2022年11月3日木曜日

たとえ敵でもその助かりを祈る心 (2022-11-03)

 今日も和賀心学 (2022-11-03)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


人の助かりを祈る心が育つ事と言って、困っている人を目にしたらそう言う心も湧いて来る。それが、今朝は更に松平伊豆守の傘ではないが、敵に塩を送るとも言うが、中々難しい事ではあるが、そういう敵対する者、或いはもうこの人ばっかりはと言う様な悪人でさえも、その助かりを祈る心を育てよと頂く。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 159頁)


ビデオ: https://youtu.be/dQmj3ztvFgo

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-03.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




天が下に他人ということはなきものぞ




世界のどこかで血腥い戦争が続いていると思うだけで悲しい、

他人事とは思われぬ




こういう思いの人達がたくさん出来れば

人間同志の争いはなくなるだろうと本気で考える




それが世界真の平和達成の

御神願成就の強い祈りになってくる




なる程世界真の平和を願う、戦争が無くなる事を願う、

それは一人一人が幸せになる事の為に、




勿論その戦争が起これば、

我が身の上にも危なくなって来る、




そこから我が身を守る為にでも、

世界の真の平和を祈る、と言う事も有りましょうけれども、




いわゆる今はテレビやインターネットで

世界中の難儀な人達、困っている人達、




それこそ戦争で、

それこそ難儀な目にあっている人達の姿を見せて頂きますと、




やはりどうでもこう言う戦争など、争いなどが有ってはならない、

なくす方向で何とか行かないものだろうかと思います、




そしてその戦争を起こしている人達、

そう言う人達の事を思います、




昨日頂きましたのは、

私どもの心の中に人の助かりを祈る心が芽生えて、それが育つ事、




人の助かりを祈る心が育たないから、

それこそ自分に難儀な事が起こって来た時でも、




それを受けようと言う腹が決まらない、

と言うのでしょうかね、




それこそもうどん底に突き落とされた様な難儀な時に、

人の助かりを願う心が育っておれば、




その人が助かる事の為に、

とその事を受け貫いて行く力も出て来ると、




これはある意味、自分が助かる事の為にでも、

人の助かりを祈る心が育つ、と言う事でしたけれども、




自分の助かりとはまた別に、切り離した所で、

純粋に人が助かる事を祈る、




そう言う心がやはり育って来ると有難いですね、

更に今日頂きますのは、




ただ人の助かりを祈ると言うだけではない、

これはある意味、誰にでも出来ると言えば出来る、




それこそ世の困ってる人の姿を見たら、

何とか助かる事は出来ないものだろうか、




助けられる事は出来ないものだろうかと思います、

そして何とか難儀な人々を助けたいと思います、




ところがこれがいわゆる自分と余り利害関係の無い人

の助かりを祈る、と言う事は割と出来易いのですけれども、




これが自分と利害関係が有る人、

言わばいわゆる敵ですね、敵であったり、




寧ろ自分にとって害をなすかもしれないと言う人達、

の助かりを祈る、願うと言うのは中々難しいですね、




またどんなに助けようとしても、

中々助ける事が出来ないと言うのか、その人の心が育って行かない




この人ばっかりはもう箸にも棒にもかからない、

助けようが無いと言うのでしょうかね、




正にこの人ばっかりは、もうどうした人だろうか、

と言う人も中には居られます、




ですからこの人はもう助かり様が無いと言う訳ですね、

今朝は、そう言う人の事でも祈って行けと、




どうしたらその箸にも棒にもかからない人でも、

助けて行く事が出来るだろうか、




それこそあの蜘蛛の糸と言うのが有りますね、お釈迦様が、

蜘蛛を踏もうとして、そのイヤイヤとその蜘蛛の命を助けたその人を、




血の池地獄から救い出そうと

蜘蛛の糸を垂れられたと言うお話ですね、




大変美談な様な、それこそお釈迦様のお慈悲と言うのでしょうか、

ものを感じさせるお話かもしれませんけれども、




今朝頂きますのは、

もう一歩突っ込んだ、




その犍陀多でしたか、蜘蛛を殺さなかったその事に引っ掛けて

助けようとされた訳ですけれども、




今日はその蜘蛛を踏んづけて蜘蛛を殺してしまった、

そのそう言う例えば悪人、でさえも助かる事を祈れと、




ある意味お釈迦様のもう一つ先の、

神様なのでしょうかね、




そう言う箸にも棒にもかからない様な人でも、

何とか助かる道はないものだろうかと、




よく敵に塩を送る、と言う様な事が有りますね、その敵に塩を送る、

例え敵であっても、その敵対する人を助けようとする、




何とか敵対する人でも、どう言う悪人と言われる様な人であっても、

助かる道はないものだろうか、助けたい、




と言う思いが愈々私どもの心の中に育って来なければならない、

と言うのですね、




それこそがあの松平伊豆守の差し出す傘

と言う事になるのかもしれませんね




そう言うもう箸にも棒にもかからない、

もうこの人ばっかりは助け様が無い、助かり様が無い、




この人は、私のあの人は敵だと言った様な人にでさえも

塩を送る、傘を差し掛ける、




何とか助かる道はないものか、助けたい、

と言う思いが募って来る様な信心をさせて頂けと、




言う、これは神様の御心だと思いますね、

と言うものを今朝は教えて頂いた様に思います、




どうでも、もうこの人ばっかりは助かり様が無い、

と言う様な人でも、この人は私の敵だと言う様な人でも、




どんな悪人と言えども、助かりを祈る、

何とか助かる道はないものかと、




その思いを強くして行かねばならない、

と言う事ですね




その一つでは、さあそれからどうしたら良いのか、

と言う事を練り上げて行かねばなりませんけれども、




その一つとして、これからはそれこそおかげの泉をもって、

人の助かるお役に立たせて頂きたい、と思いますね




その一環として、この度は、インターネット接続のテレビでも

頂けれる様なものを作らせて頂きました、




前回作らせて頂いたものでは、スマホとかタブレットとか

パソコンでは上手く聞けるのですけれども、




テレビでは上手く聞けませんでした、




今回はテレビでもおそらく、おかげの泉を、音声版を聞く事が出来る、

インターネットに接続されておればですね




そう言うものを作らせて頂きました、

よりカバー範囲が広がったのではないかと思います、




また後程紹介させて頂きたいと思います、

どうでも、どんな悪人でも、




もうこの人ばっかりはどうしようもない、と諦める様な人でも、

助かりを祈らせて頂く、願わせて頂く、




どうしたら助かられるだろうかと、その方途を考えさせて頂く、

そう言う信心をさせて頂きたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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