますね
世間で言えば第六感とか言いますね、そう言うものかもしれませんね、
神様の御心を御心として感じ取るセンスと言うのでしょうかね、
やはりそのセンスが磨かれて行かねばならないのだと
思うのですけれども、
その神様のお知らせをお知らせとして頂いて行く、
と言う事が大切だと思いますね、
とかく私ども迂闊に過ごしており、
神様が話しかけて下さる、
その語りかけて下さるのを、
それと気付かない事が多いのかもしれませんね、
今朝は起きがけに
フト心に浮かんで来たのは、
5分早く起きれば一人助かる、
と言う様な事がフト心に浮かんで参りました、
そのいつもより 5分早く起きれば、
その分人が一人助かると言う様な事ですね、
それでまだ眠いなと、
もう少し寝ておきたいなと思いましたけれども、
5分早く起きて人が一人助かるのならば、
それは起きさせて頂かなきゃならないなと、
5分前とは行きませんでしたけれども、
いつもよりか 3分位前でしょうかね、寝床から出させて頂ましたが、
100点満点は取れなかったかもしれないけれども、
60点位は取れたのかなと思いますが、
いわゆる神様のお試しであったと思うのですね
実際 5分早く起きたらそれで一人、
人が助かるかどうかは分かりませんけれども、
そう言う心持ちで居れと言う、若しそうなったらどうするか、
と言う、これは神様のお試しであったなと思うのですね、
よくテレビドラマなどで、悪人が人質を取り、
銀行強盗なら銀行強盗が人質を取り、
その要求に、のまないならば一人ずつ殺して行くぞと、
言った様な事が有りますね、
そう言うその逆バージョンと言うのでしょうかね、
一人助ける、その為には 5分早く起きろと、
言った様な事でしょうかね、
5分早く起きたら一人、人が助かるぞと、
こちらは、神様の方は人が助かると言う方ですね、
私どもがどれ程人の助かりを祈って居るか、
それこそ、いやそれよりかもう一寸寝ときたいと寝とくのか、
いや人が助かるなら一寸でも早く起きようと起きるのか、
私の心根を試された様な感じが致しますね
そこにその、フト心に浮かんで来た事を、神様のお知らせ、
神様からの語りかけと頂くか、頂けないかと言う所ですね、
師匠がある時、
あなたの神様を頂かなきゃいけないよと、
そう、あなたの神様を頂けれるようにならなくちゃいけないよ、
と仰られた事が有ります、
その時は意味がよく分かりませんでした、
自分の神様を頂くとは、どう言う事だろうかと、
それが今朝少しはっきりした様な気が致します、
それは、私なら私の心の中に、
神様がこう仰って居られるのかな、
と言うものを感じた時に、
それを神様の語りかけとして、
神様の囁きとして頂いて行けれると言う事、
これはある意味フィーリングですね、
今、神様がこれを仰って居られるのだ、
と言うそこに神様の声を確信すると言うのでしょうかね、
聞くと言うのでしょうかね、
それが言わば、
私の神様を頂くと言う事に繋がるのだなと思いますね
何かを見る、それこそ成行きの中に、
これは神様がこれをこう言う事を仰って居られるのだな、
とそこに神様の思いを悟らせて頂く
と言うのでしょうかね、
師匠にしても、いつもかつも神様が、右に行け、左に行けと
分かるようにご指示を下さって居られたようでは有りませんね、
何か事が有る、成行きが有る、
御信者さんがお参りになる、
そして何かがお供えになる、
そう言うものの中に、
神様の御声を、これは神様のお知らせだ、
これは神様の御声だと感じ取って居られたのですね、
言わば、私どもが神様の声を神様の声として感じ取るセンス、
フィーリングですね、
これは神様の一言だ、とそう感じるフィーリング、
それを鍛えて行くと言うのか、センスを磨いて行かねばなりませんね、
それがまた信心の稽古の一つでもあろうと思いますね、
そしてそこに初めて、
私どもと神様との、天地とのコミュニケーションと言うのが
取れるようになるのではないでしょうかね、
これがまた一つの信心の醍醐味でもあろうと思いますね、
そう言う中には、やはりお試しも有りますね、
それは、やっぱり期待が有るからこその
お試しでもあろうと言うものですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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