2022年11月20日日曜日

御神徳を頂く為の心根は、人が助かる為にが基本 (2022-11-20)

 今日も和賀心学 (2022-11-20)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心よる真の助かりは御神徳を頂き、その御神徳をもってのおかげを頂けるようになること。神様に駄々をこねてのおかげでは真の助かりには至らない。御神徳即ち神様の御信用を頂くには、先ずは仰せ通りに仕り候と言い付けを守る事、次に人が助かる為に朝起きをする事、その心根が人が助かる為にが基本。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 142頁)


ビデオ: https://youtu.be/gYPEriqJcEk

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-20.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




過ぎたることを思い出して、腹立て苦をすなよ




過去・現在・未来までも生かし生きることが信心ですから、

すべてのことに御礼の言える信心を頂きたい




あれもおかげ、これもおかげとわかるとき

無明の闇はいつしかに、光明世界と変るなり




心眼を開きてみれば、いまわしきこととて

今は神愛と悟りて真広の道ゆかん




信心を頂きたいと、何の為に信心をするのか、

それは勿論、幸せになる為に、助かる為に、




その真の助かりを得る為に、

信心をさせて頂くと言う事だと思いますね、




しかしその助かると言う事の内容が、

ただ今難儀を抱えて居る、




その事に自分にとって都合の良いおかげを頂く、

と言うのでしょうかね、




ただ今困った事を解決してもらう、

あるいは自分の願い事を叶えてもらう、と言う、




そこに助かりを見い出す、と言う、

それだけの助かりの内容を求めるのであったのでは、




真の信心、真の助かりと言う事には中々至りませんね、




真の助かりを目指すと言うそこには、

やはり師匠がそれこそ大坪総一郎師が説かれた合楽理念、




その合楽理念に基づく所の助かり、それは御神徳を頂く、

そこから得られる助かりと言う事になりますね、




おかげも、ただ駄々をこねて願って頂くおかげではない、

御神徳を頂いて、そこから頂けれる所のおかげを頂く、




そこに初めて人間の真の助かりが、

真の助かりが有ると言う事なのですね、




神様に駄々をこねて頂くおかげではない、

神様も喜んで授けて下さるおかげだと言う事になる訳ですけれども、




その神様から信用して頂く、

御神徳を頂く、神様の御信用と言われます、




その神様から御信用して頂く為には、どうあったら良いのか、

御神徳を頂くにはどうあったら良いのか、




その一つはやはり教祖様が、神様の仰せ通りに仕り候と言う、

ここはやはり先ず第一だと思いますね、




神様から右に行けと言われて、それこそ天の邪鬼に左に行く、

これでは信用のしようが有りませんね、




やっぱり言われた通りに素直にする人、

その人がやっぱり信用を受けると思いますね、




ですから先ず、神様の仰せ通りに仕り候と言う所が無ければ、

とても信用してもらえるとは思えませんね、




言わば、言い付けを守ると言う事でしょうね、

その言い付けである所の御教えを守り行じる、




と言う所に繋がって来ると思いますね、




教えを守らない、教えを行じない人が、

神様から信用して頂けれるとは思えませんね、




言わば神様の仰せ通りに仕っていないわけですからね、




ですから、先ず御神徳、神様の御信用を頂く為には、

神様の仰せ通りに仕る、




それこそその仰せである所の御教えを正しく行じる、

と言う事になると思いますね、




そしてそれだけで良いかと言うと、

それだけではいけない様な感じも致しますね、




師匠の御徳を頂く六ヶ条の一つに、朝起きが有りますね、

朝起きる、朝 3時半の朝起きが楽になるまでと、




それならば、3時半に起きたら御神徳が頂けれるのかと言うと、

そうとも言えない様ですね、




なら、3時半に起きたら御神徳が頂けて、

4時半に起きたら頂けないのか、




それなら 2時半ならもっと御徳が頂けれるのか、

と言った様な思い方を致しますけれども、




3時半に起きたから御神徳が頂けれると言う事ではない、

と思いますね、




3時半に起きてる人は、他にもたくさん居られますからね、

例えばそれこそ今はどうか分かりませんが、昔はお豆腐屋さんなど、




それから新聞配達の方達などは早かったですね、

また、朝市場に仕入れに行く、魚市場であったり、




野菜市場であったり、

市場に行く人たちは早いですね、




その朝早く起きれば、それで御神徳を頂けれるのならば、

そう言う朝早くから仕事をして居る人たちでも、




御神徳を頂いて居られるはずですけれども、

そうではない様な感じが致しますね、




今朝頂きますのは、その朝起きなら朝起き、

そのなぜ朝起きをするのか、




お金儲けの為に朝早く起きたからと言って、

御神徳が頂けれるとは思えませんね、




その朝起きの根底に、これは、

ある時には師匠に喜んでもらいたいから、




師匠が、朝起きれと仰って居られるから、

言わば、仰せ通りに仕ると言う所でしょうかね、




と、そう言う心根から更にもう一歩進んで、

その私がそれこそ 5分早く起きればその分人が助かると言った様な、




5分でも早く起きて人の助かりを祈らせて頂こう、

10分早く起きて人様の助かりを祈らせて頂こう、と言うそこだと、




今朝は頂きますね、言わば何の為に朝早く起きるのか、

それは人の助かる事を祈っての事でなければならないと、




朝起きは三文の得と言われますかね、




その三文のお金を得る為に朝起きをする、と言うのであっては、

御神徳が頂けれるとは思えませんけれども、




その朝早く起きる事によって、それが人の助かりに繋がる、

人の助かりを祈る事に繋がる、




と言う意味において、そう言う心根で朝早く起きさせて頂く、

それが御神徳に繋がると言う事だと思いますね、




ですから、その動機と言うのでしょうか、

モチベーション、心根と言うものが、




神様の御心に通う、適う様な心根を持っての、

モチベーションを持っての朝起きでなければならないと言う事ですね、




これは、一事が万事に通ずる事だと思いますね、

教えを行じるでも、目の前のおかげを頂きたいから教えを行じる、




勿論、仰せ通りに仕り候と言う世界も有りますけれども、

自ら進んで教えを行じる、




それがその教えを行じたら 1万円儲かるから教えを行じる、

と言うのであったのでは、神様に通うとは思えませんね、




やはりその教えを行じる事が、人が助かる事に繋がる、

だからその教えを行じるのだ、




と言うその全てのモチベーションが、

人が助かる事の為にさせて頂く、行じさせて頂く、




朝起きをさせて頂く、と言う事になった時に初めて、

神様の御信用が付いて来るのではないでしょうかね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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